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ぷくりま回顧録 ITバブルウハウハ編

ぷくりま回顧録。初恋編、新聞奨学生編、父親編、二浪編に続いて、

ITバブル ウハウハ?編

を綴ろうかと思う。

ワテの文章を、面白い、と褒めてくれるSさん、Tさんありがとう(^^)。そういう生の声がnoteを書ける原動力です。

さて、ITバブル編。

ルーツから書き出すと、そこそこ長い。

過去にも書いたが、ワシにとっての特徴でありタグであるのが、

ギガント貧乏

である。これは揺るぎない真理である。谷川真理の顔が好みだったこととは、一切関係ない。

で、私立大学行って、公庫から入学金借りて育英会から生活費借りて、足りない分はバイトしてたが、都会の学生と付き合うもんだで、ナンボあっても銭が足らない。

だで、家庭教師とかのバイトもしてみたが、予習の時間とか考えると、全然割りに合わない。で、メインでやってたバイトは司法書士事務所の補助者のバイト。これは最高に美味しかった。時給1300円ほどで、関東全域の役所に行って書類申請や取得をするパシリの仕事。勉強にもなったし、この時の経験のおかげで、自分の家の不動産移転登記を自分でしたし、今度会社設立登記も自分でする予定。

で、メインの司法書士事務所は昼から夕方なんだが、銭足らんけ、夜にも色々バイトした。その中で長期でやったのが、

プロバイダーのテクニカルサポート

の仕事。簡単にいうとコールセンター業務。インターネットの接続にはプロバイダーという業者を使う必要があり、今のGMOであるインターQっていうところの深夜番をしてた、週4くらいかな。

夜の0時から9時のバイト。それ終わってから、10時から15時まで司法書士事務所、16時から19時半とか21時くらいまで大学の授業。ワシのいた早稲田の社会科学部は、昼夜開講制ゆうて、昼の授業でも夜の授業でも好きなの選べて、ワシはバイト都合とかで夜を主に取ってた。

しかし、大学時代は、良くこれで死なずに生きてたと思う。この隙間にサークル活動して、連日合コンいって、恋愛もしてたんやから、体力果てしない。

良く思い起こすと、大学3年までは、授業あんま出てなかった。寝る時間無いので。徹夜とか麻雀してた時は、昼の司法書士事務所バイトの移動の電車で睡眠時間確保してた。

で、プロバイダーのバイトは、1998年くらいからやって、ウィンドウズ95から98に移行してたパソコンやインターネットがガンガン広まる時期やった。ホームページも簡素なもんで、コミュニケーションは掲示板がメインやった。

ネットっていってもメールがメインで、好きな女子との連絡用に使うのがほとんどやったけ、ITリテラシーなんて激ヘボやった。大学の授業で少しならったくらい。

そんな状態だけど、プロバイダーのバイトでは、マニュアル読んで、ユーザーからの質問に答えないといけない。わからないことはリーダークラスに聞くんだけど、深夜の0時から5時くらいは、リーダークラスは1人しかいないから、その人埋まってたら質問も出来ない。だで、自分で調べたり自力つけないと、お待たせしてしまうから、ユーザーに切れられる。コールセンターの電話自体がQ2回線やったから、遅いほどに金かかるので、ユーザーのキレ方が尋常じゃない。

で、0時から5時はリーダーや正社員とかもいるけど、5時から9時はワシ1人。その状態で、日本全国の10万人からの問い合わせの対応を1人でしないといけない。

ワンオペ

過ぎるやろ(`・ω・´)


ほやけ、学ぶの必死やよ、こっちは。
HTMLとか、CGIやPHP、ホームページビルダーやフォトショップ、FTPやドメイン取得とかゴンゴン覚えたやよ。

今のヤンジェネには理解出来んだろうが、パソコンの2000年問題ってのがあった。パソコンのソフトウェアなどが西暦の下2桁の数字しか扱ってなくて、00年ってのになったら、誤作動起こして、世界の色んなシステムでパニックが起こるかもしれないってやつ。ワシのバイト先でも2000年の切り替わりの時はいつもより多いスタッフで厳戒態勢だったが、懸念は杞憂に終わり皆始発で帰って、5時から9時までは、またワシ1人の、ワンオーペーロックやった( ´∀`)

