見出し画像

プラムとピンクの魔法使い(3章‐3)

 結局、篝夏子とのご飯の約束は蹴ってしまった。というのも我が家に一人、一匹、いや一神様が居候するようになってからめまぐるしい日々が続いていたからだ。神様がこの家に居候を始めて一週間、事件は起こった。
「あれ? お菓子無くなってない? ていうか凄い勢いで減ってる……」
 口笛を吹くププ。相変わらず誤魔化すのが下手らしい。
「ププ食べちゃったのかな?」
「た、食べてないよ」
 明らかに動揺した様子のププは再び口笛を吹いていた。口笛と言ってもあまり音が出ていないのでただの息にしか見えないが、そこが可愛いところだ。
「正直に言ってごらん?」
「ププ、少し食べたけど、殆どプラムと神様が食べたんだよー。これ秘密なんだってー」
 秘密、という事を明らかに言っているがププは気付いていない。
「おい、そこのテレビ見ている居候」
「ワシ?」
 自分の事を指差して昂矢を見るカミキチを睨む。
「それからカミキチの膝元でテレビを一緒に見ているプラム」
「ぷらぷら?」
 なんだその鳴き方は。最近は突っ込むのも疲れてスルーする事でボケ殺しをしている。二人同時にこちらを見てくるので再び睨んで、
「お菓子、食べただろ」
 空き箱を見せ付けて低い声音で言った。すると二人とも慌てふためいた様子でプラムから順に、
「え、た、食べてないよー」
「し、知らないよーワシ」
 白けた声で言いながら視線を宙に彷徨わせる二人の姿に確信して心底疲れた溜息を漏らした。間違いない、この二人が犯人だ。ププに聞くより前から何となく察してはいたものの、いざ目の前にすると妙な脱力感が体を包んだ。未だに誤魔化そうとしている二人の姿を見て徐々に怒りが込み上げてきて、
「俺んちは貧乏なんだよ! 一週間分の食料を賄うのにどれだけ苦労してるか分かるか!」
「そんな怒らなくてもー」
「プラムは黙ってろ、買収されたんだろう」
 プラムは俯いて耳を閉じて落ち込んでいるがそれすらも無視して続けた。
「一週間経って未だに仕事の面接にも行けてないのはどういうつもりだ」
 あれから一週間、一度面接に行ったきり仕事をしようとしない怠惰な神様に向かって噛み付くように言った。すると神様は鼻に指を突っ込んだ格好であっけらかんとして口を開いた。
「えー、だって職業適性無しって言われたらさー、仕方なくね?」
「神様がそんな怠惰でいいのかよ……」
 もはや突っ込みというよりは呆れた口調で返答する昂矢は頭が痛くなっていた。再びテレビに視線を戻す神様、カミキチに向けて半眼で返すしか無かった。
「八百万って、大体そんなもんなんだよねー」
 絶対に違う。全世界に広がる八百万の神様に謝れ。胸中で毒づいたがこれ以上面倒になりたくなかったので口にはしなかった。
「神様ってのは意外と不便でさー、管轄によって出来る事違うし、人間の生活に慣れたっていうかさー」
 最早こちらの顔すら見ずに平板な声で言うカミキチにこめかみのあたりで何かがはち切れる音がした。冷静になろうとすればするほど頭に血が上って行くのが分かったので、
「とにかく今から大学に行く。帰ってくるまでに面接行く場所決めてなかったら追い出すから覚悟しろ」
 なるべく冷静に、冷淡な声音で言った。視線を落とすとププが昂矢を見上げていて、
「え、お菓子くれる人がいなくなっちゃう」
「いいからいくぞ」
 ププをそっと掴んで、プラムは頭を鷲掴みしていつものお買い物袋に入れる。朝からこんなに苛立つ事は今まで無かったので、というよりそもそもあまり感情的なタイプでは無かったので、これだけで息切れしそうな程疲れていた。そうしてめまぐるしい日々の第二幕は始まった。

 大学に着く頃には昂ぶった感情はなんとか静まっていた。それでも道中には沸々と湧き上がる殺意を抑える事に必死で多分凄い形相をしていたと思う。何度か向かいの座席の人に見られた気もしなくもない。
 大学の講義を終えて部屋を出た瞬間、脳裏に寝転んでテレビを見ているカミキチの映像が頭に流れた。万が一カミキチがハローワークに行っていなければ追い出す算段を整えなければならない。自分の平凡な生活の為に、未来の為に、そして何より我が家の家計の為に。
「で、どういう事かしら? 私からの連絡、一切返信が無いじゃない」
 階段を下りながら思考にふけっていた時だった。唐突に後ろから声がして振り仰ぐ。
「あんたか……」
「で、どうなの?」
 こちらの迷惑そうな反応も全く気に留めず聞き返す根性を持っている目前の美女は篝夏子だ。
