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22卒限界海外美大勢就活レポート ーNo.1 就活全般編ー

 7月末に内定2社いただいて就活を終えました。21年3月から本格的に始めた就職活動が想像を絶する難易度だったため文章にてまとめたいと思います。

 今回は海外からの就職活動で大変だったことについて説明していきたいと思います。ちなみに、日本で就活する日本人美大生や韓国人の学生らにとっておそらく全く参考にならないような行動とっているので、参考資料としてではなく、個人の日記として読むことをおすすめします。

目次
1.はじめに ~私自身のスペックについて~

2.圧倒的に不利だった外国人の就職活動
・コ口ナにより滅茶苦茶になった就活
・情報不足と慢心によるFラン就活
・理不尽な卒業制作との板挟み


1. はじめに ~私自身のスペックについて~
 
日本で生まれ、中学までは日本で生活していた在日韓国人でした。その後、中国行ったり、韓国の有名大学進学したり、韓国人としての責務を果たすために二年弱軍隊に参加したりしていました。

 大学ではプロダクトデザインを専攻しており、将来は家具や家電、ガジェットのデザイナーになりたいなぁ~と漠然とした思いを持ちながら3年生になるまでだらだらと学生生活を送っていました。その後さすがに準備しないといけないと考えて長期インターン2社でオリジナル商品のデザインを担当したり、国を跨いだデザインプロジェクトの日韓通翻訳を担当させていただきました。運よくどちらとも大きいプロジェクトに参加できたため、これで日本企業も大きな経験として評価してくれるだろうと安心していました。

このような経験から以下のような能力を持って就活に挑むことになります。
・Photoshopスキル(資格有)
・プロダクトデザインスキル
・英語(TOEIC平均ぐらい)
・韓国語(ネイティブクラス)
・中国語(旅行で困らない程度)
・軍隊経験で得た耐久力、責任感
・インターンでの実際の業務経験
・イラスト制作スキル(二次創作楽しんで個人依頼受ける程度)


 これだけあれば企業が私を注目しない訳がない、これで大手企業でバリバリ働けるぞ!と天狗鼻になってました。その後、2021年3月。地獄の門が開いてから、出鼻をくじかれるのでした。

2.圧倒的に不利だった就職活動

 ついに始まった就職活動。3月1日になってすぐに某就活サイトで気になる有名企業をかたっぱしからエントリーしました。しかし…

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落選しまくりで見事にボコボコにされます。(漫画は6月中旬に製作)

・コ口ナにより滅茶苦茶になった就活
 日本企業のインターンに参加せず、OB訪問もなく、中小企業がオンライン選考を行っておらず、周りに情報共有できる友人やキャリアセンターもありませんでした。キャリアセンターは大学内にあるのですが、コ口ナ禍での海外の求人情報がかなり少なくなっていたため、活用できませんでした。日本でもコ口ナによる就職難は騒がれていますが、それに加えて情報的にも地理的にも難しい環境であったことは間違いありません。(コ口ナのおかげでオンライン選考が活発になったことでかなり救われたとも言えます。)

 今になって振り返ってみるといろんなスキルがあったとしても、肝心のデザイン能力が平均程度。外国語スキル1か国分=英語スキルに相当すると勘違いしていたこと。軍隊や入学時期の調整などが原因で従来のストレート卒業の学生と3歳差が出てしまっていること。さらにはコ口ナ禍による海外求人の減少と日韓関係の悪化も相まって圧倒的に不利な状況でした。

 日韓関係の悪化が関係するといった考えに至った理由はエントリーシートの通過傾向です。マイナビ国際派就職やキャリアフォーラムといった海外に留学に行った日本人留学生や外国人留学生向けの求人サイトで掲載されている企業にはおよそ80%で通りました。反対にそうでもない企業からはことごとく書類選考で祈られています。憶測ではありますが、特別な理由がない限り普通の企業では対立が発生するかもしれない外国人ではなく、手っ取り早い日本人を取り入れる方針だったのでしょう。

