宝塚ファンとして敢えてポジティブなSNS発信しかしない選択、についての私見


ここ最近ぐるぐると考えていたことのメモ書きです。


■このメモを書いた経緯


直近でXに下記のような投稿をしてから、この話題に関して色々なご意見を拝見しました。



------以下、自分の投稿の引用------
引き続きヅカを愛でつつ心配や憤りを述べている人にも、ヅカの話自体パッタリしなくなった人にも共感する点はあるけど、毎日のように(会見の日にも)楽しいレポや愛を投稿してるのに今回の件にだけ何も触れない人の気持ちは正直分からずモヤモヤする。
別にSNSなんて誹謗中傷以外は自由に呟いたらいいんだけどね。でも、実は内心の怒りや悲しみや葛藤を隠して「敢えて」楽しく振る舞っているのだとしても、他者から見れば紛れもなく「何もなかったかのように楽しみ続けるファン」なのであり、そういうファンが多いほど胡座をかく劇団だろうな、とは思う
------引用終わり------

他のご意見を見て確かにそうだ、自分の言い方が不適切だった、と反省したり、でもやっぱり…とモヤモヤしたりしつつグルグルと考え続け、到底Twitterの文字数では整理しきれないため、つらつらと駄文を書きます。
自分の思考整理用ですが、あわよくば同じようにグルグル考えている方のお目に留まれば嬉しいかも、とも思います。読む方によってはご気分を害される内容かもしれません。これが正義だと言いたい訳ではなく、あくまで1人の狭量なファンの私見ですので、うるさいヤツがいるなとお目溢しいただければ幸いです。

■拝見した他のご意見


※私の投稿と方向性が違っているものを勝手にピックアップしました。晒しあげて反論する意図ではなく、むしろ納得・反省するものばかりでした。一字一句そのままの引用はしていません。
※カッコ内は私の感想です。

●SNSで何に触れ、何に触れないかは当人の自由であり、「何かに言及しないのはオカシイ」等と言われる筋合いはない。
(⇨同意します。他人のSNS投稿にああしろこうしろと命令する権利は私になく、個人的な受け止め方として「モヤモヤする」と書きました。ただ、これも当事者の方から見れば、ズカズカ踏み込んでくるような嫌な物言いになっていたことを申し訳なく思います。)

●SNSは全ての思想を表明すべき場ではない。事件についてSNSで触れない人は何も考えていない奴だ、と断ずるのは乱暴でありその人を傷つける。内心に秘めているのかもしれないし、SNS以外の場では表明しているのかもしれない。
(⇨同意します。SNSで言わない=何も考えていないとは私も思いません。心を痛めて宝塚全般の話をできなくなっている方にも深く同情します。元ツイートでも内心のあれこれを隠しているとしても〜と書いた通り、内心はさておき「少なくともSNS上における宝塚へのスタンスが、事件以前と変わらないポジティブ一色に見える人」についての言及でした。)

●劇団員本人の目に触れて傷つけることが恐ろしいので言及しない。(⇨慎重な姿勢を尊敬します。私も劇団員個人の人格や処遇について言及することは避けています。一方、もっとマクロな視点で「組織の健全性を懸念する」「労働環境の改革を願う」ことならしてよいかな、と私個人は判断しています)

■上記意見を踏まえてなお、自分が何にモヤモヤし続けているのか


上記を要約すると、SNSはその人の全てではなく、慎重になるべきトピックでもあるし、そもそも投稿内容も個人の自由なのだから、断罪や口出しをするなよ、以上!...で終わりなのですが、どうにもまだモヤモヤしている自分がおり、もう一度整理してみました。

私の真意は、「ムムッ、このアカウントは宝塚に対するポジティブな投稿ばかりを連投しているな、けしからん、許せない!」と個人を断罪することではありませんでした。(が、読み返すと個人に対しての批判/戸惑いの色が強い文章になってしまっていることを反省しています。繰り返しですが投稿内容は個人の自由ですし、SNSに敢えて綴らない思いもあることでしょう。)
そうではなく、不特定多数の「敢えてポジティブな投稿のみをするファン」が集まることによって、SNSをはじめ宝塚のファンダム全体が、「何も無かったかのように、以前と同じように沢山観劇し愛を叫び、宝塚の『キレイな面』にのみ着目して楽しく消費する雰囲気」に染まっていくことを私は恐れています。

人が亡くなったのに不謹慎だろう、罰を与えろ、等と言いたいわけではありません。
一人の命が失われた出来事自体の解明や謝罪については、ご遺族と劇団の間に合意があった以上一旦は終幕を迎えたと思っていますが、事件に付随して判明した宝塚という組織全体の問題点(主に労働環境について)はまだ解決しておらず、現役の劇団員を守るために継続して取り組まれるべき課題です。
そして、残念ながら「宝塚歌劇団は、誰にも見張られなくとも誠実に約束を遂行してくれる組織であるから、ファンは安心してのんびり待てばよい」とは私には思えません。
未だ「改善途上」の状態である以上、今の宝塚ファンダムにおいて「何もなかったかのように、以前と変わらず楽しむ」雰囲気が多数派を占めることは、今なお解決されていない問題の風化・矮小化や、ひいては改革の手が緩むことにつながりかねない、と私は勝手に懸念しています。
また、消費者として、「誰かの苦しみの上に成り立っているエンタメ」にお金を払って良いのか、という思いもあります。

