おもちゃ屋の三日月

子供と付き合うのは苦手だ。

いつ泣き出すかわからないし、いつ大声で叫び出すかわからない。2歳の子供というのはかくも情緒不安定なものなのか。

去年はじめてメイに会った時はどこに連れていっても黙って指をくわえていたが、自力で立てるようになってからはすぐに勝手に明後日の方向へと歩いていこうとするので気が気じゃない。無理くり両腕で抱え込んで軌道修正するしかない。去年よりも遥かに重い。

情けない話だが、2歳児を引っ張り続けているうちにだんだん腰に来た。世の子育て中のお父さんお母さんがたは、こんな苦労を毎日毎晩つづけているのか。頭が下がる。とはいえ。

「ぅぅぅ……」

まだきちんとした言葉は喋れないが、明らかに甘えた声で僕の脚に絡みついてくると、すべての理不尽は許せてしまう。腰痛も治ったような気になる。勝手にどこかに行こうとするわりには、知らない人とすれ違いそうになるとすぐにこちらに寄ってくる。人見知りなのだ。やっぱり僕と同じ血筋なんだな。

遠い場所に住んでいる従姉には、年に数回程度しか会えない。こうして姪っ子の世話をすることもなかなかない。だからできるだけ思い出を作りたいと、おもちゃを買ってあげるために商店街へとやって来た。

駅前に行けばイオンモールもあるのだが、あえて地味な商店街を歩いた。川べりにある、昔ながらの商店街。記憶が曖昧ではあるけど、僕がメイくらいの歳の頃にはオシャレな雑貨店や洋服屋などが軒を連ねていた。今では半分以上の店のシャッターが下りていて、商店街の空気を全く読めていないファミリーマートがぽつんと建っている。

「ぅぅぅ……」

ああ、うん、お腹が空いたらしい。ファミリーマートに行きたいらしい。ファミチキの店内ポップをなんだか凝視していたが、2歳児にファミチキを与えるのは怖い。やわらかいもののほうが……。結局、果汁グミみかん味を与えた。その後はしばらく黙々と食べ、なぜかときどき袋のジッパーを開けたり閉めたりして、僕に笑いかけてくる。この子は僕の中では石原さとみよりかわいい。

しばらく歩くと、懐かしいおもちゃ屋を見つけた。まだ存在していることに驚いた。幼稚園にも上がらない頃に、ここでしょっちゅうトミカを買ってもらった。あんまり覚えていないけど、店主はその時点でもう爺さんだったはずで、もうとっくに店は畳まれただろうと思っていたのだ。

看板の文字は完全に剥げていて、扉にはガムテープで補修した跡がいくつもあった。ドアノブに引っ掛けられた、営業中、の札を見てもまだ、本当に?と訝しい気持ちになった。

おずおずとドアを開ける。あ、勝手にどっか行っちゃダメだって。メイは果汁グミを半分以上のこしたまま、僕の顔になぜか投げつける。何がしたいんだ。とりあえずポケットに詰め込んだけど、僕はグミの類をいっさい食べない。どうしたものか。

おもちゃ屋は、思い切り電気が点いていて、元気に営業中だった。所狭しと飾られたおもちゃの数々。おもちゃのジャンルごとに整然と商品が棚に並べられているチェーン店と違って、ここではジャンルも年代もバラバラに店内に積まれている。ナノブロックの横にプラレール300系のぞみがあったりする。

従姉の家には、すでに大量のおもちゃがある。ナノブロックもプラレールもあるし、トミカ、シルバニアファミリー、よくわからないけどプリキュアの武具的な何か、よくわからないけどシンカリオンとかいうやつ、ガッタイジャーとかいう謎のロボット、2歳児に理解できるとは思えないけどなぜか人生ゲームDX、その他さまざま。ドラえもんのドンジャラもあるぞ。

で、メイはそのどれにも、一時期は凄くハマって、次第に飽きてしまうらしい。永遠にトミカとミニ四駆を弄っていられた僕とは対照的だ。

メイは、興味を示したものを見つけると声を上げる。僕はじっとそれを待ちながら、アニメ『こどものおもちゃ』に登場するピアノを模したおもちゃ「ノピア」を発見して興奮した。いやこれが現存するのやべーだろ。おもちゃでありながら作曲もできるという、当時のTOMYさんの本気がガツンと伝わる名作である。

