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「お洒落」の捉え方: 気持ちの装い

あの人お洒落だよね、って言われて、どうにも納得しきれない時がある。
言いたいこと*はわかる。
でも、「お洒落」ではない気がする。

「むしろあの人のファッションは、「似合っている」と言うべき」だと。
それは「お洒落」ではないと思ったのだ。
「お洒落」と「似合っている」という言葉の峻別が、かなり恣意的で、自分流の言葉遣いだとは思う。でも、あえて、分けて使って、そういうものの見方をしている。
「この装いをすることで、華やぐような気分になる」ような感覚を持って、
ファッションを考えている人が「お洒落」だと思ってる。

なので、結構弾けていたりするファッションとか、見ててかなりお洒落だと感じる。それでいて、「似合っていない」けど、「お洒落」な人もけっこういる。全然いいと思ってる。似合っていることより、お洒落であることの方が大切だ。楽しいから。
装うことに、一日がアップリフティングするような華やぎがあることが大切なのだ。

あと、「ダサい⇔シュッとしてる」っていう指標もあると思ってる。

よくある「無難な格好」(白シャツ+リーバイス濃いめのデニム+アディダスのスニーカーとか)は
①「あまりお洒落ではない」
→本人が決めることなので、これも断言できることじゃないけど
②「(多分)似合っている」
→あれは大体の人に似あう。よほど清潔感のない髪型とか、すごく恰幅がいい人でもなければ大体似あう
③「(比較的)シュッとしている」
→トレンドとかではないが、清潔感があるのでシュッとしてる感じはする
(そもそも「シュッとしてる」と「お洒落」を別の座標軸に設定するのにも違和感があるかもしれない。)

この3軸が基礎的な評価基準だと思っている。プラスで、「色合い」(HSB)と、「参照元カルチャー/テイスト」とかを足せば、結構な解像度で人のファッションを見れると思ってる。
この見方をすることで、ファッションが、ヒエラルキーの概念から解放されて、すごく風通しの良いものになる。

そもそもファッションは階級=ヒエラルキーを明示的に表すという機能がとても強くて、居心地の悪いものだ。隷属身分を現したくてあんな服を着たい、支配身分を現したくてこんな服を着たい、というのは息苦しい。

後、プロの人とかだと、素材とかフォルムとか縫製とかも見れるんだろうか。
しらんけど

強迫神経的に、自分や周りの人間をステレオタイプとかキャラクターとか立場の枠組みにはめ込んで、枠の中に納まるか出るか、っていうのはすごく荒っぽくて、楽しくない。上の指標でいくと、「お洒落」のところがゼロかマイナス以外ない感じがする。

一つ一つのことに、美的な要素を見いだしていけば、日々を楽しく過ごせるだろうと思ってる。それも、時代と一緒に感覚をアップデートし続けていけば、飽きることなく、枯れることなく楽しめると思う。

あと、最後に宣伝なんですが、8月最初の金土日に公演あります。大阪の北加賀屋にあるクリエイティブセンター大阪です。詳しくはまた書きます。
→書きました(2019/7/12)「PAM 2019年8月の公演お知らせ」

*予測変換で「言いたいことは明日言え」という言葉が出てきた。考えてから発言すれば失言しないという意味のことわざらしい。

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