Publicus 金澤一行

行政コンサルタント/公共とは、世の中をよくしたい、困っている人を助けたい、誰かを幸せに…

Publicus 金澤一行

行政コンサルタント/公共とは、世の中をよくしたい、困っている人を助けたい、誰かを幸せにしたいと思うすべての人が作るものです。行政の政策、民間企業のサービス、地域での活動などを通じて、みなさんがどうやって公共に関わっていけるかを一緒に考えていきたいと思います。

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  • ヤンキーとセレブの日本史

    古代から続くヤンキー文化が我が国の歴史に与えてきた影響を伝えるための通史です

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ヤンキーとセレブと日本の歴史    Vol.0 はじめに

ヤンキーとは現代特有のものなのでしょうか。 歴史を遡ると日本にはヤンキー的な文化を多く見つけることができます。 たとえば、世界遺産にもなっている金閣寺。 金色で一つの建物の中に禅宗と武家と貴族の建築様式を全部混ぜたスタイル。 見た目はゴージャスで、かっこいいもの全部足したらもっとかっこよくなると考える、極めてヤンキー的な発想でできたヤンキー建築です。 この金閣寺を建立したのは、室町幕府3代将軍、足利義満。 地方の守護の反乱を抑え、南北朝に割れていた抗争を終わらせたバリバリの

    • ヤンキーとセレブの日本史Vol.19 明治時代その1 

      徳川幕府から天皇に政権が戻り、実質は薩長を中心に、薩長に協力をした土佐(高知)と肥前(佐賀)を中心にした田舎ヤクザが仕切る政権ができます。 そもそも新政府ができた背景には、外国のマフィアに的にかけられてヤバい状況を変えなければならないという事情があります。芋を引いた幕府が外国マフィアに飲まされた不平等な条約を変えなければなりません。 そして、ヤンキーとして望むのは西洋マフィアの仲間に入ることです。ヤンキーですから、西洋マフィアのように自分たちも同じように外国にシマを広げたい

      • ヤンキーとセレブの日本史vol.18 江戸時代その3

        いよいよ幕末です。江戸幕府が始まって約250年。強烈な身分制と、武家諸法度ででっちあげられたいつわりのヤンキーらしさに従って生きる時代。幕府が弱くなることで、ようやくヤンキーらしい時代が戻ってきました。 外国とのシノギ鎖国の目的 昔の学校の歴史の授業では、江戸時代は外国との取引をしない「鎖国」だったと教えられていましたが、最近はそう言わなくなっているようです。 ヨーロッパとはオランダとだけ長崎の出島で貿易をしていましたが、朝鮮や中国とも外交はありました。それに沖縄と北海道

        • ヤンキーとセレブの日本史vol.17 江戸時代その2

          江戸時代はよくも悪くも変わらない時代です。 それは、家康がずっと自分の子孫が権力を握れるように仕組みを作ったところから始まり、その仕組みは当初の目的を忘れ、決められたことを守る事自体が伝統となり、保守的に続くようになってきました。 ヤンキーにとっての江戸時代とは 江戸時代は、強烈な身分制がある時代です。 生まれついた身分に基づきつける仕事も決まります。少しの例外を除いて、基本的に実力で何かを掴み取るというのは難しいです。 反面、みんながまあなんとか食っていけるという時代でも

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        ヤンキーとセレブと日本の歴史    Vol.0 はじめに

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        • ヤンキーとセレブの日本史
          21本

        記事

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.16 江戸時代その1

          関ケ原の戦いで勝ったことで、徳川家康による支配が始まります。 江戸時代は約250年続く、安定した時代です。 江戸幕府が長く続いた理由は、過去の政権の失敗を回避する策を仕組みとしてしっかり組み込んだことにありました。 江戸という土地家康は、江戸に本拠地を移します。 関東平野は日本で一番広い平地ですが、江戸は当時は不毛の地でした。 利根川の水が流れ込んできて、水はけが悪い湿地帯で、雨が降ると数日水浸しになり農業ができません。昔は、関西から東北に行くには関東を通らずに鎌倉を経由し

