ダリア
今どき、CDウォークマンを鞄に入れて通学している高校生なんて、日本全国でも僕くらいのものなんじゃないだろうか。
だけど、僕がいちばん好きなバンド、Da:Lia(ダリア)の曲は、こうしないと外で聴けないのだ。
Da:Liaは、僕が生まれる前の2001年にメジャーデビューし、僕が生まれた2004年に解散したロックバンドだ。活動時はドラマの主題歌やCMソングなどに抜擢され、ヒット曲を飛ばしていたらしいが、それも昔の話だ。
そこそこ売れたとはいえ、BOØWYやTHE YELLOW MONKEYみたいに解散後も語り継がれるということはなく、CDはすべて廃盤、ダウンロード販売やサブスク配信もされず、音源を聴くには、当時のCDを中古で入手するしかない。
僕の通っている高校は校則が厳しく、毛染めやピアスは禁止、それに加えて、週に一度、持ち物検査というものがある。
そこで漫画や携帯ゲーム機などを持ち込んでいることがバレると、すぐに没収されてしまう。
といっても、検査をするのはいつも金曜日と決まっているので、他の曜日には授業に関係のないものをこっそり持ち込んでもバレない。なのでみんな、朝礼前にジャンプを回し読みしたり、カードゲームを楽しんだりと、やりたい放題だ。
「はーい!持ち物検査を始めまーす!」
教壇に立った風紀委員の矢柄(やがら)さんがそう言った瞬間、教室じゅうにどよめきが起こった。
「なんだよ!今日月曜じゃねえかよ!」
「いつもは先生がやるじゃん!なんであんたらがやるの?」
「なあ、今日だけは内緒にしといてくれよ」
文句をどんどんぶつける生徒たちを前に、矢柄さんは黒く長い髪を巻き上げて、落ち着いた声で返す。
「今週からは、いつもの持ち物検査とは別に、風紀委員がときどき抜き打ちで持ち物検査をすることになりました」
どよめきはどんどん大きくなっていく。だけど、矢柄さんは全く動じない。
さすがだなあ、なんて感心している場合ではない。僕もまた、良からぬ物を持ち込んでいるのだ。前の席から順にチェックされていき、とうとう僕の番がやってきた。
おとなしく、矢柄さんの前で、鞄の中身を全部さらけ出した。
「これ、なに?」
今どきの高校生はふつう、CDウォークマンなんて見たことがないだろう。だけど、音楽を再生する機器であることはすぐにわかったらしい。スライド式のボタンをカチャッと開けると、青黒いゴシック体でDa:Liaと書かれた丸いディスクが見えた。
「えっ……?」
一瞬だけ驚いた声を上げた矢柄さんだが、すぐにいつもの冷静な態度に戻った。
「と、とりあえず、これは没収しとくから」
矢柄さんは同じクラスではあるものの、席はかなり離れているし、ほとんど話したことがない。
なので、いきなりこんなことを言われたのには、本当に驚いた。
「今日、わたしの家に来て」
「え?いや、なんで?」
「この前の、持ち物検査のことで……」
「あれ、返してくれるの?ていうか、あれは、その……」
CDウォークマンのことが気にかかるのだろうか。みんなサブスクで音楽を聴いている今どき珍しいとはいえ、そこまで興味をそそられるものなのだろうか。などとぼんやりと思っていたら、斜め上の答えが返ってきた。
「……好きなの」
「は?」
それはなんだ?確かに僕のほうを見て言ったぞ?もしかして……。
「……Da:Liaが」
ですよねえ。……って、ん?
「知ってるの?Da:Liaを?」
ちょっと恥ずかしそうに、春日さんはこくりと頷いた。
「だって、昔のバンドだよ?」
「……お姉ちゃんが、好きだったから」
「あ、ああ、そういうことか」
「その……それで、ちょっと頼みごとが……」
矢柄さんの家は学校からかなり近く、徒歩で通学しているという。
男女ふたりで下校するというのは、なんとなく気まずい。
間を持たせるために、Da:Liaの好きな曲についてとか、もし再結成してライブをやったらどの曲をやってほしいとか、まさか同世代の人とするとは思っていなかったようなことを話した。
クールな風紀委員という印象しかなかった矢柄さんが、Da:LiaのギタリストのTSUKASAの話をする時は顔を赤らめていて、なんだかむしろ僕のほうが恥ずかしくなってしまった。
「入っていいの?」
いざ、矢柄と銘打たれた表札を見たら、妙に緊張してしまった。だいたい、女子の家に行くことなんて、小学生のころ以来だ。
「いいよ。今、パパもママもいないから」
「あ、うん……」
いやいやいや。深い意味は本当にないんだろう。無言で首を横に振って、曖昧に答えた。
「これ、返す」
と言って矢柄さんが差し出したのは、まぎれもなく、先週の持ち物検査で僕から奪ったDa:LiaのCDアルバム『BLINK』だった。
ふつう、持ち物検査で没収されたものは、風紀委員ではなく先生が預かり、1週間後に先生の手によって生徒に返される仕組みになっている。
「なんで、矢柄さんがそれ持ってるの?」
責めるつもりではなく単純に疑問だったので訊いてみると、矢柄さんは申し訳なさそうに目を伏せた。
「…………だって、『BLINK』って、インディーズ落ちした時期にライブ会場で配ってたアルバムで、入手困難でしょ?………その、我慢できなくて、先生には渡さずにこっそり……」
「持って帰っちゃったと」
「うん……で、……えーと、……ダビングしてしまいました」
両方の人差し指を突きながら、そわそわして話す。こんな矢柄さんは初めて見た。
「ああ、それは別に、いま返してくれればいいけど……学校じゃダメだったの?」
