もしもバスがなかったら

こんにちは。
公共交通について思うことを書くといっても
何から書けばよいかわからないので、
今日は最近ニュースになることも多いバスの運転士不足について
思うところを書いていきたいと思う。

「もしもバスがなかったら」

これは実は去年、日本バス協会が(おそらく)運転士不足問題に絡めて
作成していたPR動画のテーマになっていたものだ。
バスは公共交通の一翼を担う重要な交通手段で、
特に近・中距離の移動では主役級の存在感がある。
そんなバスがなかったら困ることは目に見えているが
私個人に当てはめるとどうかというところを考えてみたい。

私は普段、バスをよく利用する。
趣味である登山をするときに登山口までダイレクトに届けてくれるのはいつもバスだ。
そんなバスは常に週末登山を楽しむ登山者でごった返しており、
通る道は狭く、くねくね曲がった山道だが
バスの運転士は大型二種免許を有するプロのドライバー。
不安を感じたことは一度もない。

「もしもバスがなかったら?」

私が登山を楽しむことのできる山は限られ、活動範囲も狭まるだろう。
自家用車で狭くて曲がりくねった山道を運転してまで登山をしたいとは思わない。
山を下ってへとへとに疲れている中、事故のリスクを抱えてまで自分で運転して帰るのも御免だ。

それに社交の機会も減るだろう。
私は小さな居酒屋やバーが好きなのだが、
飲んだ帰りはバスに乗って早く家に帰って寝たいのだ。

「もしもバスがなかったら?」

バブル期でもあるまいし、数千円も使ってタクシーを呼んだり、
家族や知人にわざわざ車で迎えに来てもらうのに気を使うくらいなら、
そもそも飲みに行かないだろう。
外国ではバーやナイトクラブ等のいわゆるナイトエコノミーが
コロナ後に落ち込み、その活性化政策のために
バスや電車等の最終便の繰り下げ、終夜運転等が行われているが
飲食店を盛り上げるにはそれだけ公共交通が重要な要素なのだろう。

ここまでで趣味の範囲は狭まり、社交の機会も減った。
では日常生活ではどうだろう。
買い物や仕事に行くには私はバスを使っていないので
特に困らないかと思えば、そうもいかなそうだ。

私の住んでいる地域は交通渋滞がひどく、
平日休日問わず中心部では常に渋滞が発生している。
そんな状況で

「もしもバスがなかったら?」

考えてみてほしい。
電車には規模で劣るが、バスは「大量輸送機関である」ということを。
朝夕にはひっきりなしに発着しているバスターミナルの光景を。
1台のバスに仮に30人の乗客がいるとすると、
全員が自家用車を使えばそこには30台分の渋滞が発生するのだ。
路上に溢れる車によって発生する空気汚染、増大する事故のリスク、
そして(個人的には特に)渋滞によって無駄になる時間とコストを考えると
その影響は計り知れない。まさに、暮らしが立ち行かなくなるのだ。

では非常時ではどうだろう?
日本は自然災害が多く、災害時に交通機関が麻痺することはもはや
「想定外」なんて言ってられない、想定内も想定内なのだ。
台風や地震で空港や線路がダメージを受けると、飛行機や鉄道といった
交通機関はサービスがストップする。だが人の移動需要はストップしない。
そんな時でも「道路さえ繋がっていればどこにでも行ける」バスは
移動需要に応え人を運び続ける。

東日本大震災で鉄道が不通になった際、
関東と東北のバス会社が高速バスを総動員してピストン輸送をしていた
のを覚えている方もいるのではないか。

パンデミックのさなかにも、公共交通機関としてバスは動き続け、
バス運転士はエッセンシャルワーカーとして、
他のエッセンシャルワーカーが支障なく働けるよう、
また社会が麻痺しないように人を運び続けた。

「もしもバスがなかったら?」

私はここで恐ろしくなって考えるのをやめにした。
自然災害だらけのこの国で、山だらけのこの島で、
多くの人口を抱えた都市で、バスがなくなるなんてあり得るのだろうか。
あり得るとしたらそれはなぜだろう。
運転士不足が原因だとしたら、なぜ運転士不足なのだろう。

私たちは「移動できる権利」をあまりにも当たり前に感じ、享受する一方で
それを支えることを怠ってきたのではないか。

そうでないのなら、人々の生活を支え、尊敬されるべき立派な職業である
運転士がなぜ不足するのだろうか。

国が、行政が、バス会社が。
バスの運行には様々なステークホルダーが絡んでおり、
どこも現状に対して責任が全くないとはいえないだろう。
だが逆にどこかが全ての責任を負っているという訳でもないはずだ。
そしてこの3つのどこにも絡んでいるステークホルダーがいる。

私たち、一人一人だ。

もちろんバス会社にとってはサービスの利用者として。
そして私たちは国や行政に対して税金としてお金を払い、
そしてそのお金を使って日常生活がスムーズに送れるよう
運営を行うための代表者を選んでいる。

その私たちが、「移動できる権利」の重要性を認識し
今後も維持していけるように行動できていただろうか。
バス事業が、そしてそのバス事業を支える運転士が
どれだけ大切な存在か、理解していただろうか。

この運転士不足の危機を経て、
公共交通を、そしてそれを担う存在を
正しく認識できるようになりたい。

「失ってから気づく大切さ」
なんてバカみたいな使い古された表現を繰り返さないよう、
個人にできることを考えていきたい。