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演技と驚き◇Wonder of Acting #32

演技を記憶するマガジン [ Aug,2022 ]

00.今月の演者役名作品インデックス

岸井ゆきの
六代目竹本織太夫『心中天網島 北新地河庄の段』
ケイ:片山友希『茜色に焼かれる』
小栗旬:石川安吾『BORDER 警視庁捜査一課殺人犯捜査第4係』
佐藤二朗:比企能員『金子大地』
京本大我『流星の音色』
金子大地:源頼家『金子大地』
市川猿弥:伊月梵太郎『弥次喜多流離譚』

01.今月の演技をめぐる言葉

メインコンテンツです。編集人が気付いた「演技についての言葉」を引用・記録しています。※引用先に画像がある場合、本文のみを引用し、リンクを張っています(ポスター・公式サイトトップ・書影など除く)。

オニギリジョー @Toshi626262y
今年観た作品群でこのひとの演技がより一層分かった。このひとの演技はカメレオン俳優とか称される類のものではない。棚にある抽斗からシャツを選ぶような演技ではないということ。水底から湧き上がる気泡のような何かを役柄に落とし込んで表現していく。恐らく天性の演技者。
#岸井ゆきの

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コーディー @_co_dy
そして〜そんな尾野真千子に負けない強烈な生命の輝きを放ってたケイちゃんを演じた片山友希が素晴らしかった!理不尽に呑まれながら懸命に生きるもう一人の主人公と言っても過言じゃない!やっぱスゴイね、この人!
あと息子役の和田庵の誠実に〝わからない〟と格闘する姿が静かなのに動的で素敵だ!

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引用させていただいた皆さん。ありがとうございました †

02.雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道)

第二十二回:代役代役また代役~箕山 雲水

 推しが不在の舞台について書いてから約半年。今度は急に推しが代役をやる舞台を見ることになった。歌舞伎座の第一部、手塚治虫の『新選組』を原作にした作品で、その主役の中村歌之助丈、福之助丈兄弟の休演によって、観劇する8月20日(土)は七之助丈と勘九郎丈のこれも兄弟がつとめることになっていた。本役のおふたりでも見たかったし、楽しみと言うにはなんとなく居心地が悪いけれどどこかでその気持ちもなかったわけではなく、複雑な気持ちで劇場に、向かう電車の中でとんだニュースが飛び込んできた。第二部、『安政奇聞佃夜嵐』松本幸四郎丈の休演にともない市川猿之助丈が代役(『浮世風呂』のなめくじ役が團子丈から笑野丈になることはすでに発表されていた)。さらに第三部も、すでに発表されていた團子丈に続き幸四郎丈と染五郎丈、つまり主役のうち3人が休演することとなった。代役は…!?気づけば当日券売り場に飛び込んでいた。

 第三部『弥次喜多流離譚』は2016年から毎年、夏の納涼歌舞伎演で幸四郎丈の弥次郎兵衛、猿之助丈の喜多八のコンビで上演されてきたコメディー作品で、こんなことになる前はチケットが取れない人気演目だった(炎天下の中何時間も幕見席を求めて並んだ頃がもう懐かしい)。舞台では3年ぶりとなる今年は、いつもの馬鹿馬鹿しさを残しつつ、この間のさまざまな思いが詰め込まれた「泣ける」作品で「弥次喜多なのに泣ける」と話題になっていた。この主役のひとり、幸四郎丈が休演し、青虎丈が代役をやられるという。最近襲名された実力派のおひとりだが、歌舞伎の家の出身ではないいわゆる部屋子で、今まで歌舞伎座で主役はやられたことがない人だ。その方が、主役のひとりをやる。驚いた。そして嬉しかった。状況から言って、そう何日もやられないかもしれない、今日見ておかなくてはいけないのでは…そんな考えが脳裏を過ぎる。そして次の瞬間、そういうじんわりとした嬉しい気持ちは一気に掻き消される。その下に並んでいた名前が予想外も予想外、これは何が起こっているのだ!?

 おなじく休演となった染五郎丈、團子丈は、これも初演からのコンビ。前回までは髷を結った初々しい侍姿で出ていたが、3年のあいだにすっかりグレて髪は色付きに。子役から若手イケメンコンビになり、かわいい女の子役とそれぞれ二役を早替りでつとめるという、いわば今回の目玉のひとつである。その2人が休演した。それで代役として立ったのが、イケメン枠で猿弥丈、隼人丈、女方のほうを笑三郎丈、笑也丈で、本役は10代、代役のうち4分の3が50歳超え。ファンがそれぞれ想像していた代役のはるか斜め上、急に宇宙から何か降ってきた程度にはどの人も驚き、タイムラインもざわついた。緊急事態だから多少のイレギュラーはあって当然、そのくらいはファンのほうも覚悟はできている。しかしここまでの若手枠にベテランが3人も投入されるとは。あまりの予想外に、発表を見ながら笑い、混乱し、そして「なんとしてもあける」心意気に泣き、気づけば当日券売り場。一番安い席は…ああ、二等席までしかないですよね、はい、わかりました一等席でお願いします。こちとら江戸っ子だ、そんなケチなことが言っていられるか!

