「おもしろ方程式」の話

仕事柄あちこちと現場を渡り歩くので、いろんな演出家の言葉を打ち合わせやダメ出しで聞く機会が多く、そうすると自然に「演出家のボキャブラリー」への強い興味が湧いてくる。ある意味これも職業病といえるのかもしれない。

演出家の言葉、というとどうしても演出の良し悪しだったりイメージを正確に伝える技術のことのように思われてしまうけど(それはそれで大切だけど)、僕の興味の矛先は少しだけ別の場所にある。すごく単純に言うと、その人が作品のどこを・どんなふうに面白がっているのか・またはどんな種類の面白さを信じているのか、っていうことだ。最初の打ち合わせでやるべきは、小道具の具体的なプランニングよりもむしろ、その「作った人間がおもしろいと思ったポイントに至るための方程式」を共有することなんだと思っている。

自分が関わった作品を面白くしたい、してやるぞ、という気持ちは常に持っている。でも「面白さ」の基準が人によって違う以上、たまには好みと違う作品の現場に出会うこともある。じゃあ好みと違う作品は面白く作れないのかというと、それもまた違っていて、少なくとも「おもしろ方程式」が共有できてさえいれば「それを面白がれる人にとって面白いもの」を一緒に作っていくことはできる。

そして、どんなにデタラメに見える作品でも真ん中に一本、必ず極太の「おもしろ方程式」が通っているはずなのだ。方程式って言い回しがピンとこないなら「世界観」「作品を通じて伝えたいこと」「信念」「ルール」「法則性」などと言い換えてもいい。そこにブレがない作品は、おもしろ方程式が存在している作品は、どんな数字を突っ込んでも必ず何らかの対応する解が出てくる。まれに虚数解や「解なし」になる場合もあるけど、それらは自然と台本からカットされていく(あるいは「解なし」になるものだけを選択する、という手法もある。それもまた一つの「おもしろ方程式」といえる)。

「おもしろ方程式」を持った演出家が発する言動には、もちろんのこと方程式を見つけるヒントが詰まっている。稽古を見ている姿を隣で見ているだけでも、例え話の使い方、身ぶりの交え方、語尾の上げ下げに細かい指示がある、舞台空間の色彩にはこだわるけど衣装には無頓着だったり、へぇそこで笑うんだとか、そこに間を空けるんだとか、この台詞そんなニュアンスで言わせるんだとか、それらが自分自身の思う「おもしろ方程式」と少しずつズレていることが今はとても面白いと思えるし、「そういうことならここはこうしたほうが好みなんでしょ?」と当たりをつけながら誰も気づかないようなディテールを微調整するのはもっと楽しいし、予想が的中すればもっと燃えるので次のたくらみを考えにいける。そんな正のスパイラルがずっと続きますようにと願っている。

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