「どうもこうも無いっす、最近ちょっと疲れてるから」
 頼む、今触れないでくれ。胸中で投げかけるが届くはずも無く、
「私のせいって言いたいの?」
「誰も言ってません」
 全部あの邪神のせいだ、と思う。再び沸々と湧き上がる感情を一所懸命に抑えたところで、疲れた溜息を吐いた。溜息が習慣になっている。
「別にいいわ。あなたが振り向いてくれない間、寂しさ紛らわす為に他の人と寝てるし」
 煽るような口調にぴくり、とこめかみのあたりが脈打った。
「……どうでもいいけどそれってさ、余計に虚しくなんねえの?」
 今は夏子の相手をしている場合では無いと思っていたが、思わず反射で返してしまった。言ってから後には引けなくなり、そのまま続けてしまう。
「男と寝たとか、そういう話を平気でするのってどうなの」
「別に関係ないんでしょ?」
 開き直ったかのように言う彼女の姿に昂矢は明らかな嫌悪感と敵意の眼差しを向けた。ミスコン一位が聞いて呆れる本性だ。
「元々、あたしその気も無かったんだから。いいわ、飽きた」
 言い残した後、そのまま反対方向に向かって歩みだす夏子の姿に昂矢は特に何も言わずに後姿を見ていた。睨むような視線を送っていると立ち去り際に振り向いて、
「まあ、無事に大学生活を終えれるといいわね」
 上から見られていたという事もあるが、見下すように言われて昂矢は心底嫌悪感を顕にして苦虫を噛み潰したような顔を向けた。

「何かあった?」
「いや、何でもないです」
 テーブルを挟んで座っている灯子に唐突に心配された。
「嘘だ、絶対何かあったんだ」
「いや、本当何も」
 今度は顕次にも言われて誤魔化しついでにビールを呷る。一気にジョッキの半分を飲み干して二人を見ると、呆然とした二人の視線が突き刺さった。
「その顔は大体何かあった顔だよね。美容院来る時も大抵何かあった時明らかに顔に出るし」
 顕次が心配した眼差しで苦笑気味に言うので、思わずテーブルに肩肘を突いて不貞腐れる。今日の出来事を二人に話すのもどうかと迷ったが、とりあえずそれを話さないと話題が前に進まないような気がして全てを話した。篝夏子の事を話すと灯子が驚いたように口をぽかんとさせた。
「へえ、そんな子がねー」
「飽きたって、俺は何にもしてないってのに」
 愚痴っぽく言ってから再びビールを呷って大きく溜息吐いた。
「まあ、ミスコン一位じゃプライドも高そうだけど、どうなのかな」
 再び苦笑気味に言う顕次に昂矢は何とも表現しがたい溜息を再度吐く。どういう流れで俺がフラれているのだろうか未だに理解出来ない。
「まあ、ほら。とにかく今日は、いつものな」
 顕次が鞄からごそごそとお買い物袋を取り出した。それに続けて昂矢と灯子もお買い物袋を取り出して、それぞれ中身を取り出す。プラムとププを外に出して、それぞれぬいぐるみをテーブルに座らせた。何故かお買い物袋にぬいぐるみを入れる事が主流となっている。
「ぬいぐるみに、かんぱーい」
 改めてジョッキを手にグラスをぶつけて乾杯し、それぞれ呷る。
「旨いねえ」
「だねえ」
 顕次と灯子が順に言って呷ったジョッキをテーブルに置いた。目の前には先にオーダーした料理が並んでいて、それぞれ食べ始めた。
 今日は昂矢が我慢の限界だと思い二人に連絡して居酒屋に来ていた。篝夏子の件があってからカミキチのいる家に帰って苛立ちが爆発しない自信が無かった。
「カミキチ君は?」
 灯子が思い出したように聞いてきて料理に伸ばしていた箸がぴくりと止まった。取り皿に移してから一旦箸を止めて、
「今日は留守番ですよ。まだ仕事探してなかったから多分一所懸命なんじゃないかなー」
「そうなんだ。せっかくだから一緒に来れば良かったのに」
 残念そうに答える灯子の姿に本性を話したかったが、話が面倒になってしまうので言わないでおいた。取り皿に移した料理を口に含んでいると、
「俺も会いたかったな」
「いいですよあんな奴会わなくても」
 顕次も少し残念そうに言うので思わず毒づくように言って咀嚼する。半分程どうでもいい存在なので特にそれ以上の感想も無かったのと、どちらかというと会わせたくないのが本音だった。
 昂矢がグラスを呷ったところで思い出したように顕次が口を開いた。
「そういえば灯子最近物忘れ激しいよな」
「えー、だって置いてた場所に物が無いんだもの」
 口をとがらせて答える灯子は言ってから頬を膨らませた。
「前よりひどくなってないか?」
「気のせいだって。アイシャドウ無くなるとか化粧品ばっかりだし、絶対この子の仕業なんだから」
「濡れ衣だよなー、ベアちゃん」
