「オワコン」という言葉が嫌い。
「○○はオワコン」と煽られて、住処を移してる人が実は一番損をする。
「ラジオはオワコン」、「出版はオワコン」ってずっと言われてるけど、
今になって尖ったコンテンツが出てきてる。
それは、「オワコン」と言われても去らないくらいそのコンテンツを愛してる人が、コンテンツの本質的価値を救い上げてるからだと思う。
むしろ、「オワコン」と言われて去っていくような野次馬がいなくなった焼け野原のほうが一輪の花は見つけやすいのだ。
「これからは○○だ」という煽り文句はいつの時代でも存在するが、その表面的な字義だけを捉えて、前時代をdisってしまう思考では、結局次の時代の真ん中にはいけない。
大事なのは、「なぜ『これからは○○だ』『✗✗はオワコンだ』と言われるのか」という部分。
ここに仮説が立てば、煽られて右往左往することはなくなる。
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