【大東亜戦争の真実】日中戦争(支那事変)は、壊滅寸前の共産党がしかけたワナだった!!

日中戦争(支那事変)は誰が引き起こしたのか?
(以下、youtube動画『日中戦争は誰が引き起こしたのか?』をもとにブログ用に再構成しました)

一般に日中戦争は、1937年7月7日、盧溝橋事件で日本軍が侵略戦争を発動したことにはじまると私たちは教えられてきた。しかし、それははたして真実なのであろうか? 本当に日本軍は自らそうしたいと決意した上で盧溝橋事件を引き起こし、それを口実に中国に対する「侵略戦争」を開始したのだろうか?

その真偽を探るため、ここでは盧溝橋事件の3年前までいったん時計の針を戻してみたい。

1934年10月、蒋介石軍との戦いに敗れた毛沢東の共産党軍は根拠地の中国南部を脱出し、北西部へと逃れた。いわゆる大長征である。

1936年秋、2年にわたる逃避行の末、共産党軍はソ連国境に近い延安に到着した。しかし、そこは不毛な黄土台地にある中国でも最も貧しいとされる地域であった。加えて、その兵力は出発時の十分の一まで激減していた。

兵隊はいないし、武器もない。これでどうやって戦えというのだ? いや戦いどころではない。今いる兵隊たちをどうやって食わせていけばよいのだ…。毛沢東は頭を抱えた。

そうした中、降って湧いたような天佑が転がり込んできた。

1936年12月、張学良が突然蒋介石を監禁し、「共産党への協力と一致抗日」を迫ったのである。いわゆる西安事件である。

これを千載一遇のチャンスととらえた共産党は、「もし一致抗日に協力してくれるなら、われわれは喜んであなたの配下になりましょう」と蒋介石にもちかけた。要は今までのことを水に流し、倒産寸前の自分たちを吸収合併して救ってほしいという虫のいい要求であった。

しかし、蒋介石はそう甘くなかった…。

「あいつら前回も俺らの仲間になるふりをし、勝手に入り込んできておきながら結局裏切ったからな。そうは問屋がおろさんぞ」

だが、崩壊寸前の共産党にとって国共合作は文字通り最後の命綱であった。ここはなんとしても蒋介石にのんでもらわねば…。毛沢東はそう考えた。

そんな矢先、またもや共産党に「謎」の天佑が訪れた。

1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋で謎の発砲事件が発生。それを機に日中の小ぜり合いが発生したのである。世に言う盧溝橋事件である。

これに対し、共産党は事件発生からわずか数時間後には通電を発し、全国民に向けて一致抗戦を訴えた。まるで事件を事前に予知していたかのような異例の段取りの早さだった。

あわや全面衝突かと危惧されたが、日本政府は不拡大方針を堅持。直後に結ばれた現地停戦協定によって小ぜり合いはいったん収束に向かった。

共産党は落胆した。日中が衝突すれば内戦より抗日を求める世論が高まり、それだけ国共合作をもくろむ共産党にとっては追い風となるはずだったからだ。

ところが、どういうわけか共産党にまたまた「謎の天佑」が降ってきた。

停戦協定が結ばれたその直後から、どういうわけか日本人をねらった殺害事件や挑発事件が中国各地で頻発。その結果、停戦協定は事実上無効となってしまったのである。

この間に発生した中国側による挑発事件の主なものは以下の通りである。

7月13日 大紅門事件(爆殺により日本兵4名が死亡)
7月25日 廊坊事件(日本軍が銃撃を受ける)
7月26日 広安門事件(日本軍が銃撃を受ける)
7月29日 通州事件(日本人居留民223名が惨殺される)
8月9日 大山事件(大山勇夫海軍中尉が殺害される)
*大山事件当日、元外交官船津振一郎を介した和平交渉(船津和平工作)が予定されていたことに注意。この会談で日本側は、満州事変以後、日本が得た権益のほとんどを放棄するつもりでいた。そこまでして紛争を終結させようと思っていたのである。

不拡大方針にもとづく日本側の和平への努力とは裏腹に中国の世論はこの間、どういうわけか過激さを増していく一方だった。平和を求める声よりも全面抗戦を訴える論調の方がますます強くなっていったのである。

こうしたなか外国人軍事顧問の教唆を受けた蒋介石は8月13日、上海の日本人租界に向けて突然攻撃を開始した。第二次上海事変の勃発である。

一連の動きから蒋介石が強固な開戦意志を持っていると判断した日本政府は、それまでの不拡大方針を撤回。8月15日、「南京政府の反省と懲罰」のためとして日本軍の上海派遣を決定した。

日本軍の正式派兵と激昂する国内世論を受けた蒋介石は徹底抗戦を表明。8月22日、共産党軍を国民党軍に組み込み、ともに一致抗日をはかることを正式に決定した。

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