・情報不足と慢心によるFラン就活
 それに加えて自分の準備不足も目立っておりました。大手企業に入りたい!という考えが先行したため、製品、家電、家具、家具量販店、インテリアデザイン、建築、さらにはゲーム業界など…などむやみやたらにエントリーしていました。さらにはその業界で活躍できるような作品をそれぞれ1、2個程度しか制作しておらず、挙句の果てにはESの文章が全く練られていなかったのです。

 簡単に表すなら、本来最初にやるべきはずだった就活の軸の決定や自己分析、業界研究を中途半端に行っていたのです。それでよりプロダクトデザイン内でもより細分化されている業界を絞らない状態で就活していました。ゲーム業界向けのポートフォリオにいたっては本格的に準備を始めたのが同年の1月上旬からです。完全になめ腐ってますねこいつ… これに気づいた後から少しずつ調整するようにしました。いろいろスペックを証明できるものを準備したはずなのにどれも中途半端になっていることで対策していなかったのが問題でした。


・理不尽な卒業制作との板挟み

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 卒業論文や卒業制作と聞くと皆様はどのようなイメージを思い浮かびますか? "3年間で学んだことの集大成"…? 私もそのように考えております。しかし、私の学校は少し特殊でカーデザイン専攻とか空間デザイン専攻といった明確な専攻分離がされていないにも関わらず、卒業制作時には製品、空間、自動車デザインの内2つ制作しないと卒業できないシステムになっております。つまり、自分が学んだことのない項目の作品も高クオリティで製作しないと卒業できないのです。本来、もう一つ項目があり、私はそれと製品デザインで卒業制作をしようと考えていましたが、途中で軍隊行って戻って来たらその項目が抹消されていました。そのため、過去3年間勉強したことのない自動車デザインを行うことに。先に卒業した友人からは"講師が放任主義な人だから自由に作ればいい"と聞いていたので自分が作りたいものを作って完成させればいいと甘く考えていました。

 しかし、講師が去年とは別の方になり、製作方針が変わります。その講師が求めているのは自動車デザイン専攻で3年間学んだ他大学の学生と同等のレベルのものだったのです。できるはずがない。自由な製作とはかけ離れたプロジェクトの進行を強要され、毎週のように通常でもハードに思える課題をこなしつつ、大手だからという理由以外の志望動機のない企業のエントリーシートを脳みそ絞り散らかしながら製作し、提出する日々を送っていました。月曜から木曜までは車デザインの課題、土日にエントリーシート提出。週に1,2徹は当たり前で、合間に説明会聞いたり、他の講義の勉強したりする生活となり、休日らしい休日はありませんでした。これが4カ月続きます。

 自分がやりたいシンプルで愛らしい箱のようなデザインを製作することを禁止され、アイデアを出しては捨て、出しては捨てられるような進行でした。さらに講師は私以上に傲慢な性格でその講義を受けている5人中全員が車デザインをやったことないにも関わらず、自分のデザイン能力を誇示したり、あたかも自動車メーカーに就職させるような言動をしています。地理的不利よりもこっちの方が精神的にはるかにしんどかった。本当に。

 このような限界な状況で本格的な就職活動は5カ月、長期インターン含めると1年半程度の就活を行い、43社の選考を受け、プロダクトデザイン系企業1社とゲーム系企業1社に内定をいただきました。

 就活中の活動環境について説明させていただきました。今後の記事では制作したポートフォリオや面接で起きたトンデモ話、海外勢の活動方法などについてお話ししたいと思います。今まで応援していただいたフォロワーの皆様、相談に乗ってくださった方々には本当に感謝しております。これについても次回以降の記事で紹介または感謝の意を記す予定です。

 質問がありましたらぜひコメント欄にご記入ください。
それではまた今度~


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