 ひとしきり朝から大騒ぎして、まずは第一部のはじめの『新選組』。これは前日から主役が代役になっていたのだが、もはや全く違和感がない。それどころか最初からその配役ででもあったかのように、自然に芝居が進んでいく。若い頃から主役を背負い、毎月3日の稽古で幕をあけてきた人たちはこれほどまで完璧に仕上げるものなのか。思わず日々の積み重ねのすさまじさを思い、ため息が出る。
 第二部にくると、今度は『安政奇聞佃夜嵐』の主人公・青木貞次郎役が幸四郎丈から猿之助丈へ。これはその日からの代役で、猿之助丈はもともとこの作品には出ておらず、しかもあまりやらない作品、だったはずなのだが。これが驚くほど素晴らしかった。代役とかなんとか考えるような余裕もなく、ぐうの音も出ないほど、青木という人がそこに息づいていた。そこに引っ張られて他の人たちも集中力が増し、この日の舞台はとても良いものではなかっただろうか。併演の『浮世風呂』では、笑野丈との色気ある踊りでこれまでの鬱屈した雰囲気を一気に明るく展開させ、これは本役だがやはり見事。ところが、その感動がすべて、第三部に持っていかれた。これほど感動することになろうとは…この時点で想像できるわけがない。

 さて、第三部緊張の幕があく。新作で主役がほとんど代役、しかも他の部の作品よりも長く、いろいろな仕掛けも多い作品だ。演出もそうとう省いてやるだろうし、まあこういう舞台に立ち会えることなんてないんだから全部楽しんでやろう、そんな気持ちでいた。甘かった。
 幕があく。まず出てくるのは蟹…はともかくさっそく代役の青虎丈。セリフは…なんの違和感もない。違和感がないどころではない。ちゃんと弥次郎兵衛がそこにいた。幸四郎丈とは色が違うだいぶ愛らしい弥次さんが、ちゃんと生きてそこにいた。青虎さん、ここまですごい人だったのか…!驚嘆し、ていたところに美少年と評判の高い染五郎丈がつとめる娘オリビアの登場。ではなく染五郎丈の代役のベテラン笑三郎丈のつとめる娘オリビア。か、かわいい。体格はずいぶん大きくなったはずなのに、歳もずいぶん上になったはずなのに、おかしい、あの美しい染五郎丈よりむしろかわいい。娘らしい。続いて次の場では團子丈がつとめる清純でかわいらしい娘お夏が登場し、ではなくこちらも代役のベテラン笑也丈による娘お夏。……!もはや言葉にならないほどかわいらしく愛おしい…!!!
 このお二人…それなりのお歳、しかも男性、らしい。素顔のお写真やプロフィールを拝見すると、やっぱりそのはずなのだ。ところが、今舞台にいる女性たちはむしろ少女。やっぱり女性が出ているんだ、そう思って筋書を見る、するとやっぱりそれなりのお歳の男性。なんだこれは。

 一幕は、代役初日なりにいろんなことも起こりつつ、驚くほど自然につつがなく幕がおりて二幕へ。いよいよ美少年染五郎丈がつとめる、ではなくベテランコメディ担当猿弥丈のつとめる梵太郎の登場である。丸い。美少年、丸い。舞台も客席もこらえきれぬ爆笑、それをものともせず演じる猿弥丈、見ているうちに急に涙が出てきた。なんとすごい場面に遭遇しているのだろう。猿弥丈の梵太郎、たしかに多少丸くなったしかわいい顔になった。ただ、見ているほうが普段の猿弥丈を知らずに見ていたら、そしてこれが代役ではなかったら…目の前にいるのはひとりのぽっちゃりした若者、意外と違和感がないではないか。それを、まわりが笑おうがどうしようが猿弥丈は動じることなく演じ切られたのである。なんという力量なのだろう。なんというおそろしいものを見てしまったのだろう。「ミスキャストにすら見える配役」という“想定外”がベテランの業によって作品の中にすっとおさまり、さらにこちらの想像がおよばぬほど強烈な魅力になって吐き出される。ベテランが若手の役を楽々やっている印象はない。どの人も手加減なし、ギリギリのところで闘っていることがピンと張った空気から伝わってくる。その気迫が、腹に響く。ストーリーと「何があっても芝居は続いていくんだ」という喜多八のセリフも重なって、見終わる頃には鳥肌と涙で揚げられる前の唐揚げ状態になってしまっていた。

