見出し画像

「誰かの悩みに寄り添う」ということと、SEO(Webコンテンツマーケティング)の関連性【cakesnotefes】

6月29日(金)、仕事を終えると渋谷に向かって急いだ。
cakesnotefesに参加するためである。

今回のイベントで特に「目玉だ」と思っていたのは、Vogue Girlでおなじみのしいたけ先生のコーナー。そして、noteでも大活躍中のエロデューサー・佐伯ポインティさんのコーナーだった。

この記事は、そんなcakesnotefesで得た所感を綴るものだが、ピックアップしたいのはしいたけ先生でも佐伯さんのコーナーでもない。
スイスイさん、サクちゃんさん、そしてDr.ゆうすけさんの三人が登壇した、
「悩みに寄り添い、書き続けること」
というコーナーである。

大変恐れ入るのだが、私はスイスイさん、サクちゃんさん、Dr.ゆうすけさんがnoteで連載をしていることを存じ上げなかった。
ゆうすけさんに関しては、ツイッターのアカウントは何回か見たことがあり、フォローはしていなかったのだが、存在は知っていた。

スイスイさんは、『メンヘラハッピーホーム』
そして、サクちゃんさんとDr.ゆうすけさんは『月刊 自己肯定感』という連載を持っていらっしゃるとのこと。
三人のトークを聞いていて、「この三人に共通しているテーマは、『メンタルヘルス』なのだろう」と思った。

メンタルヘルス。
それは私にとってもはや「日常」であり、岩に寄生するフジツボのように、私の中にビターっと貼り付いていて未だに離れてくれない、離れてくれる気配がない存在である。
そのため、メンタルヘルスに関するトピックに日々ふれている三人のトークに、関心を持たないわけがなかった。

読者から日々寄せられる悩み相談に対し、三人がどのように寄り添って執筆をしているのか?ということがトークのお題である。

お題に対して繰り広げられるトークを聞きながら、私は、本来は全く関係ない領域だろう「SEO(Webコンテンツマーケティング)」について、考えずにはいられなくなってしまった。

共感する≠寄り添う

私の中では、ゆうすけさんの言葉が特に強く印象に残った。

ゆうすけさんは、「誰かの悩みに寄り添うということは、共感するということではない」と考えているらしい。

悩み相談を受けたとき、「その人に寄り添いたい」と思うがゆえに、共感している態度を示す。それって、結構みんなやりがちなことだと思う。

しかし、ゆうすけさんは、それは本質的な寄り添いではない、と言った。

ゆうすけさんは内科医だが、興味関心が強いということで、メンタルヘルスに関する知識もたくさん持っている。
専門的な知識も経験も持っているからこそ出てきた言葉だと思ったが、要は悩みを抱える人に「共感」したところで、それが直接その人にとっての良い結果に繋がるとは限らない、という。

ゆうすけさんは、「死にたい」と思っていた人の絶望が、「生きたい」という希望にひっくり返る瞬間を見るのが一番好きらしい。

しかし、その希望を引き出すには、相当患者と関わらなければならない。
その人の家族に近しい存在になり、もはや自分のライフワークといえるぐらいに関わる覚悟がなければ、他人に寄り添うことなどできない、というのだ。

例えば、「自己肯定感が低い人ってこういう特徴があるんですよ。改善するには、こういう方法がありますよ」という言葉は、知識として患者に伝えることができる。
改善の方法のヒントや情報を言うことは、知識がある限り、いくらでも言える。
だが、それは、本質的な「寄り添い」ではなく、浅いレベルでの共感に留まってしまう、とゆうすけさんはいうのだ。
そういったヒントの提供は、知識をつけることで出来るからである。

現状のSEO記事(Webのコンテンツマーケティング)に抱いているモヤモヤ

いきなり話のジャンルが変わるようだが、私はゆうすけさんの言葉を聞いて、以前からSEO記事の制作体制や姿勢に対して抱いていたモヤモヤが、ワッと可視化された感覚を覚えた。

