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部活をやめろ再び 膨れ上がる怒り

「芸術家気取りが」「そんげんことしても生活できん」
幼い頃から一人で絵を描く私を褒めてくれていた父はどこかへ行ってしまった。再婚後、私が演劇や美術などに夢中になることを父と継母は、嫌がり、けなしはじめた。私が美術の授業で描いた絵はどれも地元のコンクールに入選した。褒めてもらおうとして賞状を見せると「好きなことばかりして」「そんなものもらっても飯は食えない 数学ができる方がよほど良い」と逆にイラつかれて責められた。だから入選しても賞状などの証拠を隠すようになった。中学では団体行動が苦手なのは、文化部に入っているからだと追求され演劇部を無理やり辞めさせられた。私はそのまま何の部活にも入らずに3年間を過ごした。

 中学を卒業して高校に入った私は、放送部に入った。芸術系に入るとまた嫌がられると思ったので、放送部ならいいかなと思って入ってみた。全国放送コンクールというのがあり、私の行っていた高校は全国大会の決勝の常連校だった。それも魅力だった。高校では、なにか好きなことを見つけ、上手くなって本気で極めたいと思っていた。

放送部の顧問の先生が、私が好きな国語の先生だということも良かった。彼女は、九州大学を首席で卒業した才女だった。彼女は、自分で読破した膨大な数の本の中から選んで生徒に面白い本を勧めてくれた。彼女が国語を受け持ったクラスの教室の後ろのロッカーの片隅には、小さな本棚が置かれた。そして、その時に彼女がオススメする本を並べておいてくれた。彼女の本棚にある本は、高校生の試験問題に出てくるような古くて難しく説教くさい内容の本は、なかった。絵本や字の大きな可愛い挿絵描いてあるの本など、楽しくて読んでいるとホロリと暖かい涙が出たり、冒険でワクワクするような本が多かった。私は、彼女に文章を褒められて、のちに文章を書くことも好きになった。とても魅力的で、良い先生だった。今、思い出しても人生で一番のお気に入りの先生だ。      

 高校2年の夏ごろだっただろうか、私は他の同級生たちとともにコンクールの一次予選を通り抜けて県大会に出場を決めた。もう来週県大会というある日、私の帰りがいつもより30分遅くなってしまった。6時までに帰る予定が6時半になってしまったのだ。帰るのがなぜ遅くなったのかお継母さんに問い詰められて、「部活で練習で遅くなった もうすぐ県大会だから」と言ってしまった。何かに夢中になっているとすぐに「調子に乗りなさんなよ」「いい気になりなさんなよ」と注意されるので、私は部活にしても好きな事にしても何をするにも「私は何事にも特に夢中になっていません」という姿を見せるように親の前では心がけていた。だけどこの時うっかり必死になりすぎて「もうすぐ県大会だから」と言ってしまった。そしてまた、中学時代と同じ事が起きた。

「門限を破ったんだから罰として今日から部活はやめること、県大会にも行きなさんな、もし行ったら学費を止めます」

 何度頼んでも許してくれなかった。顧問の先生に泣きながら事情を話した。先生は、「まぁ、仕方ないわね」と困った顔をして「あんたは英語もできるし、英語を頑張ればいいじゃない?」と慰めてくれたが、そんなもの何の慰めにも気休めにももちろんならなかった。

 もし私が県大会に出られたとしても全国大会にまでは届かなかっただろう。全国大会にもし出られたとしても上位には行けなかっただろう。全国大会に出場した先輩たちのパフォーマンスと自分の実力を比べれば、私がそんなに抜きん出て勝ち抜ける事がないことはわかっていた。わかっていたから出られなくなったことでなおさら、先生の「仕方ないわね」「英語をがんばれば、、、」という言葉も、放送の県大会を勝ち抜く才能がない自分に「まあ、いいじゃん、あんたの実力じゃどうせ全国はいけないんだからさ」と言われたような気がして卑屈になった。

 大会の日、私はずっと自分の部屋にいた。一緒に練習してきた同級生や後輩は、大会へ出場して行った。悔しかった。「仕方ないね」と言った先生の困ったような苦笑いが、目に浮かんだ。同級生は、みんな同情してくれた。「みんなで木下のうちの親に嘆願にいこうか」などとも話してくれていたようだった。でもそんな彼女たちに対して私は理不尽な憎しみさえ感じてしまった。「いいよね、あんたらは、大会に出られて、いいよね、あんたらは頑張れば褒めてもらえて」「うちの親に嘆願なんかしたら、みんなが帰った後また二人から殴られて何時間も責められる、、、そんな家庭があることなんてあんたらには想像もつかないんやろうな そんなあんたの家がうらやましいよ、、、」もちろん、心配してくれて同情してくれる人たちにそんなこと言ってはいけないという理性があったから絶対に口には出さなかった。でも、正直言って、私は怒りでパンパンに膨れていた。抑え込んで、抑え込んで、今にも弾けそうな怒りにまみれた私は、その怒りを親だけでなく罪の無い同級生、先生、世の中全てにぶつけてやりたい!と思った。みんな私と同じ思いをしてみろ!どいつもこいつも他人事で話ししやがって本当に腹が立つ!!って感じだ。

 大会が行なわれている時間帯にお継母さんは、私の部屋に見回りに来た。部屋に私がいるのを確認すると「へぇ、行かなかったんだ 行ったのかと思った よく行かなかったね」と意外そうな顔をしながら軽い口調で言った。私が自分の言いつけを守っていることを確認したお継母さんは、満足さを隠すような涼しい顔で部屋を去っていった。数分の出来事だ。部屋に一人残された私は、ポカーンあっけにとられた。「え?それだけ?それだけのために私は県大会に出なかったの?一生懸命やってきたことをやめたの?」高校生の私は、そう思って、何が何だかわからず、混乱した。「これは、なんだ?!なんのための儀式だ⁈ 」

ワケがわからなかった。

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