『魔法騎士レイアース』のマスコットキャラのめいぐるみ「ごきげんモフナ」も見つけた。『神風怪盗ジャンヌ』の「ロザリオルージュ」も。……このおもちゃ屋、たぶん平成10年前後で時間が止まっている。

「何かお探しですか?」

若い女性の声が、後ろで聞こえた。振り返ると、たぶん僕と同年代くらいのエプロン姿で眼鏡をかけた人がきょとんとした表情をしていた。

「あ、いえ……」

僕は洋服屋で店員に話しかけられたくないタイプである。よって、こういう時の応対が苦手だ。眼鏡の女性も、どう対処していいかわからない感じで、きょとんとした表情が崩れないまま、メイの方を見て、続けた。

「娘さんですか?」

「いえ、姪です。従姉の姪で」

「そうですか。いえ、こんな寂れた店ですから、普段はお子さんのお客さんは来ないもので」

「あ、そうなんですか」

「ええ、大抵は、珍しいプラモデルを探しに来るおじさんですね。ネットオークションで高額なものが、こういう田舎のおもちゃ屋だと当時の定価で買えたりするので」

なるほど、そういう生き残り戦略もあるのか。しかし、この人が現在の店主ということは、やはり、僕が小さい頃に見たあの爺さんはもう……。

「ぅぅぅぅ……」

あ、やっとメイが声を上げて、レジスターの横にあるものを指差した。そこに置かれていたのは……、セーラームーンのムーンスティック。かつて日本中の女の子が憧れた、先端が三日月の形状になっているピンク色のスティック。

従姉の家の倉庫の中は未だに昔のセーラームーングッズだらけなので、英才教育がしっかりなされているだろう。というか、探せばこれと同じもの、出てくるんじゃないかな。

「すみません、セーラームーンのスティック、いくらします?」

箱はなく、現品だけがぽつりと置かれている。なんにしても、メイはこれが欲しいみたいなので、買ってやろう。そう思って尋ねると、意外な答えが返ってきた。

「ごめんなさい、これ、売り物じゃないんです」

「え?そうなんですか?」

「昔、セーラームーンが大好きで、いつもこのスティックを持ち歩いていた女の子がいて、このおもちゃ屋にもよく来てらしたらしいのですが、ある時に忘れて帰ってしまったそうです。しばらく落とし物として預かってたんですが……ずっと取りに来なくて……」

「ああ、なるほど。わかりました」

深追いしてはいけない気がして、僕は話題を変えた。気になっていたことを訊きたい気持ちもあった。

「僕、小さい頃によくここに来てたんですけど、その頃はお爺ちゃんがいて……」

「ああ、たぶん、私の祖父です」

やっぱり、予感は的中した。孫にあたるこの人が跡継ぎのようだ。

「祖父が亡くなってから、在宅ワークと一緒にこの店を開いてます。閉店させる話もあったんですけど、私も小さい頃にしょっちゅう通ってた店で、できる間はやろうかな、って……。ただ、もうすぐ本当に閉めるんですけど」

「閉めるんですか?」

「ええ。実は、……もうすぐ離婚するんです」

「…………」

いきなり話が飛んでびっくりした。そうか。僕と同世代の人が結婚という単語を口にするのはもうそろそろ慣れたが、人によっては離婚に向き合っている場合もある。結婚なら、おめでとう、と返せばいい。だけど、離婚する人にかけるべき言葉というのが僕には到底わからない。

「あ、ごめんなさい。いきなりこんな話されても困りますよね。つい……」

「あ、いえ」

返答がしどろもどろになる。足元で寝息が聞こえてきた。さっきから静かだと思ったら、メイは立ちながら寝ていた。2歳児はいつ立ちながら寝るかわからない。

何も買わずに出ていってしまうのは気が重かったので、アンパンマンのお風呂で遊ぶおもちゃを買った。キャラクター商品なのに1000円でお釣りが来る安さでびっくりした。メイのお気に召すかどうかはわからないが、2歳児にアンパンマンは必修科目だろう。たぶん。

待ち合わせ場所のタイムズで、従姉のミラジーノを見つけた。ミラではない。ミラジーノだ。ミラとミラジーノは違うと僕は何度も言っているのに、従姉はあくまでもミラという。以前は綺麗だったシートが、だいぶ埃をかぶっていた。

