20230911_日記

久々に日記を。
好きな作家のエッセイとかを読むたびに、作家の思考の深さを見せつけられ、「自分もこのままでは...」と思い日記を書いては次の日には忘れている。

こういうのを習慣化できるのは言葉を紡ぐことが好きな人でないと難しいのかもしれない。自分は最近考えることがめんどくさくなっている。

考えることがめんどくさいなんて、人間として終わってると思いがちだが、別によくないか。よくはないんだけど、「人間は考える葦である」みたいなものは共同幻想であるという考え方自体はあっていいものだと思う。
まあ怠惰な少数派はただ社会の流れに置いていかれるだけなのも分かってる。
結局漕がなきゃいけねえんだ。
毎日筋トレしてる気分だよ。

前回の日記からかなり期間が空いたが、それまでにまたいろんなことがあった。(過去の日記を読み返してはいないけど、いつも色々起きている気がする)

まず、東京へ引っ越した。改めて感じるが、地方民からすると東京はやはり「物語の舞台・中心」のような印象があって、いまだに東京に住んでいる実感がない。
東京は世界的に見ても都会だと思うから、私は過去にたくさんの地方を転々としてきたが、いよいよファイナルステージにやってきたような感慨がある。

仕事も転職先のオフィスに通ったりすることも増えたが、いかんせん会社の経営が不安で仕方がない。
会社員でいる以上、そういう心配をする日が来るなんて思ってもみなかった。
大学の同級生達は皆大手保険会社や出版社へ勤めているものだから、なんとなく同じステージにいると思っていたが、私もしかして結構底辺スレスレにいたりする?

社長は経営方針がふわふわでとても不安だし、だからといって私に営業・商業の才なんて微塵も感じられない。
こんなにも仕事にやる気のない私が、勢いで経営されている会社にいるなんて恐ろしすぎる。
ただ会社が潰れるよりも営業したくない、が勝る私の図太さは最早評価したいと思っている。

あと最近、漫才を始めた。相方をインターネット掲示板で募集し、引っ越して一カ月でライブにも出た。
幸か不幸か相方は学生お笑いをバリバリやっていたので、安定したネタと洗練されたツッコミは既に用意されていた。

漫才をやってみた印象としては、普通に楽しかった。ライブ前や途中には一切緊張がなかったが、終わった後の胃がキリキリ痛むのも、ベルトコンベア式に仕事をしているよりもマシな、いやむしろ貴い刺激に感じられた。

そのライブは私としては初舞台をよく頑張ったという印象なのだが、相方はウケの悪さを気にしていた。それは私の演技力のせいが大きいかもしれない...。そう思いつつ押し黙っていた。
ネタのブラッシュアップを頼まれ、考えてみてはいるものの、漫才のネタを作るって本当に難しい。
漫才は「フリ→オチ→フォロー」を軸に構成されるというが、いざ考えだすと「フリ」が欠落していたり、二人のキャラクターの軸がブレていたり、単純に大喜利として弱いボケしか浮かばなかったり...。

ネタを格納しているメモアプリが最近はとても堅牢に見えてきた。きっとボケも構成もバリエーションを出すのが近道だとは思うのだが、つまらないボケを量産し続けることで次第に自己肯定感が削られていく感覚が非常に厳しい。
ある程度のプレッシャーを孕む世の中のクリエイティブというものは、ただインプットとアウトプットの繰り返しではなかった。自己肯定感との耐久レースだ。

めちゃくちゃ包括するけれども、世の中結局メンタルゲーだなと思った。社会は友達と強メンタルがあれば攻略できる。様々なことを通じて行き着いた攻略法。
メンタルが強ければ大体のことは辛抱強く貫き通せる。
それでも私は自分のメンタルの弱さと孤独さに愛着が湧いてしまっている。
こういう共感性を面白いと思ってるんだろう。

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