はじめてのnote投稿企画 に乗ってみるょ

前から投稿企画に気になってたんだが、イマイチやり方がピントコナで。そんな状態だけど、手探りでやってみるょ。

お題は「はじめてのインターネット」。なかなか深くて良いお題でござるな。ワシはまさにインターネットが生まれた辺りから今に至ってる。大学生の時はインターネットのプロバイダーで、カスタマーサポートをしていた。おばちゃんとか、初心者の人は「インターネットが送れん」とか、「インターネットが見れん」とかゆーて来てて、脳内変換しながら、対応しないとなんよね。「メールが送れないんですね?」「ブラウザでサイトが見れないんですね」とか。あと、「インターネットが繋がらん」ってのもあるな。これは「回線の接続が出来ない」ちゅうことやな。

さてさて、ワシの「はじめてのインターネット」はいつやろ。19才くらいまでは、携帯電話持ってる人なんておらんかった。21才くらいの時に、司法書士事務所の使いパシリのバイトしてて、登記所で平野ノラ的なショルダー式の携帯電話を見た気がする。1998年頃かな。PCはまだまだ学生が持てるような金額でなくて、大学に「情報科学センター(略してわ情科)」で。パソコンの授業して、そこの授業で、メールやブラウジングを習ったのが、初めてのインターネットやな。その頃、ワシがいた早稲田大学の情報科学センターのPCは、ブラウザとして、インターネットエクスプローラーでなく、ネットスケープナビゲーターをデフォルトにして、使い方を教えてた記憶がある。まー、ネスケの使いづらいこと、山の如し。その頃は、ブラウザを同時に2つ立ち上げられることも知らなかった。

その後、自分の個別携帯端末兼インターネット端末として、PHSを購入する。その頃、PHSは、NTTパーソナル、DDIポケット、エッジってのがあった、ほんま懐かしい。

銭無い人はPHS(ピッチ)で、銭ある人は携帯と言ったヒエラルキーがあった。携帯より0円端末ってのが出てきたあたりから携帯を持てるようになった。ちなみにワシが20才の頃はバリバリにポケベルが主流だった。ポケベルはインターネットでは無いよね?ポケベルといえば、皆が思い出すのは、「ポケベルが鳴らなくて」

ナツカシスね。司法書士事務所の時に、ポケベル持たされてたわ。会社からの電話番号が通知されてたら、公衆電話からコールバックするんよね。

さてさて、んなわけで、初めてのインターネットは、大学の授業。個人で持ったのは、PHSで、それでメールは出来た気がする。その後、携帯へと移り、J-phoneのスカイウェブとかいうので、白黒の情報閲覧が出来てた気がした。ツイッターくらいの文字数のニュースとか、天気とか。野球のスコア速報とか見れるだけで興奮してたもんやわ。だけど、まだまだ使いこなせない感じ。i-modeも始まったけど、ほんまヨチヨチ歩きやった。携帯サイトは日本独自文化で、これはこれで楽しかった反面、世界的に見てガラパゴス化する元凶でもあったやね。

携帯会社が認可するサイト=公式サイトと、携帯会社が関知しない勝手サイトという別があったり。公式サイトは継続課金型で、携帯会社が代金回収してくれるビジネスモデルが出来て、有料公式サイトが大流行りした。着メロブームで着メロ会社が出来たり、待ち受け画面を有料で売ったり、そして携帯ファンクラブサイトなんてのが出来て、ワシが最初に入社した会社は、アーティストの携帯公式サイトを作る会社で、チャゲアスとかの担当をしておったよ。

ワシが携わった会社は、全てネットの媒体を作ったり運営する会社やった。シンプルな制作会社でなく媒体持ちだったから広い視野を持てた。ネットの力や経験、リテラシーで持って課題解決力を養って、今に至ってるやね。

今、ワシは田舎に住んでる。しかし、我が家は光回線引いてバリバリのネット環境。テレビや映像関係は全てネット経由で、仕事や会議もネットを駆使して対応してる。田舎暮らしとインターネットの相性はメチャ良いですわ。



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福島だいすけ(ぷく)民泊オーナー

埼玉県比企郡ときがわ町に移住して1年経った半農半ライター。都会的な「消費・成長・競争」な生き方を辞め、「金持ちより時間持ち」なダウンシフト生活を始める。移住先に買った古民家を改装し、民泊「ほっこり堂」を2018年8月よりスタート。airbnbにて「スーパーホスト認定」。
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