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「寄り添う」ということ

6月16日、私は、毎日ビデオジャーナリズムラボの講習を受けてきた。

動画を使って発信を学ぶもので、私も動画を撮るということからいろいろなものを学んで、得てきた。

今月の特別講師はフォトジャーナリストの高橋智史さん。

レギュラー講師は、元TBSキャスター下村健一さん、毎日新聞取締役小川一さん、元NHKアナウンサー堀潤さん。

肩書き、ってちょっと気になりますね。いつも悩むとこです。知れば知るほど。

でも、「先生」「先輩」ということが言えるかな、なんて思います。

ちなみにこの赤いカーデガンを着ているのは私。髪の毛伸びましたね(^_^;)

上の動画を見ていただくとわかりますが、高橋さんはカンボジアなどで取材をされているフォトジャーナリスト。

今、香港で起こっているデモについてに触れると、高橋さんはカンボジアで出会った方と重なる、とすでに感極まっていました。

その時、私は涙もろい人なんだな、なんて思っていました。ですがお話を伺っていくうちにその理由がわかりました。

その、取材方法に秘密があると感じました。

「僕は望遠レンズは使いません。広角レンズは使いますけど。」

「現場」にはできるだけ近いところに行って撮る。と言います。

今や誰しもが気軽に写真や動画などを撮ってSNSなどに発信することができる。

写真ももちろんですが、動画を撮るときには、相手に同意を得なくてはいけない。

ときに、同意を得ずに撮ることもある。

報道にまつわる映像を撮るときなどである。

撮る、ということを「撃つ(shoot)」ともいうと、私は以前この講座で教わった。撮る、という行為はとてもストレスがかかるということ。だから責任を持たなくてはいけない、ということ。

高橋さんは、「相互理解」「分かち合い」ということを重要視しているそう。

「私」という人を知ってもらうとも言っていた。

これは、私たちの普段のコミュニケーションにおいても重要視したい一つと感じた。


高橋さんの取材されるときに大事にしていること、それは「寄り添う」ということ。ちなみに調べてみると、「ぴったり側による、触れるほど側による」とあった。

私は、「また出た、この言葉。」と思ってしまった。

以前、国境なき子どもたちというNPO法人の松永晴子さんという方が情熱大陸に出演されていた時、彼女の言葉が今だに私の心を揺さぶるのです。

「寄り添う、って簡単に言えないじゃないですか。」

放送を見たときの私は、「そんなことないですよ」と思っていた。それは、私の「覚悟」だと思ったから。

今は、晴子さんのあの言葉は納得ができるように思えた。

高橋さんのプレゼンが終わった後、ジャーナリストの堀潤さんからこんな質問があった。

「高橋さんにとって寄り添う、とはどういうことですか?」

これは、堀さんから教わった「言葉の因数分解」をしよう、というもの。

例えば、「優しい」とはどういうこと?

気づくこと、待てる強さ、信じ続ける、真摯に向き合う、などなど。

一見、簡単な言葉でもそれはどういうことなのかを問うということ。

これは、コミュニケーションをする時にも使えることと、私は思う。

高橋さんから、寄り添う、とはどういうことか。

それは、「思いを注ぐ、分かち合う」ということ。とおっしゃっていました。

私の中で、また、「寄り添う」の意味が加わったような気がしました。

「痛みを知る」ということ。

そうすることで、「寄り添う」ことができるのかな、と思った。


ふと、中村中さんの「友達の詩」のワンフレーズを思い出した。

ブレイクするきっかけになった曲としてご存知の方も多いと思います。ちなみに、中村中さんは、この曲を今でもすごく大事に大事に歌っています。興味があったら是非ライブに足を運んでみてください。きっと心を揺さぶられること間違いなしです。

この「友達の詩」という曲は、「寄り添う」という表現がぴったりの曲だと私は思う。

「手を繋ぐくらいでいい 並んで歩くくらいでいい それすら危ういから 大切な人は友達くらいでいい」

手を繋ぐ、って実はかなりの気持ちがないとできないことだと思うのです。

並んで歩く、ということもタイミングやその時の雰囲気などにもよる、と思うのです。

だから、「寄り添う」ということを軽々しくは言えない。また、その意味をこれからもいろんな人に聞いてみたい、そんなことを思った今回の講座でした。


あなたにとっての「寄り添う」とは、どういうことですか?


All Photo by ©️GARDEN Journalism





何かいいものを食べます。生きます。