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旦那飯は韓国料理 74 / なぜ、嫌いな親を許せたのか…

夫婦仲の悪い家庭の母親は子供命になる人が多い。うちはその典型だった。
父は独裁的だったし、母は六人きょうだいの末っ子でお嬢様育ち。
ひとりでは何もできないタイプ。

今にして思えば、ビートルズが来日したあの時代に、二十歳で結婚したのだから何も知らないのは仕方ない。
でも頼りない母親に、私は否応なしにしっかりものにならざるを得なかった。

私も若かったし、お母さん像みたいなものを母親な押し付けて、母の良いところには目もむけなかった。洗脳されるように父の悪口を聞かされ、こちらにも理想のお父さん像を押し付けては「ちがう」と反発した。

あるとき人生の先輩から言われたひとことが

親の好き嫌いと感謝は別

この一言は衝撃だった。スッとお腹に落ちた。
「嫌いなひとを好きになれとはいわない。ただ、あなたは一人でここまで大きくなったわけじゃないでしょう?育ててもらった感謝はできるはず。好き嫌いと感謝は別だから」
と教えてもらい、気持ちが凄く楽になった。
それならできるかもしれない。
そう思えたのだ。

子供とは、親に愛し愛されたい生き物だ。いくら気に入らなくても、喧嘩しても、心の奥底では愛されたいし、親を愛しているのだ。例えそれが親の役目を果たさないような人であっても。

たしかに、嫌いでも感謝はできる。そう思い生きてきた。
そして、自分が親になってやっと親の苦労を知り、心からの感謝ができるようになった。

父も母も生きることに精一杯だったのだ。親に守られて生きていた若い頃には感じたこともない不安や、焦り「生きていく」こと事態が大変なのだと身に染みてわかった今は、ただただ感謝しかない。

母から、1日でも連絡しないと「水くさい娘」と言われながらも、受けしご恩は忘るべからず。
まだ介護なしに頑張ってくれている母には感謝だ。私ができることはしてあげたいし、楽しく毎日を過ごしてほしいとおもっている。

色んなことがあったけと、父、母には、産み育てくれて、ありがとうと言いたい。




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