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ライク・ア・グローイング・ストーン

のちに辻本は述懐する。
「お化けでも、人間でもない。結局ぎざぎざの石が一番怖い。」

Hello, hello, hello, how low?
(なあ、どうだい、どれくらいひどい?)

smells like teen spirit / NIRVANA

いきなりbelowな話で恐縮ですが、かれこれ1週間ほど尿管結石を患っており、タイダンもいいへんじもキャンセルせざるを得なかった。ぎりぎりまで悩んだのだけど、結局いつ来るかもわからない痛みに怯えながら劇場の椅子に1時間以上座っているのは自分にも周囲にも不安しか与えないだろうと判断した。申し訳ないし、悔しい。また次の機会に傑作を見せてほしい。

最初の違和感は3月15日の深夜、正確には3月15日が新しく16日に着任し、さあやるぞと鉢巻きを締め直す午前1時過ぎ頃にあった。
もともと生粋の腰痛持ちだし、またいつものが来たかという感じで別段気にも留めず床についたが、1時間以上過ぎても背中から腰にかけての痛みは引かないどころか強くなっていく。寝る姿勢を変えても、立ち上がってみても、起きて椅子に座りなおしても同じ。何かがおかしいと思って「背中 痛み 突然」で検索すると、物々しい病名がズラリと勢揃いしたページに連れて行かれ戦慄したが、身震いしようにも体幹が動かせないほど痛みは強かった。

思わず存在しない仲間の居場所を吐きそうなほどの激痛に耐えながら(だって耐えるしかないのだ、洗いざらい話せば楽になれるだけ拷問のほうがマシだとすら感じた)、気がつくと午前4時をまわっている。あ、こりゃ今夜は完徹コースになるなとなぜか寝不足のほうを先に心配し、次いで「ところでこの激痛はいつまで続くんだ? そろそろ飽きてきたし面白くもないからやめたほうがいいんじゃない?」という提言が心に浮かんだ。誰への?

7119。僕の暗証番号ではない。そう簡単には教えない。救急相談ダイヤルの存在を不意に思い出し、迷わず架けた。迷わず架けたが、なるべくなら救急車は呼ばずに済ませたかった。こんな夜更けだし、たしかに激痛ではあるが歩いたりすることに支障はないので、そのまま夜間の急患対応をしてくれる病院があれば自力で向かうつもりだった。

痛みで覚醒を余儀なくされる身体とは裏腹に、もう半分おねむの意識をどうにか揺り起こし、電話口で自覚症状の説明をする。徒歩で行ける範囲の病院(窓口担当者は当然タクシーで向かう前提のように話していたが)を3つくらいピックアップしてもらい、順番に電話をかける。電話する前にふとGoogleの口コミを見ると星1つで酷評ばかり書き込まれていて暗澹たる気持ちになったり、「先生は初診の方は診ないそうです」という豪速球ボークみたいな断られ方をして(これは今だに発言の意味をはかりかねていて、初診NGの救急って何だ?)人間不信に陥りかけたりするうちに全部がどうでもよくなってしまい、電話するのをあきらめ、激痛にのたうち回りながらじっと朝を待ち、朝9時になるのと同時に近所のかかりつけ内科へ飛び込んだ。そこで超音波検査と尿検査を受け、ようやく病名が「尿管結石」に特定されたのだった。

尿管結石になったことのある知り合いなどから「死にそうなほど痛い」と聞かされていたから、この結果には少し驚いた。僕にとって「死にそうなほど痛い」は、痛すぎて仮死状態というか気絶・失神してしまうような痛みを想像させたから。この痛みはむしろ眠りを遠ざけ、意識を現実に繋ぎ止めようとする痛みだった。身体の右端に近いところ、そこに背骨と平行に一本の太い蛍光灯が設置され、その蛍光灯がじわじわと熱を帯びて発光しつづけているような、そんな痛み。せめてLED灯であってくれれば発熱するまいに。
痛む右半身を押さえてもどうにもならないのだが、祈るように右手を腰に添えて調剤薬局へ立ち寄り、午前10時過ぎに家路を急ぐ。処方されたばかりのロキソニンを砂漠で得た水のように水で流し込み、さらに数時間後ようやく安静が訪れた。

