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奇跡の出会いは本当にある! 3

彼らと出会った時、私は”ロックンロール・ウィドウ〜♪”だった。小6と中学生の娘がいて、彼女らのお父さんとは、13の年齢差があり、親はもちろん、周囲の誰からも反対されたにもかかわらず結婚。だが反対されるだけのことはあった。始めはよかったが、瞬間湯沸し器みたいにすぐ頭に血がのぼり、怒鳴るから普通の会話が出来ない状態だった。喧嘩がたえず13年、いよいよ本気で離婚を宣言した翌々日の早朝に、くも膜下で倒れていた。意識はないまま7日後、家族が見守るなか静に息を引き取った。

いきなり母子家庭になってしまったが、幸い親の家に居候していたのであまり生活自体に変化はなかった。むしろ、色々な手続きや子育て、雑用に追われ悲しむ暇もなく過ぎ去った。
そんな時、韓流ブームがきていて、東方神起には相当癒された。
どんどんドラマや映画を見るうちに「この出会い」につながったのだった。

三回忌を無事に済ませ、自分の中に握っているものを全て手放して、リセットするため、ひとり韓国へ。
今回いつもと違ったのは、本当にひとりだということ。

なぜなら、韓国行きを決めてJ君に連絡するも、全く返事がない。何かあったのかな?と心配していたら連絡がきた。
「音沙汰ないから心配したよ、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。連絡できなくて、すみませんでした。」
「もしかして、彼女できたんじゃないの?」
「あ、何でわかりましたか?実はそうなんです。でもなんかまだ言い出せず皆にも言ってないんです。」
「よかったやん!彼女に会わせてよ!」
「もちろんです。彼女には一番に会ってほしいから」
そんな会話をして、現地で祝杯をあげる約束をした。
話終ると、嬉しいけど少し淋しい気持ちになっていた。
「あ~もう前みたいに、バカ言い合って飲んだくれできないんだな〜」と思うと、やっぱり淋しかった。

でも、「ひとりでバスにも乗ってみよう❗️」
「ククスを食べて北村韓屋村にいってみよう。」「梨泰院にもいきたい❗️」
よし!楽しい旅にするぞ。
12月3日から3泊4日のリフレッシュ旅の始まりだ。

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夜着の飛行機だった。宿にチェックインして、その晩、いきなりJ君の彼女に会って一緒にご飯を食べた。とてもいい子で安心した。
「自分だけ幸せになって!」と冗談で言ったら、J君は真顔で「実は前から紹介したい先輩がいるんですよ」だと。なんじゃそりゃ?
話を聞くと、私より4歳年下で韓国のプロベーシストらしい。
「日本語2級で、とてもいい人だから、ケイコさんは韓国語で、先輩は日本語で話せばお互いに勉強になるからいいじゃないですか?」という。


「今電話してみます!」
J君はさっそくそのベーシストに電話をして、突然私に電話をかわった。
「あ、はじめましてイと申します。」と流暢な日本語が聞こえた。
「あ、こんばんは、イイダです。日本語うまいですね」
「ありがとうごじゃいます〜。でもまだまだです。」
これ以上会話は進まない。J君に変わってもらって翌々日の夜一緒にご飯を食べる事になった。
J君曰く「マジメで、優しい人です。今はバンドのほかにも音楽院の学院長もしてるし、あ〜でも見かけはペルー人です!」
はぁ?見かけがペルー人の韓国人?「で、どのくらいいい人?」と聞くと
自分の先輩でいい人ベスト5に入る!という。なぜか彼は自信満々だ。
でも逆に私は全く何の期待もなかった。この旅では”おひとりさま”を満喫するつもりだったからだ。

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当時の私は、とある韓国美容情報発信サイトでモニターをしていた。
旅費は自分持ちだったけど、施術の取材などは無料で受ける事ができた。
それも楽しみのひとつだった。

15時からはその取材があり、それまでの時間は景福宮、三清洞、北村韓屋村、昌徳宮を観光して、初めて一人でバスに乗り、読めるだけで意味が分からないハングル、カタコトの韓国語で、なんとか次々と自分ミッションをクリアした。なんだかとっても清々しい気持ちになっていた。

そして仁寺洞、明洞へ。無事に取材を終えて、大学路で、お馴染みの、みんちゃんも誘ってJ君と市場の焼き肉屋さんで”見かけがペルー人のベーシスト”を待つことになった。

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私がお手洗いに行ってる間に例のベーシストが来ていた。すぐにわかった。
本当にペールの民族衣装が似合いそうだ。ベースよりケーナでしょう!

