アジア解放論への難癖と左翼の詭弁


このところ腹にすえかねているのは、「日本がアジアを解放した」という主張をすると、そういう見方は客観的でも学術的でもないといって頭から否定されてしまうことだ。

もちろん客観的、学術的にみれば異論が出るのは当然だろう。

しかしここで忘れてならないのは、アメリカによるアジア解放論というきわめて主観的な物語(アメリカ=正義の味方というプロパガンダ)がすでに世界中に浸透しているという現実である。

日本のアジア解放という主張は、ある意味、そのような戦勝国のプロパガンダへの反発の中から生まれてきた一種のカウンタープロパガンダである。従ってもともとが学術的な主張などではないのである。

にもかかわらず日本のそれだけが学術的でないとして否定されるのはあきらかにダブルスタンダードであろう。

もし日本によるアジア解放論が客観的でないとして否定されるのであれば、アメリカによるアジア解放論もまた客観的でないとしてただちに否定されなければならないはずだ。

しかるに、ここでは議論の土俵が意図的にすり替えられている。アメリカのプロパガンダ対日本のプロパガンダという土俵での論争だと思っていたら、突然、学術研究という土俵にすり替えられ、そこに日本のプロパガンダだけが俎上に乗せられ、一方的に非難されるという構図である。

これは論点をはぐらかすために左翼側がよく使うトリックのひとつである。何かを論じる際は同じ土俵で論じなければならない。しかし、彼らは論点をうやむやにする目的でしばしば土俵そのものをひっくり返したり、すり替えたりしてしまうのだ。

かつて古代ギリシャにはソフィストという白を黒と言いくるめことを生業とする一群の人々がいた。彼らは真実をいかに捻じ曲げられるかをその能力の証として互いに競い合っていた。彼らにとって真理などどうでも良いことであった。たんに時の権力者におもねり、少しでも自らの利益になればそれでよかったのである。

左翼も同じである。彼らにとって歴史の真実などどうでも良いことである。もちろんここで学術的でないとか客観的でないとかいっているのもただの詭弁にすぎない。彼らは自らの利益を守るため、何としてでも日本を悪者にしたいだけなのだ。要するに、左翼というのは現代のソフィストなのである。

ちなみに歴史は結果で評価すべきだと私は考えている。その点、日本が結果としてアジアを解放する働きをしたのは事実であり、その意味で「日本がアジアを解放した」という主張は間違っていないと考えている。

逆に国家にあたかも人間のような統一的な意思があり、その意思が「解放」を志向していたのか、「侵略」を志向していたのかと問うことの方がむしろ馬鹿げている、といえるだろう。左翼という現代のソフィストたちは、あれでなければこれ、これでなければあれという二者択一的な迷路に誘い込むことで、議論全体を意図的に煙に巻こうとしている。連中のそうしたプロパガンダトリックに騙されないよう私たちはより注意深くあるべきだろう。


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