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私はここでだけ傷つく

実家に帰っている。
とは言っても、金曜の深夜到着して、日曜の昼頃には三重県の自宅に向かってまた出発する。
夏休みだから実家に、とかそんなんじゃなくて、祖母の一周忌法要のための帰省だ。
実家に帰るんだ、と人に話すと、ゆっくりしてきてね、と返ってくる。
そのたびに「ああ、あなたにとって実家はゆっくりできる場所なのね」と羨ましくなる。

うちの子どもたちは母が想定する「子ども」よりすこしばかり元気が過ぎるらしい。
母は、子どもを育てたことがないのだろうか、と思うような心の狭さではっきりと私たち一家に疲弊する。
母は私たち一家の帰省を心待ちにしたりしないし、楽しんだりしない。
だからいつだって私はびくびくしながら帰省して、義務感のような数日を過ごしたあと、逃げるように自宅に帰る。

3姉妹の真ん中で小さいころから常に二の次で育ってきた感覚が染みついている。
妹が産まれるまで母は「お姉ちゃんのお母さん」だったし、妹が産まれてからは「妹とお姉ちゃんのお母さん」だった。
姉も妹も体が弱くて出来がよく、母はいつだって彼らに気持ちを砕いていた。
私のことは「なんにも心配がいらない子(元気だし友達も多かったから)」と便利なラベルを貼って、忙しくて余裕のない彼女の意識の外側に追いやっていた。
そしてそれは今、優しくて理解のある夫と結婚して、3人の子どもをもうけた私にもう一度返ってきている。
「あなたのことはなんにも心配していない」と。
「気楽そうでいいわね」と。
「楽しそうでいいわね」と。
──つまり私の助けは必要としていないわよね?
母の目はいつもそう言っている。

今回の帰省は祖母の一周忌法要ということもあって親戚の子どもたちがたくさん集まっていた。
長女と息子は彼らに会うのをとても楽しみにしていて、彼らが到着する2時間も前から時計を見ては「まだかなぁ」と心待ちにしていた。

息子が特に一緒に遊びたいのは少し年上のお兄ちゃんとお姉ちゃん。
けれど、息子との相性もあるのだろうか、わんぱくな息子がおとなしい彼らには疎ましいのだろうか、息子が彼らと一緒に遊ぼうとするとさりげなく避けられていた。
「いーれーて」と声をかけるも無視をされるか、小さな声で「だめ」と返ってくるか。
息子はしゅんとして私のもとに抱きつきに来てはめげずにまた「いーれーて」と言いに行く。
末っ子がその周りを「にーに『いーれーて』言った!」と彼らに訴えるようにうろうろする。
彼らは無視を貫いて黙々と遊び続ける。
息子はそれでも諦めきれず、うつむいたまま彼らのそばに立っていた。

私は、「だれかの心か身体を傷つけること」に関しては絶対に叱ると決めている。
また、ほとんどの場合において、よその子も、自分の子もいけないことをしたら等しく叱ると決めている。
この場面でも、傷ついているのが我が子だからではなく、自分より小さい子を仲間外れにして平気で遊ぶ姿は許されたものではない、と思ったから叱った。

「自分より小さい子が仲間に入れてもらえなくて横で見てるよ。これって遊んでて楽しい?いいこと?よく考えな。あなたたちもう何年生??自分の頭でちゃんと考えなさい」

そう言いながら息子の姿が実家に歓迎されない私の姿とかぶって泣きたくなった。
いつもなら毅然とした態度で、子どもたちにもっとわかりやすいように伝えることができるのに、感情がぶくぶくに泡立って語気が思わず震えてしまう。
実家に泊まって、母に「ゆっくりしていってね」と言われたいけど絶対に言われない私と、頑なに仲間に入れてもらえない息子がシンクロした。

彼らは顔を見合わせて「えー。どうするー?」と言うだけだった。

隣では息子がなおうつむいたまま立っていた。

宿泊は実家ではなく近所の宿泊施設だった。
遠方から来た親戚と一緒に、私たち一家もその宿泊施設を予約したのだ。母が。こういうことはたびたびある。
何かしらの気遣いだと思うこともできる。母が年中疲れていることも分かる。私たちがいると気が休まらないことも分かる。
けれど、表面をいくら笑顔で取り繕ったって、息苦しくて仕方がないのだ。
ここにいるのは「遠方の親戚の皆さん」で実家がすぐそばにある私とはちがう。ちょっとした旅行気分の人たちと、実家にやってきたはずの私とはちがう。どれだけ振り払おうとしても「ここじゃない」思いは私の頭の片隅から離れてくれない。
彼らはもてなされているけれど、私は檻に入れられただけなんだから。

夜、寝る前に息子が「明日もまた入れてもらえなかったどうしよう」と言った。
「どうしてだめなのか聞いてみようか。もしかしたらちゃんと理由があるのかもしれないよ」
「うん、そうだね。あと僕もどりょくするっていうのも大事だよね」
「お、おう。努力ね。よく知ってるね」
「うん。あとは、がまんする、もあるね」
「そうだね。どうしても遊んでもらえないときは我慢することも必要になるかもね」

今日は朝食を食べたらお墓詣りに行って、それからみんなでプールに行くらしい。
正直言って気が重い。また息子が仲間外れにされるのを見なくてはならないのだ。
その後は実家に寄って挨拶をしてから帰るんだろう。
それもやっぱり気が重い。
母が帰宅する私たちを心底ほっとした顔で見送る顔を見なくてはいけない。

いちいち傷つくのもいい加減やめたいんだけど、努力も我慢もしてるんだから傷つくくらいは許されてもいいと思うんだよね。
私だって「実家」に憧れくらいはあるんだし。

とりあえず今日の息子を全力応援。


また読みにきてくれたらそれでもう。