「いや、だって、風紀委員だし、わたし。学校に持ち込んじゃいけないから……」
真面目なのか不真面目なのか、よくわからないな。
「あ、あの、これ、絶対、誰にも秘密ね」
「う、うん……」
ていうか、僕ら以外のクラスメイト、そもそもDa:Liaを知らないだろうけど。
せっかく来たのだからと、なぜかお茶をもらった。といっても、たまたま冷蔵庫に入っていたというペットボトルのものだけど。
さっきよりはマシになったものの、女子の部屋に入っているわけで、内心では落ち着かない。ベッドとタンスと学習机と本棚。僕の部屋と置いてあるものはあんまり変わらないのに、なぜかちょっとオシャレに見える。
そして、本棚に昔の音楽雑誌が大量に並べられているのには驚いた。
「それ全部、Da:Liaの記事が載った雑誌のバックナンバー。昔、お姉ちゃんが調べまくって集めてたやつ」
「ああ、なるほど。でもなんでお姉さんの部屋じゃなくて、ここにあるの?」
「それは……、ここ、今はわたしの部屋だけど、もともとお姉ちゃんの部屋だったの。お姉ちゃん、もういないから」
「ああ……」
それ以上は、詮索しないことにした。
当時の雑誌インタビューはとても読み応えがあって、しばらく夢中になってしまった。
「あの……、しばらく、雑誌、貸してもらってもいい?」
「いいよ。じゃ、読んだらわたしの家に来て返して」
「……学校じゃダメなの?」
「風紀委員なので」
それからは、たまに矢柄さんの家に言ってDa:Liaについて話したり、Da:Liaの曲をCDラジカセで聴いたりした。
その時の矢柄さんは学校では見せたことがないくらいに興奮した表情をしていて、そのたびに僕はドキドキした。
矢柄さんがDa:Liaでいちばん好きな曲は『First Flower』だという。Da:Lia最大のヒット曲で、訳すと「初めての花」。矢柄さんの下の名前の「初花(ういか)」と同じ。
実は僕もその曲がいちばん好きだけど、わざとアルバム曲の『6月5日』が好きだと言った。誕生日と同じタイトルだから。それも嘘ではない。
でも、僕も『First Flower』が好きだと言うことは、矢柄さんを好きだと言うことなんじゃないかと、ふと思ってしまったのだ。
その時、僕は自分の気持ちに初めて気づいた。
あんなに緊張していた矢柄さんの部屋も、何回も入るうちに、すっかり慣れてしまっていた。
だけど今日は違う。初めてこの部屋に入った時よりも、胸が張り裂けそうになっている。
いつもどおりに、ほとんど儀式みたいにCDラジカセでDa:Liaの曲を流した。
Da:Liaにはラブソングもたくさんある。何度も聴いて覚えているはずの甘い歌詞に眩暈がしそうになったり、想いが届かなかった人への歌詞に本気で落ち込んだりした。
「じゃあまた今度ね」
と見送ろうとしてくれている矢柄さんに、思いきって、上ずった声で言った。
「待って」
「ん?なに?」
「えーっと、あの……………………、…………す、………す」
「す?」
きょとんとした顔で矢柄さんは僕を見る。学校では絶対に見せない表情にまたドキドキして、僕は慌てて目を反らした。
いや、何やってんだ。目を見て言わなきゃダメだろ、などと混乱している僕を止めるかのように、女性の大声と共に、勢いよくドアが開いた。
「やっほー!姉は帰ったぞ妹よ!元気してた?今回は8ヶ月かけてアフリカ大陸横断してきたんだけどさあ、ジンバブエでえらい目に遭っ……あれ?」
リュックサックを背負い、ハンチング帽を被った女性が、どかどかと靴を脱いだ。そして僕のほうをチラッと見て、矢柄さんの肩を掴んで再び大声で話しはじめた。
「おやあ?姉が留守の間にこんなかわいいカレシつくっちゃってえ!ウイカは外じゃクール系だからこーゆータイプのカレができるのは意外だったけどお」
「ちょ、何言ってんのお姉ちゃん!彼はカレシじゃなくて、なんていうか……」
「あーら、まんざらでもない感じ?」
「そ、それは……」
リンゴみたいに顔を赤らめている矢柄さんが、ちらっと僕を見た。きっと僕の顔は、もっと赤くなっていると思う。
その後、ハイテンションなお姉さんに、エチオピアで何時間もバスを待った話とか、タンザニアの共同宿が汚すぎて引いた話とかを延々と聞かされた。
やっとのことで解放された頃には、もう陽が暮れていた。
「ごめんね。お姉ちゃん、誰にでもあんな感じなの。だからこそ、どこ行っても友達できちゃうんだけど」
「うん。ていうかお姉さん、生きてたんだ」
「え?……あ、ああ、最初の頃に、お姉ちゃんはいないって言ったもんね。ごめん、ただ単に、普段は家にいないってだけ。年がら年中、世界中を旅して回ってるの。バックパッカーって言うんだって。あと……」
「…………あと?」
「さっき、なんか言おうとしてたよね?」
「うん」
「今なら大丈夫、お姉ちゃん、お風呂はいっちゃったから」
「うん。あの…………………。僕は、矢柄さんのことが、す……」
またもこのタイミングで、今度は大声の歌が流れてきた。
「♪ファーストフラワ~ ♪天使の国から~」
どうやら風呂場のエコーがかかっているので、ただでさえ大きな声がさらに家じゅうに響く。今日はダメだ。また今度。
そうだ、告白するのだから、やっぱり花でも持って来るべきだったんじゃないかな。なんの花がいいだろう。
カーネーション?いや、それは母の日か。チューリップ?うーん違うな。お姉さんの歌が響く。
「♪心の中で~ ♪咲くダリアのように~」
サウナはたのしい。