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.16 江戸時代その1

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.15 安土桃山時代

          皆がヤクザの戦国時代から全国統一につながっていく流れを作ったのは、御存知の通り信長、秀吉、家康です。 織田信長の時代信長と言えば、おそらく日本史上で一番ヤンキーっぽい人というイメージではないでしょうか。若い頃はみんなに「うつけ(バカ)」と言われて有名なヤンキーでした。 織田信長は尾張(愛知県)の小さな組の跡継ぎでした。名をあげたのは静岡の今川組というそこそこ有名な組を倒した桶狭間の戦いという抗争でした。 そのころ、室町幕府の将軍足利義輝が反乱した大名に殺され、その弟の義昭

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.15 安土桃山時代

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.14 戦国時代その1

          ヤンキー的でもあり、ヤンキーらしくもない時代、戦国時代応仁の乱が終わって、誰も室町幕府の言うことを聞かずに自分勝手にやり始めます。ここから戦国時代のお話です。正確には室町幕府が残っているまでは室町時代なのですが、幕府の力が弱くなりすぎて、地方のヤンキーたちが好き勝手始めているので、室町末期から戦国時代は同じ枠組みで見たほうが分かりやすいと思います。 戦国時代は一見すると、戦国武将同士の抗争が激化するヤンキー全盛の時代と見ることもできます。 しかし、それだけでは戦国時代のこ

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.14 戦国時代その1

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.13 南北朝・室町時代その3

          室町幕府は偉大だった3代目義満が死んだ後、息子の義持が4代目を襲名します。 義持は父のことが大嫌いで、父を否定するようなことばかりします。 朝廷が死んだ義満に「法皇」の称号をあげると言ってきます。法皇は引退した天皇しかなれないものです。父親が大嫌いな義持はそれを断ります。 そして、義満が始めた明との貿易も辞めてしまいます(その後すぐに復活するのですが)。 義持の政治は、義満の作った基盤の上で、まあまあ安定してはいたのですが、その裏で守護大名たちの力はどんどん強まっていきます

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.13 南北朝・室町時代その3

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.12 南北朝・室町時代その2

          有力なケツモチがいないと世の中は荒れます。 強いケツモチがいる時は、いちいちケンカをしなくともケツモチの名前を出せば相手も引き下がるので、無駄な抗争は抑えられましたが、ケツモチがいなければ単純に暴力の強さで白黒つけるしかありません。 グダグダ抗争が長引く鎌倉時代後期からの暴力の分散化により、西日本を中心に地元のヤンキーたちが力をつけており、何より奈良に逃げた後醍醐天皇の「南朝」があったことで、尊氏と「北朝」は、日本全土を掌握しきれていませんでした。 後醍醐天皇が尊氏をぶっ殺

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.12 南北朝・室町時代その2

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.11 南北朝・室町時代1

          鎌倉時代に始まった暴力の分散化は、ついに国を割るような事態にまで発展していきます。この時代は日本で初めて天皇が二人出てきて国が割れた時代です。 その主役は後醍醐天皇と足利尊氏という二人の人物です。 室町が如くこの連載の目的は99%以上が、ヤンキー文化の普遍性と素晴らしさを伝えることですが、1%くらいは、日本史をわかりやすく解説することも目指しています。わかりやすくするには、パターンで憶えるのが一番楽なので、ヤンキーとセレブという2つのパターンを憶えて応用させる形を取っている