「ポジティブ一色の平和で楽しいファンダム」は、改革が実行され宝塚歌劇団が健全な組織になった暁にはぜひ実現してほしいですが、今はまだその時期ではないと個人的に思うのです。もちろん、1mmのキズもない組織など存在しませんので、「100%の健全化」というものはありえないと思いますが、明らかに世間一般の常識からすらも外れている現状を脱し、70%でも、80%でも、健全化が進んでほしいと思います。

ここまで読んで、いやいや、SNSにそんな影響力など無い、重く考えすぎだ。SNSは世界を動かす高尚な議論の場ではなく、あくまで自由な独り言を壁打ちする場所だよ。というご意見もきっとあると思います。確かにSNSは「宝塚歌劇団のあるべき今後の姿を検討する公式委員会」(?)の会議室ではありません。ただ、独り言のようでいて、実は孤独な壁打ちではなく、多くの人に影響を与えうる場だとも思います。
現実世界で宝塚について私が独り言を言ったところで、数万人の目に触れ、数百人のヅカファンから反応を頂けることなど絶対にあり得ませんが、ここでは幾度もあります。
また、逆に私自身がSNS上の空気から影響を受けてきた実例として…(下記、これも重い話題ですし、少し長くなります)
宝塚に出会った3年前、ひょんなきっかけから96期の裁判について知り、少なからずショックを受けました。しかし、SNS上でほとんどのヅカファンがその件については一言も触れず、96期の方を愛でる沢山のツイートに沢山のいいねがつく様子を見て次第に、あぁこれは気にしなくてよいことなのだ、みんな気にしていないし私の考えすぎだ、下手に触れて楽しい雰囲気に水を差すのも野暮だろう、などと思うようになり、いつしか深く考えることをやめ蓋をしてしまいました。(その後個人的に大好きになった96期の方々が何人もいますし、ここで彼女たち個人の責任を論じようなどという気はありません。ただし私を含め多くのファンが96期の件について内心どう思っていようと表面上は目をつぶりうやむやにしてきたことは、劇団側の隠ぺい体質が長年改善されなかったことの要因の一つかもしれないと今になって思います。実際に今回の事件後、劇団の初動の悪さに対して、96期の件がうやむやになった実績に味をしめていたのだろう、と振り返っている古参ファンの方を少なからず見かけました)
このように、SNSの投稿一つ一つは小さな独り言でも、集まると大きなうねりになり、「空気」をつくりだし、見る人々の価値判断や言動に影響を及ぼすものなのだと思います。

■まとめ


長くなってしまいました。まとめます。

・前提①:再三の繰り返しですが、他の方のSNS投稿に、何を書け、何を書くな、等と命令することはできません。誹謗中傷やデマでなければ、私もあなたも、お互い自由にやりましょう。

・前提②:「SNS上で敢えて事件や問題点に触れず、宝塚に対してポジティブな投稿のみをし続けること」は個人の自由ですし、その人が何も考えていない人/SNS以外の場も含めて問題をスルーしている人だということを意味しません。

・上記前提のうえで、敢えて私の意見を述べるならば、「ポジティブな投稿のみをする」選択が、「問題はスルーして楽しみ続けて良いよね」というファンダム全体の空気感の醸成を多少なりとも後押しすることは事実だと考えます。(そうだとしても、私に止める権利はありません。勝手に悲しくは思います。)

・宝塚のファンダム全体が上記のような空気感になることは、今なお解決されていない問題の風化・矮小化や、ひいては改革の手が緩むことにつながりかねない、と私は勝手に懸念しています。ですので、素敵な観劇レポや円盤買った報告がSNSの大海に浮かんで流れていくのを横目に眺めながら、改革を願い、劇団さん進捗どうなってますか、忘れてないですよ、と問う小石を投げ続けると思います。いち弱小アカウントの声が空気を大きく変えるとも劇団に直接届くとも思いませんが、大海にさざ波なりとも起こせるかも、という自己満足です。

・蛇足:今回のメモはポジティブな投稿「のみ」をすることについての私見をつらつらと述べましたが、ポジティブな投稿をすること自体にまでウーンと思うわけではありません。そりゃあ楽しい投稿・交流をするために作ったアカウントでしょうし(私もそうでした。自分の中で折り合いがつかず、ポジティブな投稿はまだできていませんが…)、それこそ劇団員を褒めて愛でる投稿を本人やその関係者が見かけたらきっと嬉しく思い、励まされることと思います。(勝手な想像です。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?