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コントロール出来るのは自分自身🤭を軸にカウンセリングandコーチングをしてます/人をコ…

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コントロール出来るのは自分自身🤭を軸にカウンセリングandコーチングをしてます/人をコントロールしようとしない/心の護身術/心理学/カウンセリング/コーチング/

マガジン

  • 気づきの間

    応用心理学・カウンセラー・マッチョ・感受性豊かなボクがお届けする日常の気づき。

  • 留学の間

    ボクが経験した留学での価値観・経験を発信。

最近の記事

理解すること、理解されること。

今回は、僕が過去に書いた日記を 遡った時に出てきたモノを記事にしてみました。 書き起こしてみると思っていたよりも強烈でしたが、 ぜひ読んでいただきたいと思い投稿することにしました。 世の中は理不尽なのかもしれない。 社会、人間関係が円滑になるように 敏感(繊細)な自分の一部を無理矢理、鈍感にしなければいけない。 多くの人がそうなってしまっていると思う。 いや、そうなるしかなかったのだろう。 1人の人が、人を苦しめ また新たな“敏感が故に鈍感にならざるをえなかった”人を

    • 海外で起きていることは身近でも起きているって知ってた?

      日本人の見た目に対する批判や否定、イジリの多さは異常だと感じています。 その結果、異常に外見を気にしてしまう人が多くなっています。 外見に対する批判や否定、イジリが日本の悪い文化といってもいいほど日本人は他人の外見にうるさいなと感じています。 そして、影響で見た目で悩んでいる人も多くいますよね。 ほとんどの悩みは見た目さえなんとかなれば、気にならなくなるのではないかと思うほどです。 恐らく、多くの人が気づいてはいないと思いますが、外見で取る笑いほどつまらないものはな

      • 令和だからこそ、必要になっている精神論があるって知ってた?

        昭和から平成そして、令和へと時代が移り変わった。 平成の半ばからは昭和から当たり前であった、精神論が少しずつ疑問視されていた。 令和の時代では精神論がすっかり影を薄めている。 技術の向上で今まで見えてこなかった理論が見えるようになっている証拠だろう。 だが、それは自分自身が行動に移した後の話。 自分自身の習慣や何もしていない状態から行動に移るときは、精神論っぽいことが未だに必要なんだなんて思う。 習慣や行動に取り掛かるとき必要になってくることが、 “自分との闘いだ

        • 8割の人がやってしまう、間違った失敗の捉え方。

          メディアやSNSの発達で今まで見えてこなかった世界が見えるようになった。日中は働き仕事終わりに勉強や子育てなどプライベートに勤しむ人、夢のような生活をしている人もいれば、自分自身の好奇心を満たす為に生きる人。 他人の充実がスマホを開くことで見ることができるようになった。人の生き方は本当に多種多様だ。全てを知ることが出来てしまい、他人との違いで気分が上がり下がりしてしまうような時代でもある。 他人の充実に目が行ってしまうと、自分にないものに目が行ってしまう。逆に、「あの人に

        理解すること、理解されること。

        • 海外で起きていることは身近でも起きているって知ってた?

        • 令和だからこそ、必要になっている精神論があるって知ってた?

        • 8割の人がやってしまう、間違った失敗の捉え方。

        マガジン

        • 気づきの間
          11本
        • 留学の間
          1本

        記事

          始めることは辞めること

          人間は環境や人に慣れていく生き物。 その慣れがその人自身の成長を止めていることをあまり誰も知らない。 成長を止めてしまうことはかなりの痛手だと思う。 ・出世が遠のく ・お金を稼げなくなる ・恋人が出来ない 自分自身に満足することが出来ない状態が続いてしまうと思う。 それは、見えない部分で自分自身のメンタルヘルスに影響を与えていく。 カウンセラーとして人を見ている中で感じる。 だからこそ、自分自身が当たり前のようにやっている習慣に疑問を投げかけていく必要がある。

          始めることは辞めること

          自分と他人比べること本当に意味があるの?

          ボクたち人間には失いたくない、損をしたくないという思いがあります。 その為出来るだけ、自分自身に不利益にならないような効率的な判断をしようとします。 2つ以上の物を比較することでより効率的な判断をしようとします。 それはおかしなことではなく、生きる為に本能的に行っていることです。 例えば、 ・東店よりも西店の方が野菜が安い ・タクシーよりも電車の方が目的地に早く着ける といったように自分自身の中にある一定の基準があります。 その基準を基に2つの物を比較し、出来る

          自分と他人比べること本当に意味があるの?

          苦しい時は立ち上がる必要なんてない、一点を見つめるだけでいい。

          ボクらは人生の中で多くの人と関る。 その関わり合いの中で楽しいこともあれば苦しいこともあります。 むしろ楽しい記憶よりも苦しい記憶の方がずっと鮮明に覚えていたりしますよね。 そんな風に思い出す苦しい記憶は自分自身の中で決別できていないことが多いです。 その苦しい思い出が現在や未来と繋がり不安が出てくる。 そして、どうにも出来ない今が苦しくなってしまう。 苦しみや不安は他人の前で表現することが難しい、故に1人で抱えてしまう人がいる。 不安や苦しみを抱えていると感じ

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          苦しい時は立ち上がる必要なんてない、一点を見つめるだけ…