 いえ、それは多分その子の仕業です。前回話をした時はそんな様子は見受けられなかったが多分女の子なので化粧品の類には興味があるのだろう。実際に使ったりはしないだろうと思うが。
 二人の話を聞いているとテーブルに置いてあったスマートフォンがバイブレーションで着信を知らせた。
「毎度ごめん、電話だ」
「じゃあ私お手洗いに」
 顕次が電話に出ながら部屋を後にし、続けて灯子もゆっくりと立ち上がり部屋を後にした。急に取り残された昂矢だったが、この空間には話をしてくる者がいるわけで。
「で、どうなの人間」
 案の定、ベアから話しかけられた。
「どうって、何が」
 流すように答えてから昂矢は溜息交じりにグラスを呷る。テーブルに座っていたプラムとププ、くまおの三名も立ち上がって体を伸ばしたり自由にしている。その姿を尻目にベアに視線を戻すと、腰に手を当てた体勢でこちらを睨んで、
「当たり前でしょ、恋よ、恋バナ!」
 女子か、と突っ込みそうになったが明らかに女子なのでそれは胸中で黙殺した。それからこちらに近付いてきて、
「分かってないわね、乙女心。聞いた話じゃ本心じゃないに決まってるでしょ!」
「そんなもんですかねー」
 夏子の話を蒸し返されて面倒になった昂矢は視線を逸らしたが、ベアはそのまま続ける。
「そんなものなの、第一そんなお嬢様が素直なわけ無いでしょ?」
「それもそうだけど、どうでもいいよ。それよりあんまり化粧品漁るなよ」
 横目で注意しておいたところ、
「もうっ……、あ」
 溜息を吐かれると同時に個室の障子が空いた瞬間、全員が一気にぬいぐるみに戻った。空いた障子の隙間から灯子の姿が見えた。
「ごめんね、ちょっと並んでたから後にしようと思って」
「あ、いえ……」
 灯子が言いながら元の席にゆっくりと腰を下ろすので、昂矢は軽い返答で返した。それからいつの間にか元の位置に戻ったベアの頭を撫でてプラムとププ、くまおにそれぞれ視線を向ける。顕次の席だけぽっかりと空いていて静かだったので昂矢から口を開く。
「顕次さんいつも大変ですよね」
「そうねー。まあ、副店長だし、いつも帰りは遅いよね」
 リラックスしたようにテーブルに肩肘をついてベアに話しかけるように言った。
「まあ、私が前の会社にいた時よりはマシだよって言って頑張ってくれてるんだけどね」
「前の会社?」
「あ、言って無かったよね」
 そこで思い出したように顔を上げたので何の事か分からず昂矢は瞬きをした。
「そうそう、私ねくまのイラストレーターしてるの」
 スマートフォンを取り出して画面をこちらに向けたので少し身を乗り出して画面を見るとそこにはクマのイラストが映っていた。
「凄いですね。これ灯子さんが?」
 イラストを描いている事自体知らなかったので驚いて言うと灯子は軽く頷いて頬を緩ませた。細かく描いてあるそのイラストに昂矢は食い入るように見ていたが、スマートフォンを手元に戻したので灯子の目を見る。
「そうなの。まあ、フリーランスのイラストレーターだから仕事も少なくて、パートしながらね。だから正社員で目指してるの」
 それであのスーパーで働いているのだと説明しながら灯子は再びベアに視線を向けていたが、急にテーブルに身を乗り出して、
「前の会社すっごいブラック企業でね、大変だったの。夜中まで働かされるし、睡眠時間は二時間だけで風呂に入れない時もザラにある。そんな毎日信じられる?」
「それは本当に辞めて良かったと思います」
 体を壊しては元も無いので、そう答えるとそれまで勢いが良かった灯子の顔が急に翳った。
「でも辞める時も大変で。業界に変な噂流されて、再就職は難しいかなって」
 日本社会の闇を聞いた気がしてこれから就職しようとしている昂矢にとっては少したたらを踏みそうな話だった。
「裁判とかしないんですか?」
「裁判も考えたけど、日本って何もかも遅いじゃない。だから一番効くのは労働基準局よ」
 得意げに言う灯子の背景で、障子が開いて電話を終えた顕次が戻ってきた。
「いつもこの話の時は勝ち誇った顔するんだよ」
 席に戻りながら顕次は灯子に目配せして言った。
「だって、不正に抗った証じゃない。ちょっと正義の味方気取り。……負け犬だけど」
 自嘲気味に言う彼女の顔はビールのせいか少し赤くなっていて、それでいてどこか寂しげだった。
「とにかく、飲もう!」
 顕次が話題を変えるように一声上げて、再び乾杯し直した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?