月曜日記 Part1

 日記をつけ始めることにした。といっても、初日から、何を書こうか十分ほど悩んでから、思い出したようにさらさらと、少しだけ変わったことを書くだけ。其の内容も本当に些細なこと。無理にでも出来事を書かなければ、とでも思わなければ決して思い起こされることもないような。

 三日目にして、日記を書く習慣はなくなった。「私は飽きっぽいのだろうか」という嘆息よりも、「三日目にやめるのは、三日坊主というのか……其れとも、三日坊主にも満たなかったのか、どちらなのか」といった思考の方が、私の関心を引いた。

 やはり、毎日無理に日記なんて書けない。書くことを無理にひねり出すなんて、純粋じゃあない。そう、自身に言い訳して二日分だけ書かれた日記帳をどこかにしまおうとしたが、「今、此れをしまったら二度と開かない気がする。其れはどうにも、もったいない」と考えて、もう一度開いてみた。

 一月十一日 月曜日

 今日から日記をつけることにした。

 仕事に行った。年が明けて仕事が始まって……いきなり祝日。やっと仕事モードに身体がなってくれたので、正直、休みではない方がありがたい。とりあえず家にいる気分でもなかったので、少し出かけた。成人式があったようだけど、会いたい友達もいないから自分のハタチの時にも行かなかったくらいだし、興味がない。振袖が何人かいたけど、そんなことよりも体臭が酷いおじさんが電車にいたことの方が私にとっては大きなニュースだ。


一月十二日 火曜日

 仕事に行った。お昼ご飯を買いにコンビニに行ったら、四百四十四円でゾロ目だった。珍しいから喜ぶべきなのか、四が並んで不吉だと落ち込んだら良いのかよくわからなかった。


 日記は此処で終わっている。自分で読んでいても、非常に面白くなかった。そもそも、「記憶を整理することで快眠が出来るんだって」という同僚の言葉を間に受けて日記帳を買ったのだが、整理するほど私の記憶は散らかる要素がなかったようだ。毎日同じことの繰り返し。日記帳を選んでいる時は「なんだかんだ色んなことが起こるんだし、ちょっと行数とかページ数が多い方良いよね」などと思って分厚いものの購入を決めたわけだが、なんと驚いたことに私は、一ページも埋まらずに放棄しようとしていた。

 どうしたら、此の日記を埋めるほどの出来事を書けるだろうか。ルーティンワークと化した時間の消費の中で、其処までのことが一日の中で起こるのだろうか。……一日の中で?

 「そうか」と思わず声が出た。一人暮らしの部屋で、無為についているテレビの音声よりも少し大きな程度のボリュームで。

 一日一日の出来事で考えるから何も書くことがなくなるんだ。ならば……一週間に一度、まとめて振り返れば、七日間分の出来事が蓄積されているのだから、たくさん書くことがあるに違いない。それに週一であれば、飽きることもない。そう考えた。私の中で其れは素晴らしい閃きであり、「私」の性格を誰よりも知っている私にしか浮かばない画期的なアイディアだと信じた。

 何曜日に書こう、という決断に時間は要さなかった。月曜日の夜だ。普通なら金、土、日のいずれかの夜を選択するだろう。然し、私は「土日の方が日記に書くことは多いのだから、其れらの記憶は鮮明な方がよく書ける」と考えた。更に、平日の中でも月曜日は他の曜日とは気の重さが別格だ。土日が楽しければ楽しいほど、月曜日の心境は反比例する。だから、月曜日も含んだ日記の方が自分の心情の変化が見えて面白いだろう。そう考えた。

 そして、私の「月曜日記」が始まった。

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