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「スッと深く入って、サッと上がってくる」

一昨日同僚に言われた、私への「カウンセリング評」

前提として、SNSカウンセリングは、全ての応答のログが残るのが特徴です。

なので、どの職場でも相談担当者のログの検討が行われていることが多いのではないでしょうか。

タイトルの言葉は、一昨日、私がSNSカウンセリングをしているときに、職場の同僚から言われたことです。

「サイコロ次郎さんのカウンセリングは『スッと深く入って、サッと上がってくる』、誰もマネできない」

この「スッと深く入って、サッと上がってくる」というのは、ある意味では私のカウンセリングの本質を突いている、言い方を変えると(ログが見れるとはいえ)凄く観察されているんだなと感じました。

「スッと深く入って」「サッと上がってくる」これは、エリクソニアン・アプローチの特徴だからです。

「スッと深く入る」については、「受容・共感」という受動的ラポール構築だけではなく、カウンセラー側からも積極的・能動的にラポールを構築することで、短時間で深いところまで話を聴いていくスタイルを端的に表現されています。

また、「サッと上がってくる」は、「落ちるだけで終わらせない」ということです。

カウンセリングとは、「重荷を抱えて共に沈む」ものであると主張されている方も少なくありません。

しかし私は、それだと「クライエントが余計にネガティブになるだけではないか」と常々腹立たしく思っています。

うろ覚えですが、同じくエリクソニアンの森俊夫先生は、このように述べています「相談室に入ったときよりも、相談室を出るときの方が気持ちが軽くなるようにする。それがセラピストの最低限の仕事である」

私も完全に同意です。クライエントが一歩踏み出す気持になる、前向きになる。そういった「前向きな変容」を生じるようにアプローチすることが、カウンセラーやセラピストの役割です。

逆に「やっぱり私の悩みは誰にも解決できないようなものなんだ…」のような、よりネガティブな変容で終わっているのでは、素人以下です。

深めただけではなく、そこから「上がる」。このセットができて、初めて「クライエントのニーズ・期待に応えた」と言えるのではないでしょうか。

ただ「話を聴いて欲しいだけ」というニーズであっても、よりネガティブにする必要はありません。(クライエントが「やっぱり私はダメなんだ」というネガティブな肯定をして終結する。それが「クライエントの役に立つカウンセリング」と思われているのなら別ですが…)

そして、「スッと」「サッと」という言葉で表されるように、「短時間」で終結することが多いのも、エリクソニアンであるブリーフセラピスト(短期療法者)の特徴の一つです。

もちろん、カウンセリングはただ短ければ、早く終われば良いというものではなく、クライエントの自己理解(内省)などに役立っているものであることが前提です。

その上で、タイムチャージでお金を頂く、またクライエントの人生には限りがあることを考えれば、「悩みをできるだけ短期間で解消する」ということは、金銭的・時間的パフォーマンスに優れていることになります。

ダラダラと暗い話にばかり花を咲かせて、何も解決せずに終わる。それを何回も続ける…

それが、今までの「間違った傾聴理解」に基づく、自己満足カウンセラーの主流でした。

結果、「カウンセリングなんて役に立たない」と言われるようになったのは、至極当然なことです。

ただ、気になるのが「誰にもマネできない」と最後に言われたことです。

日本人の特徴なのか、基本的にカウンセラーもネガティブな人が多いと思うんですよね。

クライエントから「なかなか難しくて、どうしたらいいかなって思うんです」って言われたら、「そうですよね、やっぱり難しいですよね…」と応答してしまうみたいな。

私としては、そこは「どうしたらいいかなって思う」この「前向きな気持ち」にフォーカスしてほしいのに、「難しい」にフォーカスしちゃうんですよ。

この辺りはちょっとモヤっとしたり。

蛇足ですが、そういえば先週は別の方から「サイコロ次郎さんは、子ども相手でも敬語を使っているのに、スッと入ってますよね」と不思議そうに言われました。

これは「子ども相手に敬語を使うと距離感が生まれる」という誤った理解があるからです。

「子どもを相手にするときは、敬語を使うと距離感が生まれるので、あまり堅苦しくならないよう、敬語を使わないようにしましょう」というのは、とても表面的で浅い「テクニック」です。

距離は縮めるものではなく、クライエントに「縮めたいと思って貰うもの」=ラポール構築力です。

この根本的な理解がないから、「敬語じゃダメ」という浅い技術論になってしまうんですね。

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