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平成転向論 小峰ひずみ

 いいこと書かなあかんプレッシャーを勝手にかけて、全然書けなかった。

 でも、今しか書けないことがある。

平成転向論(小峰ひずみ、2022)

 出版されてすぐ借りて読み、また今年に入って必要な気がして購入した本。


「転向」という言葉について、簡単に。

〈転向〉
 政治的、思想的立場を変えること。特に、共産主義者・社会主義者が弾圧によってその思想を放棄すること。
Wikipediaより


 平成転向論が取り上げているのは、SEALDsの転向だ。

〈SEALDs〉
 自由と民主主義のための学生緊急行動(英語: Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)、略称でSEALDs(シールズ)は、2015年5月から2016年8月まで活動していた日本の学生により結成された政治団体・学生団体。反体制的な活動により、公安調査庁の監視対象にもなっていた。しかし、新時代の学生運動として、有名人が多数賛同したことでも知られている。
Wikipediaより


 SEALDsが活動していた時、ちょうど僕も大学生だった。でも、今以上に社会の問題への関心はなく、自分の学生生活(部活やバイト、勉強)で頭がいっぱいだったと思う。


 どこかでデモやイベントとすれ違っていたはずなのに、見た記憶も友だちと話した記憶も残っていない。

 政治とか学生運動とか、きっと大切なことを言ってるんだろうけど、何となく距離を置きたい気持ち。

 だから、SEALDsの話は近くて遠い。

 それなのにこの本を読んで、感想まで書くのは、「政治的活動をしたい!関心を持とう!」という宣伝をしたいから…ではない。もちろんあるにはあるけどね。

 この本について書く理由に入る前に、本の紹介をしよう。

SEALDsの転向

 勢力的に活動し、賛同者も多数いたSEALDsは解散した。学生たちは政治的な活動を辞めて(つまり転向して)、ふつうに就職して生活をしているらしい。

彼らはなぜ「転向」したのか?
その「転向」にはどんな背景があったのか?
「転向」しないで活動するとはどういうことか?

 そんなことが本には書いてあった。


 正直に言えば、学生運動・政治的活動にそこまで興味はない。街頭演説やビラ配りをする活動家の横を冷たく通り過ぎる群衆の1人だ。


 本来の「転向」は、学生運動、特に政治的な活動を辞めて、言ってしまえば普通の社会に戻ることを指している。

 その意味での「転向」は僕に当てはまらない。


 それでも、この平成転向論には、僕のことが書いてあった。

自分の転向

 先日、学生の時から続けてきた、障害者運動に基づく活動を辞めた。外から見たらただの転職だけど、僕にとってはそれ以上の意味があった。 

 「何もできない障害者とその介護をする者」という社会のまなざしと戦うために、僕は活動を続け、そして辞めた。

 SEALDsと状況も活動内容も違う。でも、不思議と似たところを感じる。それはもしかしたら、同じ時代の空気を吸っているからかもしれない。とにかく、どうしても他人には思えなかった。


 これからの自分は(筆者の描く)SEALDsのその後になるのだろうか。それは僕にとって一番身近で、あり得る未来だ。

 でも、未来はそれだけじゃない。

 筆者の用意した、SEALDsのアナザーストーリーは鷲田清一と谷川雁という人物だった。

 2人は一見、転向したようにも見えた。

 しかし、実際に彼らの言葉を紐解くと、非転向者のあり方が見えてくるのだった。

僕の非転向論

 非転向者として生きる未来が自分にもあるのだろうか。

 形式的には転向した新しい生活の中でも考えてきた。これからも生活は続く。でも、非転向のイメージが少しずつ描けてきたように思う。

 自分は何がしたいのか、何ができるのか。

 ずっと考えてきたし、これからも考え続けたい。


 これから僕の非転向論は始まる。

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