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演技と驚き◇Wonder of Acting #11

人が人前で何かを演じる。その不思議に、驚き続ける。[Nov/2020]

01.今月の演技をめぐる言葉

→今号から画像についてレギュレーションを定めました。詳しくは(04.)を!

ヒナコ・ヨ・シネマン@映画垢@hinakoyocineman

『朝が来る』の蒔田彩珠さんの演技は目を見張るものがあって既に演技派の域でした。今後、第一線での活躍が期待出来るティーン女優は2,3人おさえとけば事足りるかな、などと言ってられない豊富な人財が芸能界にはいる。表現を変えれば既に戦国時代。嬉しいんですけど、追いかけるのが大変です。笑

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じゅぺ@silverlinings63

そもそも俳優の演技にフォーカスして、そこから生まれるエネルギーですべて話を動かそうとする作りがあまり好きではない。井浦新の佇まいや蒔田彩珠の泣き顔に頼りすぎ?俺は別に演技を見たくて映画館に行くわけではない。あくまでそれはドラマに乗っかるための仕掛けでしかないはず。

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わたなべ@chi9nabe

忍術武者修行|衛星劇場
みるべき映画。
セリフの笑いではなく動き・所作・表情で笑わせてくれる。
三木のり平さん凄い!!マーク
欽ちゃん公開オーディションオンラインライブで欽ちゃんが教えてくれる動きの笑いはこれなんだ!とわかるなぁ。
笑わせるんじゃない
笑ってしまう

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☠️背◢⁴⁶骨☠️@1192seborn

「役者を褒めてる映画は映画として面白くないから」という意見もあるが自分はそうは思わない。
『タイトル、拒絶』が素晴らしいのは恒松祐里が素晴らしいから。彼女はこの映画の1キャストであると同時にこの映画のメッセージそのものを体現する存在だと思う。

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じぇれ@映画垢@kasa919JI

『#罪の声』
噂通り宇野祥平さんの演技が突出していましたねぇ。細胞単位で役作りをしているんじゃないかという凄まじさ。こりゃあ、今年度の助演男優賞を総ナメしてもおかしくない

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今号も引用させてくださった皆様、本当にありがとうございました。†

02.【!!新連載!!】雲水さんの今様歌舞伎旅(ときどき寄り道)

第一回:若さの生む悲劇と、現代の私たちと。ー 箕山 雲水

11月12日、歌舞伎俳優の坂田藤十郎さんが亡くなった。88歳。昨年まで舞台に立たれていて、2018年には『恋飛脚大和往来』の亀屋忠兵衛を演じていたほどだったから、まさか亡くなられる日が来ようとは思いもしなかった。舞台に立たれていることが当たり前と思い込んで、藤十郎さんの舞台は見ずにすごしていつの間にか数年が経っていた。推しは推せるときに推せとはよく言ったもの、逃した舞台は返ってこないから、いつでもチャンスは掴んでおかなくてはならない。悔しさと寂しさがあいまって、訃報を聞いた日は複雑な気持ちで夜が過ぎた。

さて、藤十郎さんが80代後半で24歳の亀屋忠兵衛を演じていたように、歌舞伎俳優は性別だけでなく年齢も軽々超える。当然ベテランになればなるほど芸の深みは増すわけだから感動も増すし、なんといってもブランドに弱い私たちのこと、若い俳優が演じるとなるとどこかで「若い人が挑戦する」意識になってしまったりするから、つくづくゲンキンなものだ。

ところが、俳優の若さが役の若さとぴったり重なったときに、思いがけない物語の魅力が見えてくることがある。『《シネマ歌舞伎》三人吉三』がまさにそれで、今月ひさしぶりに映画館で見て「若さ」ゆえの悲しさに圧倒されてしまった。

三人吉三は庚申丸という一本の刀を発端にした物語で、主人公はいずれも「吉三」の名前を持つ3人の盗賊である。この刀の一件から巡る因果が絡みに絡んで大きな悲劇を生んでいくという、ざっと話せばそういう話。このシネマ歌舞伎は串田和美さんの演出によるコクーン歌舞伎のひとつを撮影したものだ。コクーン歌舞伎の中ではオリジナルに比較的忠実な作品である。2001年から中村勘三郎さんを中心に演じてきたものを2014年に和尚吉三=中村勘九郎さん、お嬢吉三=中村七之助さん、お坊吉三=尾上松也さんの新配役で再演、これがシネマ歌舞伎として撮影・上映されている。