 それにしても歌舞伎とはなんとおそろしいものなのだろう。いつも見ている歌舞伎はそもそもそういうものだったはずなのに、こうして急な代役で若い人の役をベテランがやるという事態になってはじめて、年齢も性別も体格も軽々超えることができるその芝居の真骨頂にようやく気づくことができた…なんとも間抜けな話だけれど。そういうおそろしさに触れたいから、また来月も劇場に行く。てもおそろしい、沼じゃなぁ。

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03.演技を散歩 ~ pulpo ficcion/第十三回 再びの視線

演技は「いかがでしたか?」とはいわない。演技は「また見に来てください」ともいわない。それをいうのは別の人である。

演技とは「やって、みせること」だ。とはいえ、それでは少し広すぎるので、映画やドラマや演劇の物語を描く演技にしぼって考える。それらは「やって、みせること」そのものを見せたいのではない。「やって、みせること」を通じて、その上に何かを浮かび上がらせたいのだ。

だから、まず演技は手段である。演技を通じて、大きく言えば物語やテーマを、細かく言えば人の世のかけがえのなさやせちがらさを、観客に届けるのが<ドラマ>である。

このとき演技は二回、視線をくぐる。作り手の視線と観客の視線の二つの視線だ。視線の中で作られた演技は再びの視線を受けて、ドラマとなる。

一つ目の視線

見るー見られる、ことが人の間に勾配を生む。見る側が力を持ち、見られる側が支配されるという勾配もあり、見られる側が支配する勾配もある。見る側、見られる側の、それぞれの内面の、これまでの幾千回の見ること見られることの積み重ねを踏まえて、幾重にもおり返す勾配の束としての現場で演技は視線を受け続ける。

あるとき、視線は動作を求める。A地点からB地点へn秒で移動し、その間たえず指を折り曲げていること。ただまっすぐに正面を見て、見つめる瞳の少し先に、感情のない声を置くようにとどけること。

あるところでは、視線は生理を引きおこそうとする。隠れた情報を大量に準備し、いっこの生理現象を再現しようとする。または、ここにあるものすべてを迫り上げることによって、不随意に生まれる情動を求める。

演技をしたいという欲求が、物語を伝えたいという欲望と出会う。主体と客体が視線を通じて行き違い、まじりあう。

ところで演技は生活ではない。物語は人生ではない。物語を描くための手段として存在する演技は、シナリオの部分部分を生きるが、全体として連続はしない。一方、演じ手の身体はドラマを超えて連続している。生身の身体が連続していることが、物語の連続性をこっそりと担保するのだ。(この稿続く)

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04.こういう基準で言葉を選んでいます(といくつかのお願い)

舞台、アニメーション、映画、テレビ、配信、etc。ジャンルは問いません。人が<演技>を感じるもの全てが対象です。編集人が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは問いません。熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。ほとんどがツイッターからの選択ですが、チラシやミニマガジン、ほっておくと消えてしまいそうな言葉を記録したいという方針です。

【引用中のスチルの扱い】引用文中に場面写真などの画像がある場合、直接引かず、文章のみを引用、リンクを張っています。ポスター、チラシや書影の場合は、直接引用しています。

【お願い1】タイトル画像と希望執筆者を募集しています。>
【お願い2】自薦他薦関わらず、演技をめぐる言葉を募集しています。>

05.執筆者紹介

箕山 雲水 @tabi_no_soryo
『火垂るの墓』の舞台となった海辺の町で生を受け、その後大学まで同じ町で育つ。家族の影響もあって、幼い頃より人形劇などの舞台や太鼓、沖縄や中国の音楽、落語、宝塚歌劇、時代劇などに親しんでいる間に憧れが醸成され、東京に出てきた途端に歌舞伎の魅力にどっぷりはまって現在に至る。ミュージカルやストレートプレイ、洋の東西を問わず踊り沼にも足をつっこんでいるため、本コラムも激しく寄り道をする傾向がある。愛称は雲水さん

pulpo ficción @m_homma
「演技と驚き」編集人。多分若い頃に芝居していたせいで演技への思い入れがけったいな風に育ってしまった。それはそれで仕方ないので自分の精神的圏域の妥当性を確認するためこのマガジンを創刊。

06.編集後記

連載が発散してしまいましたが、多分こういうことを考えたいので、しばらくお付き合いください。窓の外からおいしそうなカレーの匂いがしてきて、そういえばこの夏カレーライスを食べてないぞ!と気が付いて、猛烈にカレー駆動されています。それではまた九月末!

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