以後数日にわたり、ロキソニンの効力が切れるや否や襲い来る痛みとの一触即発の睨み合いが続いた。ロキソニンは薬剤師の指示により6時間以上おきに1回、かつ1日に3回以内しか飲めない。1日は24時間あるので必ずロキソニンなしで耐えねばならないインターバルが各日6時間ずつ余る。6時間! 気が遠くなるほどの長さに思えた剰余は、しかし実際のところ最初の夜ほど強さを増してこない痛みのおかげでどうにか乗り切ることができた。

そして3月22日の金曜日。ロキソニンを飲むペースを少しずつ延ばし、10時間以上飲まなくても平気なくらいに具合がよくなった頃に、「それ」は突然やってきた。

午後6時過ぎ、異常な悪寒。

スマホを持つ指が、演技だとしたらヘタクソすぎて見ていられないほど露骨にぶるぶると震え、正しく文字を打つことすらできない。いくら底冷えのする部屋だとはいえ、同じ環境下で1月にも2月にも味わったことのないレベルの寒さを感じ、これはおかしいと熱を測るが、発熱はしていない。何か考えようとすればするほど意識が薄れていく。むかし貧血で倒れそうになったとき似たような感覚があったことをぼんやりと思い出しつつ、その記憶さえ気を抜けば捕まえられないほど遠くへ逃げてしまいそうだ。朦朧状態とは正にこういうことをいうのだろう。もはや思考は放棄するしか方法がなく、這う這うの体で布団にくるまる。かじかむ腕を布団の中から伸ばしてリモコンを掴み、最大出力でエアコンをかけた。そのままじっとしていると、徐々に体温の上昇する気配を感じ、しばらくのあいだ僕は気絶するように眠っていた。

再び目覚めたのは午後10時過ぎだった。8時間くらい寝ていた気もするが4時間しか経っていない。もう一度体温を測ると38.8℃まで達していた。これはダメだ。誰が何と言おうとダメだ。強制シャットダウンをかけるように布団を頭から被りなおし、仕切り直しのように眠った。

ロキソニンで解熱するという手もあったが、そうしなかったのは「風邪の熱は細菌やウイルスを焼き殺すための生体防御反応だから上げきったほうが結果的に早く治る」という幼き日の母の教えを信じていたのと、もうひとつ、この機会に結石の有無を確かめようという意図もあった。この段階で僕は計20時間近くロキソニンを飲んでいない。熱だけが上がって背中の痛みが併発しないなら、もう痛みの原因はこの体内に「ない」のではないかと思えるからだ。

結局、熱は38.8℃をピークに夜じゅうをかけて下がり、翌朝には平熱に戻っていた。腰の痛みもない。いや、あるにはあるのだが、これが「尿管結石による痛み」なのか「いつもの単なる腰痛」なのか判別がつかないのだ。ただ、平気で耐えられる程度の痛みではあった。念のため内科を再訪問し、コロナでもインフルでもないことだけ証明してもらって帰る。そもそも1週間近く孤独に結石と戦っていたので、感染症をもらってくる機会もほとんどなかったわけだが……じゃあ、これは結局なんの熱で、腰はなんの痛みなんだという疑問だけを残したまま、ハチャメチャに水ばかり飲んでは蹲りながら暮らす一週間が終わり、ようやく日常が戻ってきた。

尿管結石は再発率の比較的高い病気らしい。できれば再発しないでほしいけど無理強いはできないし(しろよ!!)石の意志も尊重したい(したくない!!!)ので、数か月後か数年後か、この次に襲い来る痛みに僕が耐えられるのかは分からないけど、そうなった時はまたこんな風に3000字以上もゴチャゴチャnoteで吠えるだろうから、

たっ、

たのしみにまっててね……?


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