【日記】用事を終えたり病気の臨床試験のニュースを知ったりした日

2024年3月21日 午後9時14分、書き始めます。

 今朝はゴミ出しをしたが、強風が落ち着いたかと思ったのも束の間、辺り一帯に強風が吹き荒れて何もかも飛ばされる事態となっていた。部屋に戻ってその事態に気づいた時にはゴミは突風によって何もかも視界没。

無論それは近隣のどこもそうであったから何処の物か見当も付かないゴミの乱舞といった具合で、最早人ひとりの力では如何様にもならぬ状態になっていた。回収できる所に引っ掛かっていた物だけどうにかしようとしたが、大体は焼け石に水。事故につながらなければ良いと願うばかりで何もかも後の祭りであった。

このような強風が吹く事が増えて近隣の破壊も一段と進んでしまった。そこらじゅうの建造物が細々と破損しているのを目にする。うちの屋根も無事かは怪しい。明日、点検をしてみよう。

そういった事で疲れ果てていたので倒れるように休んだ。しかし、その矢先にまた地震で起こされた。

 更に少し休んでからATMに行き、預け入れや引き出しに行った。やっと目的を果たせた。

 強風の騒音や気圧や気温の変化によって疲れている上に地震で起こされたのでまことに疲弊している。しんどい。

 夜、母が慢性疲労症候群も対象となる臨床試験が始まる話を教えてくれた。詳細はともかくとして、もしも病気が治れば少しは生活ができるようになるだろうか。

私の場合、中学一年で慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄炎)になってしまったから、学歴も職歴も何もなくコミュニケーション能力も鍛えようの無いまま今年で37歳を迎える引きこもりのニートのオッサンである。底辺オブ底辺なので職業適性があるとすれば異世界転生くらいだろうか。

仮に病気が治ったとて既に人生が終っていたのだった。

…と言っても同じ条件で不健康である今に比べればはるかにマシなのだが。それにその時々できっとアイデアも浮かぶだろうから、捕らぬ狸の皮算用はここまでとしよう。

しかし元気だと安楽死もしやすくなるなあ、と撞着語法的ではあるけれどそういった希望、健康体の人からすれば不可解に思われるかも知れない希望は増すのである。私の場合、幸いに子供も居ないから死ぬ事は大した問題ではない。責任が無いのは実に身軽で楽なもので、結局は苦しいのが一番嫌なのだ。そう思うと逆説的ではあるが希望が少し見えてきた気がして何だか機嫌の良い自分に気づく。

午後10時04分、書き終えます。

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