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真夜中の独り言

時々この時間に書きたくなる。
他の時間だと、何かの音があるから集中できない。
音をあきらめるこの時間帯はものすごく集中する。

最近、noteの在り方について悩んでいる方を見かける。
私もずっとnoteをどうやって書いていけばいいのか悩んでいるし、これからもきっと悩むと思う。

最初の頃はとにかく文章が書きたかった。
自分の中の気持ちを吐き出したかった。
だけど実は私は、私の中の60%くらいしか吐き出せていない。
時々ワーッと吐き出すこともあるけれど、そこのラインはきっと超えていない。
その線を越えたらきっと毎日1500字以上の文章になる。
すごくハチャメチャな。

日々の出来事においては40%くらいしか書けていないと思う。
いやもっと少ないかも。

それがいい悪いは別にして、たまにその線が苦しい。

多くの人がそうだろうけれど、毎日は楽しい!と思う日なんてほとんどなくて、キツクて誰かに言いたいけれど、全部を言うと逆にもっとその辛さが大きくなる気がして自分の中に押し込む。
そしてnoteを開いて違う事を考えることで、浄化されているのだと思う。

以前の私ならきっと誰かに聞いてもらう事でストレスを発散していたけれど、話す事でその場面を思い出したりして残ってしまっていた。
今はその浄化方法が増えたおかげで、楽になった。
その楽しさを周りに伝えられないのが辛い所だけれど。

私がnoteにいるのは、たくさんの人と出会ったから。
なぜだかわからないけれど、私は人に恵まれる。
自分に取りえとかはないけれど、それだけは唯一自慢できる。

noteを一度やめた時も「夢☆相談室」のみんながいたから戻ってこられた。
noteをやめた時間は、他のことで埋められたけれど「みんなどうしてるかな?」これだけが気になって、待っていてくれたみんながいたからまたnoteをやりたいと思えた。
今もまだ、一緒に活動できているなんて私にとっては夢みたい。
感謝してもしきれない。

そして、私が迷い込んだのは「創作の街」。
noteを始めた時には、ただただ読んだりながめたりしていた街。
最初に詩を書くのはものすごく勇気というか照れがあったし、俳句や短歌、川柳に出会ってこの街に自分がいるようになるとは、全く想像していなかった。
だけどもし文章を書いているだけだったら、また休んだりもっと悩んだり苦しんでいたと思う。
自分の中を吐き出すのではなく、想像する。
自分からは生まれなくても、見ているだけでも楽しい。

そんな世界を教えてくれたのもまた、出会いがあったから。
今はただただ楽しく遊んでもらっている。
楽しいだけではない、色んな喜びも感動も一緒に味わって。

私は「毎日投稿」は最初から自分に合わないと思ってしていない。
そして鶴亀杯の後はもう少しスローペースになっていただろうし、ましてや俳句も短歌も詠んでいなかっただろうなと思う。

それを#ドラマティックな31日で

・その日の気持ちを写真にとって、俳句・川柳・短歌・都々逸・詩でのこす


なんて言ってしまったものだから、今の所非公開はなく夢の毎日投稿ができている。
これを書く事で、私の20%は開いてしまった。


はやしっぷ♡のおかげ。

彼女が「noteは遊び場」と言い切っていたのもかっこいい。
ありがとうね!

記事を読んでいただいて本当にありがとうございました。 めちゃめちゃうれしいです! もしちょっとでもいいな、と思っていただきましたらサポートぜひぜひお願いします🙏