大人のADHD外来に行ったはなしと結果

■自己評価が低いという病

「自己評価が低い」とう自覚さえなかったし知らなかった。3年くらい前に同僚のアートセラピーの集まりに参加したときに自分の描いた絵を見た彼女から「自己評価が低い」と言われた。その時はよくわからなかった「そうなんだ〜」と思った。

最近、仕事で詰められる場面がけっこう出てきててちょっと詰められただけで死にそうになる。あ、人って案外かんたんに言葉で死ぬんだなって思った。(今更かよというかんじなのですが)一度言われるとずっと引きずるし、帰宅してからも土日もずっとどんよりして鬱々としてしまう。よく、気分転換とか言うけどしたところで消えるわけじゃないしって思ってた。

同じように詰められてもひょうひょうとしている人もいる、あれ?自分だけか?!と思って振り返ってみれば、自分を追い詰めているのは自分自身で自分が自分を評価してなかったんだなということに今更気がつく。自己評価が低い分、人の評価に非常に左右されてたんですね。

よくよく振り返ってみれば、前の会社では役員の方々とも仕事をさせてもらってそれなりに何かを作り生み出すということを何回もやっていて、その時時に「ありがとう」という言葉を幾度ともなくもらっていた。言われたときは正直よくわからなくて「ふーん」くらいにしか思ってなかった。

振り返ってみれば、できないこともうまくいかないこともたくさんあったけど、できたこともたくさんあった。でも、それは自分の実力ではないし自分一人でそんなことは実現できないとむしろ恐怖におののいていた面があった。自分の中で「これ、ぜったいあったほうがいい」というものを見つけると、周りに話して「ほしくない?ほしくない?」っていっていくとなんだかみんな集まってきて手伝ってくれてできあがってくるんだけどね。でも、自分は話しただけでなにかをやったわけではないことがおおくて、それが恐怖だった<なにぶん、自己評価が低いので。

なので、今更になって「ああ、いろんな人が自分をカヴァーしてくれてきたし、支えてきてくれたんだなぁ」ということを知って泣けた。なんもわかんなくて、いっぱい迷惑かけたし不調法だし、失礼だし申し訳ないこともたくさんしたと思う。でも、それでも助けて支えてくれていたんだなと思うと泣けてきた。

そう思うと死んでもいられないなと思うようになった。
「できない自分」をなんとか対処しないといけない。ひとつは、産業カウンセラーの元同僚に話を聞いてもらった。話してみると今の自分をあんがいポジティブに受け止めてもらえた。

ADHDのクリニックに行ってみることにした。もともと覚えられないとか、人が当たり前にできることに興味が持てなくてケアレスミスが多いとか前々からたぶんそうだろなぁと思ってた。そうだとしても、努力や工夫で改善されることもわかっていたので「病気」の宣言をすることは努力をしない宣言をするように思えたので、行く気にはなれなかった。

けど、さすがに「なんで覚えられないんだ、できないんだ」と言い続けられると特性として確認しておいたほうがいいい、助けてもらえるところがあるなら助けを求めることにした。簡単なテストとヒアリングで注意欠陥性障害の疑いがありということだった。詳しい検査はまだこれから。
ちなみに「自己承認欲求」というのをよくきくけど、自分はなんとなくフィットしない。

■大人のADHD外来にいってみたはなし(まだ半ば)

最近は、だいぶ発達障害がどんなものか理解されるようなトピックスがまわってくるようになって。自分もたぶんそうだろうなあともうずっと長いこと思っていた。が、だとして工夫ややり方でなんとかできる部分もあるので「病気」扱いにすることはその努力を放棄するような気持ちもあってそのままにしておいた。

のだが、最近しごとでこの傾向が強く出ていてうまく適合してない感がしてきたことと、本を読んで「やっぱりなぁ」というところもあったので重い腰をあげてクリニックに行ってみた。かんたんな選択式のチェックシートとやりとりでADD(注意欠陥性障害)の疑いが強いとのことでした。

とはいえ、この手の症状があるとほぼ社会不適合からうつになるパターンが7−8割だそうで、私のように一応社会参加できてるケースは珍しい方と言われました。<といわれても、わたしはいつも発狂しそうになりながら過ごしておりますが(笑)

それで一回検査をしてみましょうか?と言われて、その検査とやらをお願いしたんですが。事前の趣旨説明とかもなくて臨床心理士の方にやっていただいですが、これが「知能テスト」てきな感じで「正解ありき」の減点方式の空気満々でげんなり。さらに保険診療外っておいおいきいてないよ〜って。

なんのためのどういうテストとか事前にコンセンサスとんなくていいの?! 最初のアンケートでまずは保険診療内でと伝えてあったんだけどな。
やれやれ先が思いやられる。あと1回検査うけることになってるんだけど、、、。ひとまず、いまはここまで。

■ADHD検査の結果がでてきた。
2016年の年末にADHDをみてくれるクリニックに行って、ADD(注意欠陥性障害)の疑いありと言われて、検査を受けました。

年をまたいで2回。明らかに知能テストだな〜と思われるものなどを、臨床心理士の先生とマンツーマンでうけました。ここに詳細は書きませんが、なにを求められているのかわからないとか、正解がありそうな質問を目的もわからずに答えるのとかけっこう辛かった。検査の方針もあってか、淡々と行われるのもしんどかった。総時間3時間程度で二日に分けて行われました。人によって時間と回数は変わるようです。

あと、この検査は保険対象外。えー?!先生きいてません!最初に言ってくださいと次のときにいいましたけど。最初の問診から結果までで保険を使った分も含めて3万少しくらいかかったかと思います。

先週、検査の結果を聞きに行きました。
結論からいうとADDという診断でした。

興味深かったのは、IQは高かったんですね。自分でもびっくりしました。上位数%というところなんだそうです(まぁ、これ鵜呑みにする気もないけど参考値として)それにたいして、作動記憶って数値が落ち込んでて、これが自分の「生きがたさ」の根っこらしいです。

前頭葉の働きがにぶく、投薬をすれば頭がよく回るようになるのとのことでした。先生曰くは、歳が若ければすすめるけど、私の場合それなりの歳なので積極的にはおすすめはしないと言われました。おそらく人格的なものにも影響しそうで、副作用ないの?とかどうなるの?など全体がわからないのでここ調べてから判断しようと考えました。

そういう目線で、自分の行動をみてみると「日常行動」のイメージが作りにくいなぁとあたらめて思います。興味がもてる行動の範囲が狭いというのか。で、人が当たり前にやってること、できてることにあんまり意識が行かなくて、これが自己嫌悪になって爆発して死にそうな気持ちになることが時々あります。

ちなみにたぶん若い頃はADHDだったと思います。多動的な言動は身に憶えがあります。

いったんは投薬なしとしてはいるものの、うへーけっこう辛いなぁという現実もあります。 振り返ってみれば自分はいつでも死にそうだったんだろうなあと思います。で、そこに向き合うとつらすぎるので「死にそう」という感覚にフタをしてきたように感じました。

よくやくこの問題が明るみになって、さあ、どうやっていこうかな?とうなっているイマココです。
それにつけても、障害ってお金かかるなぁ。

※2016年11月から2017年1月にかけてShortNoteに公開したブログ3回分をまとめました。

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Psty七転八倒の備忘録

いつか誰かの役にたつかも知れないと思うことを忘れないように書いておきます。
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