ぐすたふ@臨床心理士

日本のどこかで、人のこころを専門に生きています。主にカウンセリングしたり、心理検査を取…

ぐすたふ@臨床心理士

日本のどこかで、人のこころを専門に生きています。主にカウンセリングしたり、心理検査を取ったり、時には医療職向けに研修の講師をしたり、学校で心理学を教えたり。臨床心理士・公認心理師。

最近の記事

心の中のファンタジーを語れることの大切さ

過ちを犯したとあるクライエントは私に言った。 貧しく不遇だったころ、自分が悲劇のヒロインだというストーリーを頭の中で思い描いて何とか自分を慰めていた。でもそれを誰かに話すことのないまま過ごしていたら、どんどん肥大化していって、いつしか頭の中のストーリーを現実にしてしまった。と。 社会的経済的に満たされているのにいつも猜疑心から誰かと対立しているクライエントがいた。 人間は守りたいものが増えれば増えるほど、それを失うのではないかと不安が募るものだ。そして不安は外側に敵を作るこ

    • 人はみな、呪いにかけられている

      呪いって、本当にあると思いますか? 例えばそれは、藁人形を思い浮かべるかもしれません。 誰にも見られないように怨念を釘打ちに込めて、他人の不幸を望むというものです。 呪いを定義づけると、「物理的手段を使わず、精神的(霊的)手段によって他者を不幸にすること」ということになります。 そんなもの、科学的ではない。ずっと昔の時代の話だろう。 そのように思うかもしれません。 しかし実際には、呪いはあちこちに蔓延っています。 いまの時代、最も身近に存在する呪いは「SNSによる匿

      • 差し出せるものを差し出せるか?

        自分には何もない。 大事な人にも、社会にも、自分自身に対してさえも、何も差し出すことができない。 こんな自分に、存在する意味はあるのだろうか。 日本社会はモノに溢れ、サービスに溢れ、手間をかけることが必要ではなくなりました。 あらゆる物事が完成され、整えられ、飽和しています。 それ故に、ほんの一部の"社会システムを作る人々"に属さない多くの人々は、以前にも増して自己効力感や達成感を得にくくなっていると感じます。 自分がやれることなんてこの社会には無いのではないか。

        • 人を修理することはできない

          カウンセリングをしていると、色んな方が聞いてきます。 「何が原因なんでしょうか?」 「何のせいでこうなったんですかね?」 「〜が悪かったんですか?」 「〜をなおせば、変わりますよね?」 そう言いたくなる気持ちは痛いほど分かります。 何が原因で、今の問題があるのか。 こうなった元凶は何なのか。 問題があれば、それはなにかの原因による結果として現れていると考えるのが自然でしょう。 しかしそれは残念なことに、モノの考えになっています。 人間を「修理」しようとしているのと同じ

        心の中のファンタジーを語れることの大切さ

          心理士の私のこころの本棚:現代文学①

          本が好きです。 たくさんは読みませんが、それでもコンスタントに読んでいます。 最近はもっぱら専門書を読むことばかりになってしまいましたが、心理の仕事を通して様々な方から教えて頂いた本もたくさんあります。 ここに、たまにふと思い返したり、読み返したりする本を記していこうと思います。 たくさんあるので、ひとまず今回は現代文学に絞って、パッと思い出すものを挙げてみました。 (ランキングではありません。) 斜に構えず有名な作品をピックアップしたつもりなので、読んだことがある方も

          心理士の私のこころの本棚:現代文学①

          「物語る」ことが全てを癒す

          カウンセリングの効果って、何だと思いますか? カウンセラーから、新しい思考法を学ぶこと? カウンセラーから、適切な対処法を得ること? カウンセラーから、自分の深層心理を知ること? 全て正しいようでいて、その本質ではないと考えています。 では何が本当の効果なのか? それはタイトルに示したとおり。 「カウンセラーに、物語ること」なのです。 いやいや、待てよ。 物語ることはその手段であって、効果ではないだろう。物語ることによって、何かの効果を生むのではないのか? そのように

          「物語る」ことが全てを癒す

          罪の意識が罰を欲する

          「植え付けられた罪悪感」 カウンセリングをしていて、これが如何に人々を苦しめるか実感しています。 例えば家庭で。 子どもからの「○○に困っている」「○○してほしい」という状況に対して、親が要求に応えつつも"迷惑をかけられている"とか"無理をさせられている"という態度を示す。 その態度というのは、言葉で「あんたの要求に応えたから私がとても大変な思いをした」などと言うのかもしれないし、あるいは舌打ちしたり曇った表情をしたりするのかもしれません。 あるいは意識的でなくとも、"

          罪の意識が罰を欲する

          組織は型が小さいと終わる

          ダイバーシティ(多様性)という言葉が謳われるようになり、最近はその制度化が進んできています。 多くの企業もダイバーシティの視点を取り入れ、性別や学歴を問わない採用を行ったり、マイノリティであっても働きやすい制度を設けたりと取り組みが盛んになっています。 それは単なる、権威を持つ者からの優しさではありません。 マジョリティからマイノリティに向けたボランティア精神ではありません。 「みんな仲良く」を実現するためでもありません。 さてしかし、「ダイバーシティ」という言葉