私の職業は、Webライターである。
そして、私が今仕事で書いているコンテンツは、SEO特化型の記事だ。

あるKWに対して、どのようなユーザーのニーズが含まれているのか。
それを読み解き、ユーザーの悩みや疑問に答えるような【課題解決型】のコンテンツを日々、制作している。

私個人の経験や思想に基づいたものを記事化しているのではなく、元々存在している情報を、ターゲットの読者にとって読みやすい文章にまとめ、噛み砕いて説明する。
そのKWで検索したユーザーの意図はなんなのか?
その意図に対して、最適なタイミングで、最適な「答え」を提供すること。
それが、現状私が行っているWebライティングの仕事である。

私が作るSEO記事は、ユーザーの悩みと疑問に答える「お役立ち情報」を提供する媒体である。
そしてその内容は、既にある何かしらの情報を参考にしたものであり、完全オリジナルなものではない。
そこに「人格」はないし、「感情」もない。

悩みを抱える人に寄り添うということは、共感するということではない。
ましてや、身につけた「知識」を伝えれば補える、というものでもない。
ゆうすけさんは、そう言った。

私はこの言葉をそっくりそのまま、自分がいま行っているコンテンツ制作の体制に当て嵌めることが出来ると思った。
「知識」を、「既にある情報」に、置き換えることで。

ユーザーの検索意図と向き合い、それを読み解き、最適な答えを提供する。
それもひとつのSEOの役割であることは変わらない。
また、現状Googleに評価されているコンテンツで【課題解決型】のものが未だに強いパワーを持っているのも、まあ確かなんじゃないかと思う。

だが、これからの時代、果たしてそうした姿勢と作り方を継続していてよいものだろうか?
生き残っていけるのだろうか?

実は、そんな疑問をずっと前から感じていた。
それこそ、「浅いレベルの共感」と同じものしか、読者に提供できないままなんじゃないか?
そう思っていた。

ゆうすけさんは、こんなようなことも言っていた。

「ついつい、僕達みたいな医者って、役に立つことを書いたり言ったりしちゃうんですよ。「お役立ち」コンテンツが僕達に求められていることだって思っちゃうし、それを提供するのが僕達の役割だと思ってました。でも、最近はそういった「お役立ち」を提供するのではなく、人間の本音を言ったり書いたりしないと価値が産まれないんじゃないかと思っていて。
だって、役に立つ系のことを言ったり、そういうこと言えますよーっていう肩書きを待っていても、それって究極的には誰が言っても一緒の情報を言っているに過ぎないじゃないですか」

このゆうすけさんの言葉に、共鳴せずにはいられなかった。
私が前からSEOコンテンツの制作に対して抱いていたモヤモヤは、まさにこの言葉に通じるものがある、と思った。

「情報」は、あくまで「情報」だ。
検索して、出てきたページの体裁は違くとも、書いてある内容が変わらなければ、別にどのページを見たところで一緒である。
調べれば出てくる内容を再編成して分かりやすい言葉で届けたところで、それが人にもたらす価値とは、果たしてどれぐらいの「重さ」を持ったものになるだろうか?

Googleは、口をすっぱくして言ってきたはずだ。
オリジナルで、独自性の高いコンテンツこそが、Googleが評価するコンテンツである、と。

しかし、現状のSEO対策やWebコンテンツマーケティング全体を見渡すと、それが果たして実現できているのか、正直言って疑問だ。

「いやいやうちのオウンドメディアはオリジナルで独自性の高いものを配信してSEO対策ばっちり出来てるし」
というメディアからすれば、私の意見は勉強不足から出た意見に聞こえるだろう。
しかし、少なくとも私が今やっている仕事は、その領域に達しているとは思えないのだ。

読者とエンゲージメントを築けているのか分からないし、読者にとって優良なコンテンツを届けられているのか、自信がない。

これからのWebコンテンツは、「雑誌化」していくのではないだろうか?