当時の3人の年齢は20代後半から30代前半。役の年齢よりは心持ち上だが、舞台が江戸時代であるということを鑑みれば同じような年頃だろう。その彼らが、とにかくまっすぐに役に挑んでいた。串田演出は普段の歌舞伎のような三味線や長唄は入らないし、シネマ歌舞伎では3人の顔が写真で大写しになる瞬間などもあるから、剥き出しに若さが迫ってくる。その若さで彼らは因果を背負ったのだ。幼い頃に居場所を失い、生きるために盗賊となった孤独な3人にとって、義兄弟の契りを結ぶ仲間ができたことがどれだけ嬉しかったことだろうか。その兄弟たちを因果に巻き取られて奪われたくないと、どれほど願ったことだろうか。とんだ悪事をはたらいてはいるが、ひとつひとつの選択は若さゆえのものだ。けっして根っからの悪だからではないことが、3人のまっすぐな、でも恐れを含んだ瞳から滲み出てくる。これがたまらない。彼らはなぜ、あれほどまでに苦しまなくてはいけなかったのか。悪人とされたら叩かれ居場所がなくなっていく今の社会とも重なり、とにかく胸の奥底が痛くなる作品に仕上がっていた。

人間国宝の出ている舞台だから良い、若い人の主演作だから未熟、と決めがちな自分にとっては衝撃的な作品。やはり選り好みせずに様々な舞台に出会いに…いかなくちゃな。††

03.今月の「Wonder of Act」(編集人の一押し)

『セノーテ』パンフレット小田香監督インタビューより。なおセノーテとは、メキシコにある洞窟のようなくぼみに地下水が溜まった天然の泉のことです。

(メキシコの方のインタビューについて)そうして初対面の方たちに、30分から1時間、セノーテの話を聞くということをさせてもらいました。その中で、マヤの伝統を伝えるための演劇をしている方に偶然出会い、インタビューの途中で、突如マヤ演劇のセリフを引用してくれました。その言葉は、映画の最後の方に男性のナレーションで入っているのですが、そういう偶然の出会いで、映画が出来ていったなと思います。(中略、ル・クレジオの翻訳したマヤの創世記について)彼がその神話の序文で思うところを書いているのですが、面白いフレーズがあって、私たちが今、マヤの神話やマヤの人たちのことを発見し、読んでいるのではなく、彼らの物語の中、もしくは視線の中に私たちがいる、という言い方をしていました。(中略)彼らのまなざしの中に自分が媒体、メディアとして居る、そういうことができたらいい、そういう映画にしたいと思っていました。

『セノーテ』はドキュメンタリー映画です。いわゆる「演技」は登場しません。けれど私はこの映画の圧倒的な音と光を浴びながら、なぜか「演劇」や「演技」のことを思っていました。鑑賞後、監督のトークショーに参加し、後日パンフレットを手に入れたとき、観ながら考えていたことが腑に落ちた気がしました。私は映画全体に眼差されていた。そして、生の演技とは観客に観られるものではなく、観客を包摂するものではなかったか。と。いずれ連載で取り上げたいテーマです。†††

04.こういう基準で言葉を選んでいます。その他

舞台、アニメーション、映画、ドラマ、etc、人が<演技>を感じるもの全てを対象としています。私が観ている/観ていない、共感できる/共感できないにかかわらず、熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。皆さんからのご紹介、投稿もお待ちしています。投稿フォームも作成しました。→投稿フォーム

なお、今号から引用エントリー中にスチルフォトが載っていた場合、記事を直接埋め込むのではなく、文章を引用し、エントリーのリンクを張るようにレギュレーションを変更しました。ちょっと華やかさはなくなったかもしれませんが、ご納得いただけるとありがたいです。(画像の引用は著作権上非常に微妙で、文章と違って一枚の画像が即作品であるため「都度、引用元、作者を明記する」が厳格な運用となります。がSNSについてはそこまでの厳格さを求められてはいない。という実情の中、それをこのマガジンのように一カ所にまとめるのは、個々のSNSエントリーとは表現しているレベルが異なるだろうという判断です。このことを考えさせてくださったworksさんに感謝です)

第12号は12月28日に発行予定です。マチさんの隔月連載も復活予定、雲水さんの連載も掲載されて、ついに2連載体制の確立です!マチさん頑張れ!(笑

連絡先:
Twitter/@m_homma 、@WonderofA
Mail/pulpoficcion.jp@gmail.com
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05.執筆者紹介

箕山 雲水 @tabi_no_soryo
兵庫県出身。物心ついた頃には芝居と音楽がそばにあり、『お話でてこい』や『まんが日本昔ばなし』に親しんで育った結果、きっかけというきっかけもなくミュージカルや歌舞伎、落語を中心に芝居好きに育つ。これまで各年代で特に衝撃を受けたのは『黄金のかもしか』、十七世中村勘三郎十三回忌追善公演の『二人猩々』、『21C:マドモアゼルモーツァルト』†††††

06.編集後記

いや、今回はもう駄目かと思いました。全体にシュリンク(縮小)してきて「この俺の世界」みたいになってしまいそうで。ということで、新連載を快く快諾(富士登山の山登り!)してくださった箕山雲水さんには、本当感謝です。そして、今月の言葉、イチオシも編集を終えてみたら振り幅の多い、私がやりたかったことに近づいたような気がします。

当たり前のことですが、煮詰まったときに自分がなんとかするなんて「プランB」でしかないですよね。開く、とにかく、人の声を導き入れる。

さて来号で1年間です。たった1年間です。来年の年末には、一年を振り返る特集号が組めるくらいの力、つけていたいです。ではまた次号で!††††††

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