          組織は型が小さいと終わる

          心理士として自分に言い聞かせていること

          私は臨床心理士です。 とても奥深い仕事です。 常に自分に立ち返ることが求められるので、私は何者か、私は何をもって私なのか、考えながら生きています。 常に自分の軸がないと振り回されるので、私は何に依拠しているのか、私が戻る場所はどこか、確認しながら生きています。 そしてその度に、自分の弱点や課題を見つけます。 だからこそ、私は自分に言い聞かせていることがあります。 その言葉たちは、私が心理の道を志したときからずっと、私と共にあります。 その中のいくつかを、ここに書き

          心理士として自分に言い聞かせていること

          子どもの政治で世界を平和にできる

          世界平和の実現って、特別な人にしか出来ないと思いますか? 経験豊富でなければ、リーダーシップがなければ、知的能力が高くなければ、富を持たなければ、出来ませんか? ワールドピースゲームをご存知でしょうか。 簡単に言えば「世界を平和にするゲーム」です。 アメリカの小学校教師ジョン・ハンター氏によって考案され、現在は多くの国で実施されています。 TEDでご覧になった方、テレビ番組で知った方もいらっしゃるのではないかと思います。 ルールはこうです。 現実世界に蔓延る多くの問題(政

          子どもの政治で世界を平和にできる

          負の共鳴は美しいが悲しい

          あなたにはありますか? ネガティブなアイデンティティが。 例えば「いつも人に譲っている私」とか、「いつも最後に失敗する私」とか。 心理学では、ネガティビティとか、ネガティブナルシズムとかいわれているものです。 自分の中のネガティブなイメージ(パターン)が、自分の一部として染みついていく。 そしてそれは"自分"であるために必要な要素の一つになる。 そもそもネガティブが何かを定義しようとすると難しいですが、ここでは"自分を生きづらくするもの"と考えていただければいいと思い

          負の共鳴は美しいが悲しい

          心理士の私が絶対に使わない言葉

          心理を仕事にしている私が絶対に使わない言葉があります。 それは意識して使わないでいるというよりも、自然と使うことが出来ないから使わないのです。 私は、「絶対」という言葉を使いません。 「絶対に大丈夫ですからね」 「絶対こっちのほうが良いよ」 だって世の中には絶対なんて絶対に存在しないから。 そんな言葉を無責任に使うことはできない。 でも、あれ?矛盾だらけです。 でも、それが心理士としての私なんです。 矛盾した存在として一貫して存在する さて、題名をこれだけ強く

          心理士の私が絶対に使わない言葉

          躁が求められる時代に抑うつになる勇気

          早く起きて朝活。 仕事はがむしゃら。 夜はジムか飲み会。 土日は自己研鑽。 みんなこうして頑張って、上向いて、時間を無駄にしないで、人脈広げて、ポジティブに、何事も楽しんで。 怒りはコントロールして、悲しみは切り替えて、上手くいかないことは論理的科学的に修正して。 そんなの、虚像です。 落ち込んで、いつもは出来ることが出来なくて、誰にも会いたくなくて、羨んで、嫉妬して、誰かに優しくして欲しくて、思いきり殴りたくて。 ありのままの感情を無視したとき、一つ自分に不誠実に

          躁が求められる時代に抑うつになる勇気

          アシベさん、「死んでくる」宣言

          アシベさんが「死んでくる」と宣言しました。 アシベさんは長い間、自身のキャリアについて考え、悶々とした日々を過ごしていました。 それはアシベさんの横に居る私にとっても、長く感じられる日々でした。 こういう時、臨床心理士ではなく「アシベさんのパートナーである私」として存在する私は、親のようにアシベさんを心配したり、子のようにアシベさんの頼りなさに怒ったり、きょうだいのようにアシベさんに対抗心を燃やしたりと心忙しくなってしまうのです。 (だからこそ、noteでアシベさんを心

          アシベさん、「死んでくる」宣言

          夢の探求は対話の中で生まれる

          印象的な夢をみた。 なんだか自分のこころに強く響く感じがある。 そういうとき、スマホで「夢占い」と検索してみる。 今日みた夢はどんな意味があるんだろう? それらしい答えを見つけ出してくる。 このような経験がある方は少なくないと思います。 さて、心理の専門家として「夢」を用いるとき、それは「占い」とは違います。 だからネットでいくら調べても、夢の心理学的分析を"本当に"知ることはできません。 ("本当に"と書いたのは、ある程度の指標にすることが可能な場合もあるだろうと想

          夢の探求は対話の中で生まれる

          コントロール出来る/出来ないを仕分けする

          最近の私自身に起きた出来事です。 食事の後、私は食器を洗っていました。 ふとアシベさんを見てみると、横になってテレビを観ています。 「アシベさん、テーブル拭いてもらえると嬉しい」 声をかけました。 「はーい」 アシベさんはすぐに返事をします。 さて、私が食器を洗い終わってテーブルを見てみると、明らかにまだ拭かれていないことが分かります。 私はアシベさんに再度声をかけるのも面倒になり、ため息をついてテーブルを拭きました。 なんてことのない、日常よくある風景です。

          コントロール出来る/出来ないを仕分けする