          ヤンキーとセレブの日本史Vol.11 南北朝・室町時代1

          ヤンキーとセレブの日本史Vo.10 鎌倉時代4

          暴力の分散化 平安時代はセレブが統治する時代です。 鎌倉時代はヤンキーが統治する時代です。 そして、その次の室町時代はみんながヤンキーになる時代です。 この鎌倉時代後期から、その兆しが見え始めました。 そのポイントは暴力の分散化です。 鎌倉時代は、頼朝の親っさんとの約束でシマのケツモチをしてもらうことで、ヤンキーたちもまあまあ統制が取れていました。暴力の元締めが鎌倉に集中していたのですが、ここから先は地域ごとに暴力の元締めが分散していきます。 鎌倉幕府が回らなくなってき

          ヤンキーとセレブの日本史Vo.10 鎌倉時代4

          番外編 ヤンキー魂で東大入試を解いてみる

          ヤンキー魂で東大日本史は解けるのか? 今回は番外編で、ヤンキーの知識で東大入試の日本史を解けるかチャレンジしてみたいと思います。 東大文系入試の社会科は世界史・日本史・地理の3つから2つ選択です。 そのうち、日本史は独特の問題で、提示された資料を見ながら、なぜそのような事件が起きたのか考えさせる問題で構成されています。 見方によっては、膨大な量の固有名詞を憶えないと回答できない私立大学の入試よりも難易度は低いともとれます。 その代わり、丸暗記では回答ができず、なぜなのか理由

          番外編 ヤンキー魂で東大入試を解いてみる

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.9 鎌倉時代 その3

          モンゴル襲来鎌倉幕府がようやく安定してきた頃、外国からのカチコミがやってきました。元寇と言われるその抗争のあらすじは下記のとおりです。 このあらすじはツッコミどころ満載です。元寇で何が起きたかは色々な説が多く、何が正しいのかはまだ答えが出ていないところも多いようです。 「神風」に関しても、昔は日本は神の国だから神風が吹いて外国の軍勢から守ってもらえる説がまことしやかに語られており、第2次世界大戦中にはその説が都合よく使われた歴史もありました。 私はヤンキー研究家なので古文

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.9 鎌倉時代 その3

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.8 鎌倉時代その2

          ゲーム「龍が如く7」の主人公は春日一番という元極道です。 一番は風俗店で生み落とされ、親の顔も知らずにグレて育ちました。 若い頃ヤクザに拉致られ、助かりたい一心で自分は有名な組の組員だと嘘をつきました。呼び出された組長は見ず知らずの若者を助けるために、落とし前として自分のエンコを詰めました。そこから一番は組長のところにしつこく通い詰め、子分にしてもらい、組長の息子の世話係を任されるようになりました。 一方でその組長の息子は自分がヤクザの息子であることを心から嫌がっていました

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.8 鎌倉時代その2

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.7 鎌倉時代 その1

          平安末期の源氏のあらすじ鎌倉時代に入る前に少し平安時代後期の源氏のあらすじだけ追っていきます。 源氏の組長だった義朝は、平家との権力争い平治の乱で負けてぶっ殺されました。その子どもの頼朝もぶっ殺されそうになりましたが、清盛の義母がさすがに子どもを殺すのはかわいそうと命乞いをするので、伊豆の田舎に流される事になり、頼朝は伊豆で青春時代を過ごすのです。 まさに青春です。 伊豆では、地元の北条組の組長、時政が頼朝の監視をすることになっていました。 時政には政子という娘がいました

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.7 鎌倉時代 その1

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.6 平安時代 その3

          ヤンキーの成り上がり寺ヤクザからの脅しもひどくなってきたので、天皇はヤンキー武士をボディガードとして雇うことにしました。 このときにボディガードになったのが三重のヤンキー平正盛・忠盛親子でした。ここから平家一門の成り上がりが始まっていきます。 そのころ白河上皇の娘が死んでしまい、悲しんだ上皇は出家して法王になったのですが、正盛はそこにシマを寄進して白河法皇に取り入りました。法王としても源氏が強くなっていたので源氏だけに頼るのは危なく、他の組とも関係を深めておかねばならないと思

          ヤンキーとセレブの日本史 Vol.6 平安時代 その3