115.元気に歩き回れる幸せ

元気に歩き回れる幸せ

皆さんの年明けは順調かな?!
私はやっと長いお休みになったので、今年はのんびりスタート。元旦に実家に帰り両親の変わらぬ元気を確認してきた。

足腰も丈夫で80歳にしてまだまだ現役の床屋を営んでいる。私が子供の頃はバブル期で店が駅前にあったこともあり、働き盛りだった。それを思えば今は細々にはなるが、地元のご老人のお宅に伺ったりして髪を切ってあげているのだそう。

毎朝鳥と太陽よりも早くに起きて近所…というにはかなり歩くのだが1万5千歩のお散歩をして店に立ち、母はプール父は事務仕事、昼過ぎには一通り終わってしまう生活を20年近くしている。笑笑

私も両親もとても元気で、以前よりは歩くスピードは遅くなったとはいえ、まだ走れる両親を思いながらニューイヤー駅伝を見て新年を祝った。

父はその昔1万mの選手だったこともあり、走ることについてはうるさいので、適当にあしらっている。
母は短距離というよりなんでも器用に…。

いまだに電動自転車に飲み物や食べ物を山ほど積んで野超え山越え(坂が多いので)あっちのスーパー、こっちでこれをなんでやっているんだから、楽しそうでなによりだが、これが出来なくなったらどうなるのかな?とふと考えた。PPKを目指そうとは日頃話しているし私は一人っ子なのでお墓なども話も聞いている。今は元気だが育ててくれた両親が弱っていく日は必ずくるし自分も弱るはずだからその事を今から考えてみたいと思った。

ある本要約チャンネルをみていたら、人間らしく生きる権利として介護保険があるという。人間らしくという定義についてはそれぞれの価値観があるだろうけれど、ここでは、また私もだが、歩いて行きたいところに行けて、食べたいものを食べられて、温かい場所で休めると考え、仕事柄歩けることについてこだわって考えてみたい。

足腰が弱るというのは若くしても進行する。
私自身はなんでも次が詰まっていて、急ぎの生活をしているのには、訳があり、続けて移動していかないととにかく寒いからというのも理由だが一番は素早く動ける体を維持したいから。今何をしなくちゃいけなくて、考えながら体を動かせて…その力を落としたくない。階段を走るなども、テキパキ動けば時間が短縮出来るし、それが間に合わなかった場合でも間に合う設定にしてあるので、体調の良し悪しがわかるようになっている。

松田の他界した義理母は乳がんの術後家にいる時間が長くなってから、認知症となり、みるみるうちに弱った。興味関心も無くなった。スーパーに買い物に出て商品忘れてきた段階くらいから一緒に暮らしてきたが。送られてきた年金手帳が冷凍保存されていたり…私のは凍結だね!なんて笑っていたが。

足が上がらない状態、階段が登れない降りられないは結構早かったと思う。
車のシートにまともに座れなかったり、シートと通路の隙間に入って降りられなかったり、見たものしか分からない誰もが悲しい現実がそこにはある。最後大腿骨までスカスカになるのだから、そうだろうなと思った。

そうならないためにも、いつまでもさまざまなことに興味を持ち、行ってみよう!やってみよう!の精神でいたいと思う。
階段を使うとか、歩くとかは怠ってはならないし、キツイこともあるけど坂道を頑張って登るなどの工夫はしておきたい。銀座に買い物兼ねて出てきて感じたお正月だった。

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