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涙でつゆだくの牛丼屋

先日、大学1,2年の時に住んでいた街の牛丼屋にふらっと訪れることになった。その牛丼屋に行くことが目的ではなかったが道中でちょうどお昼時だったために訪れてみた。スライド式のドアを右にずらして、店内に入った。
人間の感覚とはすごいもので今までの過去がフラッシュバックするように、前方から後頭部に向かって色んな思い出がすり抜けた。

バイト終わりの夜遅い時間に食べたあの日や金欠を理由に牛丼で済ませたあの日の昼下がり、「つゆだく」と注文したのに外国人店員さんの連係ミスでカラッカラのつゆなし牛丼を食べたあの日。色んな思い出が思い出された。

そんなことを考えていたら「涙の赤ちゃん」が出そうになっていた。涙が出る少し手前の、あの何とも言えない喉がグッと絞られるような、悲しい感情のあれである。当時、未来の自分に思いっきり期待して毎日がキラキラだった大学1年生の僕が哀れに思えた。すまんな。今のお前は悪いが、フリーターになってる。何も社会に実益を生み出していないホモサピになっている。悪いな、でもな、これからだ。
きっともっと未来の僕が何者かになっているからな、今を楽しめよ。


感情に浸る時間も与えてくれない牛丼の提供スピードはすさまじく、当時はなかったディスプレイが冷たく番号を映し出してくる。歩いて商品を受け取りに行く。昔は人が人に持ってきてくれたのに。牛丼はいつも同じ味で、同じ美味しさで、もう驚きはなくなってきたが今後もどうせお世話になるのだろう。生きていく上で増えていく地元に訪れた時には当時よく食べていたものを食べてみるのも面白いのかもしれない。

4年前の僕がスキップで店内を出ていくのが見えた。




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