ここ何年も、会話することはおろかそもそも会ってすらいなかったが、メイがいることで共通の話題ができて、たぶん人生で今が最も、従姉との会話数が多い時期だと思う。

「あのおもちゃ屋、なくなるんだって」

そう言っても、どのおもちゃ屋かよくわからない、そう返された。確かにあの商店街にはかつて、雑貨屋や洋服屋と同じく、有り余るほどのおもちゃ屋があったと思う。

レイアースやジャンヌの話もした。なにアンタ他人のなかよしとかりぼん勝手に読んでんの、と呆れられた。

「そういえば、セーラームーンのムーンスティック、確かに持ってたはずなのに、どれだけ家を掃除しても見つからなかったんだよなー」

従姉は結婚してから、福井県へと引っ越した。その際に、部屋にあった昔のおもちゃをごっそりと運んだらしい。

小さい頃、ムーンスティックを持って遊んでいた従姉の姿を、なんとなくだけど僕は覚えている。いつからムーンスティックがなくなったのだろう。

知らないうちに捨てたのかもしれないけど、昭和50年代の野球盤が普通に押し入れに閉じ籠っているような我が家系だ。そう簡単に捨てるだろうか。僕は魔法が使えないのでその謎を解くことができないし、怪盗ではないのであの店から奪い取ることはできない。

しかし、この街の景色も変わった。田んぼだったはずの場所にはマンションが建ち並んでいる。従姉の家族が暮らしていた2階建ての木造アパートは、12階建ての立派なコンクリートマンションに生まれ変わった。耐震対策も万全で、伯叔父母も安心して暮らせるだろう。

イオンモールで買い物をしたいという従姉の要望により、再びメイの世話をすることになった。2歳児を連れてエスカレーターは怖いので、2階なのにエレベーター。イオンモールでエレベーターを使ったのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。

2階には天下のトイザらスがあり、ベビーザらスと繋がっている。さすが大手チェーンなだけあって、圧倒されるほどの品数だ。

先にベビーザらスの方へとメイを連れていったが、何を見てもそっぽを向いて何やら喚く。ガキ扱いすんな、ということか。むしろ模型コーナーに興味を示しているようだった。アオシマ1/24スケール・トヨタセリカ1600GT。なかなか渋いセレクトをする2歳児である。どっちかというと僕が欲しいやつだ。

そして、ポケモンは偉大だ。ピチュウを見た途端に黙った。ちょっと怖いくらいにそれまでと態度が違う。

今のおもちゃ売り場というのは、昔みたいに男児向けと女児向けにきっちりと分けられてはいないらしい。ガンダムコーナーとそう距離を置かない場所にプリキュアコーナーがあった。セーラームーンコーナーはなくて、ムーンスティックもなかった。

ちなみにもしあったら、ここで買ってやろうと思っていた。1日のうちに買ってもらえるおもちゃは1つだけ、というのが小さい頃の従姉と僕との決まりだったが、年に数回しか会わないぶん、2つ買っても良いだろうと思っていた。

メイも特にお気に召すものがなかったらしい。「てのひらピチュウ」なんてどうかなと思ったが、対象年齢3歳以上と書いてあった。来年以降な。

やがて買い物を済ませた従姉と合流し、ついに別れることになった。

今度はいつ会えるかわからないし、最後に一度……、と、メイを抱っこした。腰に来た。でも2秒後にすべてが浄化されて治った。

従姉はこれから高速道路に乗って福井へと帰る。かなりの距離があると思うのだが、車を運転するのが好きらしい。車を眺めるのは好きだし名称にもうるさいが、運転は別に好きじゃない僕とは対照的だ。僕は電車を乗り継いで帰る。昔は何もなかったはずの駅構内にセブンイレブンとココカラファインが並んでいた。

次にここに来るまでに、あのおもちゃ屋は消えてしまっているだろう。あのムーンスティックはどこに行くのだろう。

今日のことを、メイはそのうち忘れるのだろう。 僕が、小さい頃のいろんなことを忘れたのと同じように。

おもちゃと話ができたなら、思い出させてくれるかもしれないのに。ココカラファインの入り口でグミが安売りされていた。フェットチーネグミ。袋に『トイ・ストーリー4』のイラスト。メイにはこっちの方が良かったのかな。

ポケットに手を突っ込んで、食べさしの果汁グミみかん味があるのを確認した。電車待ちの間に一気に食べた。甘かった。

ぜんぜん関係ないけど、月がとても綺麗だった。三日月ならもっと良かったんだけどな。僕は生まれ変わってもタキシード仮面にはなれなさそうだけど、なんとなく写メを撮った。写メって言い方、もう古いよな。

サウナはたのしい。