          近い関係であればあるほど難しい、歩み寄り

          人と関るということは良い影響も受ける。 それと同じくらい悪い影響も受ける。 近ければ近いほどその影響を大きくなる。 関係が長ければ長いほど相手の良いところよりも悪いところが目立ってしまう。 その感情が溜まれば溜まるほどその特定の人に対するストレスの度合いは増していく。 恋人・夫婦関係では多い問題だと感じている。 まず、そこで考えて欲しい。 ・その関係で嫌な思いをしているのは自分だけか? “自分だけじゃない” そう思うならあなたはあなたのパートナーと話し合う、意

          近い関係であればあるほど難しい、歩み寄り

          他人中心から自分中心へ

          人間関係というのは決して簡単ものではない。 過去に大きな摩擦を持っていればいるほど人間関係に対する歪みはひどくなる。 ・イジメ ・愛情不足 ボクの感じる範囲ではこれが多い。 幼少期に歪んでしまった歪みを真っ直ぐに戻すのはとても難しい。 大人になってから分かったことだ。 ボクも大変さを感じた。 ボクのクライアント様も苦労していた。 当時のボクの感覚は自分自身の人生のはずなのに、その人生の中心はボクじゃない。 そう感じたのが22歳。 大学4年生のときだ。 ボ

          他人中心から自分中心へ

          逃げずに闘う

          何をやっても自分自身が上手くいっていない時期が2~3ヶ月あった。 社会人1年目。 何事もなんとかなると思っていたし、苦手なことは得意な人に任せれば良いと思っていた。 昼間の仕事ではボク自身が出来ることをやればいいと思っていた。 こういう風に考えていた時期が社会人1年目にあった。 この考えのおかげである程度フットワークが軽くなった。 というのもボク自身が責任感というものを感じていなかったからだ。 決して自分勝手をしてたわけではない。 苦手なことは人に任せてというよ

          逃げずに闘う

          少しの配慮で変わる相手の世界

          これが言葉の本質なのかもしれない。 と思った出来事。 昼間に大雨の中運転をしていた時の話。 昼間の大雨は薄暗い。 大雨の運転は周りが見えにくい時がある。 そんな中前方の車がテールランプを付けていてくれたらかなり助かる。 その後続の車に対する優しさに心が温かくなる。 前方の車との距離感、斜線の位置など 後続を走る車にとってはかなり助けになる行為だ。 だから、ボクも雨降りは昼間でもそんなに暗くなくてもテールランプを付ける。 それは、テールランプが見えることで雨降りの運転の不安

          少しの配慮で変わる相手の世界

          批判や否定、自分自身の気持ちに気づいている?

          どれだけの人が学生から社会人への 変化を受け入れることが 出来ただろうか? ボクは学生から社会人への 変化を受け入れることは 出来なかった内の1人だ。 卒業後の春休みは 社会人になることがかなり怖かった。 働くことに対して “批判・否定“をしていた。 出来ることなら 一生学生でいたいと思ってた。 そんなボクも大学を卒業して2年。 社会人2年目だ。 思っていた以上に社会人は楽しい。 なぜ、あの時 “変化を恐れた“ のかと不思議になる。 今思えば、 ・学生とい

          批判や否定、自分自身の気持ちに気づいている?

          知識の広さがボクらの武器になり、知識の深さが武器の効果になる

          先日とある学会に参加した。 そこで改めて大切だなと 再認識したことを話したい。 ボクの前に座っていた 教授の話がたまたま耳にはいった。 話はこうだ。 健康診断後に栄養士との面談があるらしい。 そこで言われるのは毎年決まってこうだ。 「もっと運動をしたらどうですか?」 「ここの数値が高いから脂質を控えるように」 等々言われるらしい。 そんな一般的なことを 言われても分かっている。 行動する気にはなれない。 と言っていた。 ここまでは全く賛同出来なかったが こ

          知識の広さがボクらの武器になり、知識の深さが武器の効果になる

          理想と現実の差。その差にボクらは何を思うのか…

          “理想と現実” には差があることがある。 何かに挑戦しようとした時、 自分自身の想像とは違う ということはないだろか? ボクにはある。 ボクは行動を起こす時 “理想以上“になったことがあまりない。 何かが足りていない状態が多い。 もう少し出来ると思った もっと上手に話せると思った 毎回こうだ。 その時に思う。 “理想と現実の違い” 世の中の大先輩方は ボクらに諭してくれる。 “世の中はそんなに甘くない” 確かにそうだ。 “甘くはない“ 逆を取れば、

          理想と現実の差。その差にボクらは何を思うのか…

          タイミングが合うって一体どういうことなんだろう。

          世の中には“タイミング“という言葉がある。 "タイミング"なんて全く目に見えない。 ましてや感覚的に感じることも難しいよね。 ボクたちは良く “ベストタイミング” “今はタイミングじゃない” という言葉を良く使う。 “タイミング”って 良く分からないのになぜか良く使うよね。 そんな中 “タイミング”を感覚的に 分かったので文字にしてみた。 前回の記事で書いたけど、 ボクは新しい環境に飛び込んだ。 実は、2年前からその環境への誘いがあった。 だけど、その環境に飛

          タイミングが合うって一体どういうことなんだろう。

          一生、逃げ続けるのか、、、

          苦手なことから目を背けた結果 違った形で目の間に現れてきたという話。 逆に逃げたなことに立ち向かっていくと 人生の効率はとても上がると思った。 効率を求めすぎるのも良くないけどね。 今回の件はボクにとって ベストなタイミングだったと思う。 最近新しい環境に身を投じた。 その環境で壁にぶつかった。 その新しい環境では英語は必須だ。 英語は問題なかった。 が、その前に問題があった。 人と話すことに“積極性”が必要だった。 英語という武器を持っていても その武器

          一生、逃げ続けるのか、、、