で、その経験を活かして、名古屋 のHISでwebデザイナーをしてた。ほんでもって、それなりな生活してただが、25歳で新潟県糸魚川市の合宿免許へ通う。そして、そこで出会ったJKと付き合うことになり、その女子が住んでたのが神奈川県平塚。なのでワシも神奈川県に引っ越すことに。

転職先として内定取れたのが、伊藤忠の子会社でフジテレビ関係の携帯サイトを作る会社。

携帯サイトってのが、日本のガラケーを発展させた原動力で、携帯会社の公式サイトってのが、ガンガンに幅を利かせてた。その知識や経験のおかげで、ワシは好きな会社にどこでも行けるような、キャリアバブル状態やった。後に、名古屋のテレビ局や吉本興業にも所属することに。

で、大学時代は寝る間を惜しんで働いて、そして遊んで、4年生の時に死ぬ気で単位とってなんとか卒業したが、そんな生活にほど近い、動きづくめの社会人生活を送ることとなった。

神奈川県の大和市っていう程よいベットタウンから青山まで通ってた。仕事は毎日深夜までで、赤坂のサウナに泊まるか、深夜のタクシーで片道2万円くらいかけて帰ってた。その後、重大な事実を知ることになる!それは、、

平塚と大和市は同じ神奈川県でも遠い

ということ、、早よ気付けや俺えぇぇ∑(゚Д゚)

で、彼女が高校卒業して渋谷の音楽専門学校通うことになってから、便利な都会に引っ越すことになった。

ほどなくして、彼女と別れ、田舎もんの憧れの都会である新宿で暮らすことになった。車はBMWのオープンカー!左ハンドルのマニュアル車を福岡から取り寄せ、その後転職した六本木ヒルズまで、車通勤してた。

しかし、寝ない生活は大学出てからも変わらず。朝起きて会社行って、タバコ吸ってブラックコーヒーのんで、ラーメンと焼肉を主食にし、会社の仮眠室使ったり、たまに家にもBMWで帰ってた。

給料は1000万までもうちょいの上場会社の課長クラスだが、1000万の壁は結構高かった。今思うと、時間や労力との単純交換であるプレーイングマネージャーだと、そんくらいが限界なのかも。そこから、上手く立ち回ったり、社内で事業起こしたり、起業したりっていう、創り出す力や出世に固執する能力が、必要やった。

ワシは、平日は死ぬように働き終始睡眠不足。付き合ってる女の子には、「もう、大介に会えることは期待しない。そう思わないとやってけないから」と悟られ、気持ちが冷めた頃に別れるのを繰り返してた。

仕事で付き合う人はテレビ局の人や芸能関係が多かったから、金遣いはホンマに荒かった。キャバクラとか酒飲めないのに付き合いで行くんだけど、経費落とせない時は自腹の時も多かったりした。

で、しばらくして、恵比寿の会社に転職した頃、神戸に住んでた女子と遠距離恋愛してた。その彼女が東京に来ることになり、同棲することに。初めての同棲でワックワクのクッワクワやったよ。
「やっぱ、中目か恵比寿、代官山あたりが良いな。三茶は少し違うかな」みたいなことを彼女がゆうて、部屋探しとかはお任せしてた。で、結局恵比寿に近い広尾に住むことに。


銭稼いでたけど、派手な生活で出てく金も多いんで、家賃は彼女と折半にしたが、駐車場込みで24万ほど(*゚▽゚*)。アホ極まれりなことしておりましたわ。

で、恵比寿ガーデンプレイスで深夜3時まで働き、歩いて広尾の家に帰る、彼女は当然寝てる(-_-)zzz
朝6時に起きて、歩いて会社に行く、引き続き、彼女は寝てる(-_-)zzz。

エンタメ業界に勤めてるから、土日もライブや
イベントで出張したりしてて、彼女と過ごす時間はニャンコↀωↀ

すれ違ってるうちに、「同棲してる意味なくね?」となり、お別れすることに。残ったのは24万の家賃さん(°▽°)。

我が人生ほぼ終了

って感じやった。

貧乏人がよ、身体ばっか使って働き倒してもよ、時間切り売りして、命すり減らすだけ。派手な生活してたら、むしろ借金やローン残るだけなダメ人間になるだけでございましたよ。

ここらへんから、金や派手な仕事より、やっぱやりがいが大事じゃね?ってモードに変わって行くのであった。

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