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お気に入りのノートまとめ

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inbox noteは他者のノートをマガジンにまとめられるということでそのためのマガジンを作って見ました
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#哲学

私には「哲学者」になった友達がいる

今日は、私の面白い友達の話をしようと思う。 先月ぶりに会った彼は「哲学者」になっていた。 もう出だしの時点で面白い。面白すぎて困る。 彼は今「自由」について考えているようだ。私も思考のお手伝いをしながら、「自由」の本質に迫れないかと必死で考えていた。 この議論が繰り広げられたのは、地元のマクドの角の席。なんという状況なんだろう。 高校生や子供連れがいる中、奥の角の席で頭を突き合わせながら私たちは「自由とは何か」について議論していた。 この光景が私の理想郷だ。 「

千葉雅也インタビュー「書くためのツールと書くこと、考えること」後編

前編はこちら 「視触感」がいいという感覚 デジタルツールでの執筆には、基本的にゴシック体を使います。ゴシック体の方が、視覚情報が少ないという感覚があるので、内容に集中して書くことができるんです。明朝体の方が視覚的に豊かなので、脳に余計な負荷がかかる感じがします。執筆の最終段階では、明朝体に直して、視覚面も含めたプロダクトとして見ます。ただ、エッセイや詩など文学的なものを書くときには、最初から明朝体で書くこともあります。 stoneを使うのは、文学的なものを書くとき、つま

千葉雅也インタビュー「書くためのツールと書くこと、考えること」前編

制限が、書くことの支援になる 書くためのツール選びに積極的になったのは、ここ数年なんです。それまではむしろ、ワープロやエディタの欠点の方が目についていました。僕は、実家がデザイン会社を経営していたこともあり、中学生の頃からDTPソフトで遊んでいたので、ついフォントや字詰めが気になってしまうんです。たとえば、ワープロの横幅ぴったりの長さで一文が終わると気持ちが悪いので、次の行にまたぐように字数を増やすなど、見た目の気持ちよさを優先して内容を変えることがあるほどでした。しかし、

人生は雑草である

いやはや、疲れた。四月の末にちょっと体調を崩し、連休で回復したものの、五月も取材が多くて、一回ごとの労力はそれほどでもないけれど、前後の準備・休み時間も含めて意識の流れがそこで切断されると、自分本位の事柄を続けるのが難しくなり、意識下で疲れが蓄積しているようである。 それで、なんか疲れたなあ、となったら、振り返りをする。日程はGoogleカレンダーとWorkFlowyにあるから、簡単に履歴をたどれる。二週間から一ヶ月を振り返ると、発見があるものだ。今回はその作業についてちょ

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「書かないで書く」から「考えて書く」へ

文章を書くのに、もっと「余裕」が欲しいと思う。なんというか、まだ切羽詰まった書き方をしているところがある。これはパソコンで書くときの話で、そのときにはない「余裕」が、原稿用紙にモンブランの万年筆で書くときにはある気がする。太字の万年筆は、ゆったりした気持ちで書ける。文が難なく出てくる感じもある。それは何なのだろう。 いろんなインタビューで、2017年の12月、ボストンにいたときに「書かないで書く」の考察に至った、という経緯を話している。それ以後、『アメリカ紀行』、『デッドラ

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