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キモノ通勤再開:一人じゃないことを意識するための装置

某R社で2011年8月から2013年の11月までキモノで出社していました。当時の上長に「キモノで出勤したい」と相談したところ「キモノは日本の正装ですからよろしいんじゃないでしょうか」とおっしゃっていただいて、夏は浴衣・それ以外はまぁ木綿やウールなどの普段着でほぼ毎日通勤していました。たまに洋服で会社に行くと「コスプレ」と呼ばれたものでした。w

キモノはコミュニケーションツールとしても素晴らしく、社内で知ってる人からも声をかけられれば、知らない人も声をかけてくださいました。帯やキモノその時々の装いについてほめてもらったり質問されたりしました。社内だけじゃなくて、通勤途中で出会う人に声をかけられることはしょっちゅうあります、なんとなく「みんなが笑顔になる」って思っているところはあります。

そんな会社も退職してしばらく経過していますが、2016年の4月から新しい会社にJoinしました。入社が決まって、どうしようかなぁと思ったのですが「キモノで出社してもいいですか?」と伺ったところ了承いただきまして、キモノ通勤が再開しました。

わたしにとって、仕事に行くときこそキモノのほうがいいという選択です。スーツ着用必須の仕事はもはや自分にとって選択肢の外なんですが、、洋服的なもので自分がしっくりくるのがSOU・SOUのモンペと地下足袋でおそらくラフすぎる、がそれ以外の洋服を着る気になれないのです。(といっても、面接はその格好で行ってる)

キモノ着るのたいへんじゃないですか?という質問はよく受けるのですが、まぁ、普段着なので10分とかからずに着てしまいます。とはいえ当社比、洋服と比べれば時間も気持ちもかかってます。
#ちなみに会社に着ていくようなキモノは 、お手入れも洗濯機で洗って干せばOKなものです。

キモノを着るといつでも思うのは「自分は一人ではない」ということです。キモノは(ほんとはだけじゃないですが)、糸を紡ぐ人、染める人、織る人、仕立てる人、着付けを教えてくれる人、、といろんな人のバトンを経て自分のところ平面の形で届きます。そこで、自分が「こういうふうに着よう」という意識乗せた時に、立体の形が立ち上がり完成するのです。それは、同じキモノでも毎回違うと思っています。ここがね、キモノのすんごいところだなぁって思っています。

なので、着付ける時点でいろいろ思い出すのです。着付けを教えてくださった先生がこういってたなぁとか、キモノや帯を作ってくださった作家さんのことや、それをほめてくれたひととかそれで過ごした場面とか、色や形小物で季節や温度を感じたりとそのプロセスの中で「自分は一人じゃないんだな」っていつも確認できるんですね。

私にとっては洋服だと自分が着たいものを着るという意識が強いのですが、キモノについては他者とともに時間を重ねるという意識が強くなります。その上に、キモノそのものも自分が納得するものを選んで着ているから、それはやっぱり唯一無二のスタイルでもあります。(だれともかぶらない)
そんなわけで、職場にキモノいいなぁと思っていて、またそれを快く受け入れてくださる職場の環境がほんとに素敵だなぁとやっぱり感激しちゃう自分がおります。

2016年4月24日のShortNoteの日記を転載

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