既に、ニュース速報記事などはAIが作れる時代になっているという。

それを聞いたとき、真っ先に思ったのは、「ああ、お役立ち系コンテンツって今後AIがバンバン作っちゃうんじゃないかな」ということだった。

情報をわかりやすく統合し、まとめ、網羅できる機能を持ったAIが登場すれば、私のような【課題解決型】のコンテンツしか書けないWebライターたちは、あっという間に仕事を奪われる気がする。

そんな時代が来たとき、私たちはどうすればいいのだろう。

単なる「情報」の発信は、別に人間がやろうが機械がやろうが変わらない。
何の熱もないし、気配もない……というか、「お役立ち」にそういったものは別に求められていない。
人間のWebライターが「お役立ち」をただただ書いて出す時代は、いずれ終わっていくと思う。

では、人間のWebライターに求められることは何だ?

私は、一人の生身の人間だからこそ書けるコンテンツを作ることだと思う。

例えば、個人の経験や思想。
そういった、「感情」と「人生」を持った人間だからこそ書けるコンテンツが、今後はGoogleにも読者にも評価されるのではないかと思う。

例えると、Webコンテンツは、今後「雑誌化」していくのではないだろうか。

雑誌は、確固たる思想と世界観を持った、非常に人間くさいメディアだ。
ファッション雑誌ひとつをとっても、個性はさまざまである。
記事のひとつひとつが、その雑誌が描く思想と世界観の色を帯びている。
雑誌の中のコンテンツには、人間のにおいがあり、気配がある。

そういった「雑誌的」なWebコンテンツやWebメディアが、これからの時代はどんどん価値を獲得していくのではないだろうか。

本来的な意味を考えれば、SEOとはそれこそ、「誰かに寄り添う」ということな気がする。
だからこそ、そんなに簡単に、達成できるものではないはずなのだ。

一回検索して貰って、引っ掛かってもらって、KPIを達成したりコンバージョンを獲得したりして、はいさよなら。

発信者と読者が強いエンゲージメントを築き、双方が満足を得られる(本当は読者に満足してもらうことを優先すべきだけど)コンテンツを提供するには、それでいい筈がない、と思う。

何度も来てくれる、何度も行きたくなる。
そういったWebメディアを、私は知っている。
そしてそういったWebメディアが、どうしてそのようなエンゲージメントを築けているのか考えたら、ものすごく「雑誌」っぽいからだ。

私にできる仕事は、現状、書くことしかない。
この仕事(文筆業)で一生食っていくと決めているし、これ以外にできることがあるとも思えない。
だからこそ、生き残りたい。

Webコンテンツを取り巻く環境は日々めまぐるしく変化していくのが当然……そんな共通認識は、Web系の仕事をしている人ならばみんな持っているだろう。
その変化に対応し、サバイブするには、現状に対する課題感を常に持ち続ける意識を持っていないと、動向を観察する目は養われない……。

そんなことをしみじみと、そして少しゾッとしながら考えた一夜だった。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

頭の中は、いつもごみ箱です。血まみれの愛の中で生きてます。夢は、死ぬまでに本を出すこと。それから、自分と自分の人生を心から愛せるようになること。

明日も生きましょう スキ!
18

加賀美サイ(作家ライター)

◉エッセイ、(私)小説、ファッション◉性・精神障害・生きづらさ・恋愛・文学・音楽・サブカルなどを書きます◉ちなみにADHD◉もがきまくっている日々◉連載中:オトナのハウコレhttps://otona.howcollect.jp/m/user/index/id/76

Essay 「ごみ箱の頭」

エッセイをまとめました。人生、恋愛、思想、性(ジェンダー)、精神障害、芸術、文学などについて、ほとばしる情熱のままに、暑苦しく書き散らかしています。
1つ のマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。