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少年の憧れとしての「きれいな水着のお姉さん」という存在

少年マガジンの水着グラビアがどうのこうのという話がTwitterで起こっているそうで。

自分は別にあってもなくてもいいと思うのですが、中学生の頃、初めてマガジンを買った時に、水着のお姉さんが写っている表紙をレジに出すのが恥ずかしかったのを覚えています。

といってもその恥ずかしさがなんとなく気持ち良かったりもしました。ついこのあいだまでコロコロコミックを読んでいたのが、少し高めの大人の階段を踏んだような感じがして。

自分はコロコロコミックを律儀に小学6年生の3月まで買っていました。もうとっくにうんことか鼻毛とか爆発とか幼稚な内容だとは感じていたし、おもちゃメーカーの大人たちの陰謀も察していたけど、それでもあの、完璧に子供のために作られた誌面から離れるのが寂しかったのかもしれません。

多くの子供はコロコロからジャンプに移行するのが通例なのですが、自分がマガジンに移行した理由は、さらっと言ってしまえば、グラビアが載っているから、です。

スケベな話ではございませ……、い、いや、確かにまあ、それは、多感な思春期のことですので、やっぱり煩悩は108どころか1008兆個くらいありました。ところで僕の誕生日は10月08日です。近いですね。

で、そりゃまあ男子ですもの、悶々とした何かを抱えて裏向きにしたマガジンをレジに差し出していたわけで。裏向きにしたのは店員さんがバーコードを読み取りやすいからではなく、店員さんの前で表紙を直視できなかったからです。持って帰ってからはひとりで直視してたけど。

ただ、煩悩は何をどうしても消せども、その根底にあるのは「きれいな水着のお姉さん」という憧れ、でした。畏怖の対象ですよ。性別は違うけど、EXILEを見てカッコ良くて憧れる。それとあんまり変わらない。

そしてその「きれいな水着のお姉さん」たちは、その仕事に就きたくて、その仕事にプライドを持っているわけで。

無闇やたらに規制するのは、その「きれいな水着のお姉さん」たちの権利を奪うことになると思うんですね。その職業に憧れて業界に入る女性もいるわけで。むしろグラビアアイドルの方々を性差別の象徴みたいに言うほうが失礼なようにも思う。

あと、マガジンって少年誌なのです。少年誌に少年の憧れが載るのはふつうのことです。もちろんおじさんが読んでもおばさんが読んでもじーちゃんばーちゃんが読んでもいいけど、基本的には少年のもの。

プリキュアを大きいお友達が視てもいいけど、少女たちからプリキュアを奪ってはいけない。

「みんなが楽しいもの」を求めすぎているように感じるのです。むしろ線を引いておかないと、お互いに守るべきものを壊してしまう。

グラビアはあってもなくても良いとは思うけど、「きれいな水着のお姉さん」への憧れは、少年にとってひとつの魅力でした。少年とかほざいてるけど結局ただのDT中坊の戯言やんけ、と言われれば返す言葉もないのですが。

それが不快な人もいれば、それが何かしら必要な人もいる。「みんなが楽しいもの」はなかなかないけど、「みんなが不快なもの」も実はそんなにないのかもしれない。

ただ、自分が楽しいものだけを見つけて、その中で収まっていれば幸せなら、それで良いと思うのです。わざわざ自分が世の中の中心に向かわなくていい。

よそはよそ、ウチはウチ、という感覚を、むしろ持ったほうがお互いに幸せになれるのではないでしょうか。他人が見えすぎるからこそ、他人を見すぎない。それぞれの人がそれぞれの領域を守れる社会になったらいい、そう思いました。

ところで僕の誕生日は10月8日です。

サウナはたのしい。