彼の周りではアンデスの音楽が流れているようだった。
私は挨拶するよりも、彼を指差して「わはは!ほんまにペルー人やん!」と笑っていた。誠に無礼な態度。そして「先日は電話でどうも!」と、とても軽い挨拶をした。韓国の市場で韓国人3人と日本人1人が日本語で会話するという珍しい光景だった。

(後にこの日の事を聞いたら「日本人はきちんと挨拶から始めると習っていたから、いきなり指さされて笑われて、教科書通りじゃないからどうしたらいいか解らなくなったらしい)

いろんな話をしながら、二次会には日本の居酒屋風店へ。ここでJ君の仕事仲間が加わって、新しい韓国人の友達ができた。
しかし私がまともに話せるのは、J君と例のベーシストだけ。必然的にベーシストと話すことになってしまった。


明日は梨泰院に行ってみたかったので、何も考えず彼に「明日時間ありますか?梨泰院行きたいんですけど、連れて行ってくれませんか?」と聞いていた。彼は「午後からならなんとかなります。」と快諾。待ち合わせ場所を決めて、お互いに連絡先を書いて交換した。「庸恩」と名前が書かれていた。よみがなを聞くと「ヨンウン」だと教えてくれた。フルネーム聞いてたのに覚えてなかった。

バスか電車で宿に帰ろうとする私に、J君はタクシーを捕まえるから宿まで乗っていって!という。タクシーのほうが怖い!と思っていたら、ヨンウン氏が「ボクも帰るから一緒にタクシーに乗って、宿まで送りましょう」と言ってくれた。ありがたい!(彼が帰る方向とは正反対なのに)
そしてタクシーの中の方が彼はリラックスして話をしてくれた。
明日が楽しみになった。

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翌朝、みんちゃんと映画に行こうと思っていたのにそれどころか!起きれず、飲み過ぎで恐ろしく顔が腫れている!怖い!この顔でヨンウン氏と会うことは許されぬ! 必死に顔を冷やして~でも12月の韓国は寒い~!!
仕方なく一人で映画「アンティーク」を観た。韓国人と同じ場所で笑う事ができて嬉しかった。

「笑い」は世界共通だ。


昼食は、ミンちゃんと仁寺洞のおいしい食堂で食べた。

そしていよいよ、ヨンウン氏とのプチデートだ!時間があったので、あの当時チョンノにあった「ピアノギル」などをみて時間をつぶし、待ち合わせの駅へ。

待っていたらヨンウン氏から電話があった「待ち合わせの駅にいますけど、どこにいますか?」と。「え?私も待ち合わせ場所にいますけど?」
よく見たら、同じ駅だけど地下鉄の線が違った。私は3号線、彼は2号線にいた。私にはお手上げだったから、自分のいる場所を説明したら走って探しにきてくれて、無事に会う事ができた。彼の笑顔を見ると、ホッとした。

「せっかくだからデートにしましょう!」と言ったら彼はニッコリ笑った。
彼女が居るか確認して、居ないとわかったので「デートだから腕組んで歩いてもいいですか?」と自分でもびっくりするくらいに大胆だった。
それは、明日午前中に日本へ帰る予定だったからだ。
「旅の恥は掻き捨て」今日は好きに過ごそうと思った。

おかげで何の遠慮もなく、飾る事もなく「あるがままの自分」でいることができた。

梨泰院は初めてだった。韓国だけどあまり韓国っぽくない感じ。
写真を撮っていたらいきなりデジカメが壊れた。こんなときになんで?仕方なくインスタントカメラを買ってしのいだ。せっかくのデートなのに〜。なんか不吉なこと起きなければいいけど…。


ヨンウン氏はいろんな事を話してくれた。梨泰院の「JUST BLUES」というライブハウスでベースを弾いていたことや、この周辺で映画になった殺人事件があったこと、彼の仕事の事。

私も自分が4歳年上で子供が二人いる未亡人だと話した。彼は自分のお母さんもちょうど私と同じ歳くらいに未亡人になった話をしてくれた。「ちょっと待ってください。」と言ってどこかに電話。彼の携帯の待ち受け写真は可愛い白のマルチーズ。
「マリって言うんです。一緒に暮らしています。」
「マリってメス?」
「いえ、オスです。」
「日本でマリは女の子の名前ですよ。」
「韓国でマリは日本のポチみたいなものです。」
そういいながら我が子自慢のようにマリをみせてくれた。
そして、おもむろに「ちょっとボクも連れて行きたいところがあります。」と言い出した。
「ミュージカル見に行きましょう」
な、なんやと〜!めちゃ不得意分野である。
劇団新感線みたいなミュージカルは大好きだが、本格的なミュージカルだったらどうしょうと、一気に不安になった。そのことを正直に話したら「きっと大丈夫『地下鉄1号線』という有名なロックミュージカルです。実はボク演奏していました。それで東京、大阪、九州と中国で公演したんです。」と言われたら「いや〜行けません」とは言えなかった。
彼はせっかく韓国に来たのだから韓国でしか味わえないものを体験させてあげたいと言ってくれた。

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夕方の公演を観て、おいしいチヂミを食べることにした。
会場へ向かう途中、J君から「夕飯一緒にたべましょうよ」と誘われたけど、
「彼女と食べて〜!私はいいから」とヨンウン氏との時間を選んだ。

つづく

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