映画の話

「グラインドハウス」(プラネット・テラー&デス・プルーフ)2007年

#映画

ぷらすです、こんばんは。

前回が邦画の話だったので、今回は洋画の紹介をしたいと思います。

今回紹介したいのは、クエンティン・タランティーノ監督「デス・プルーフ」とロバート・ロドリゲス監督の「プラネット・テラー」

クエンティン・タランティーノは「レザボアドックス」や「パルプフィクション」「キルビル」などの作品で、ロバート・ロドリゲスは「エル・マリアッチ」「デスペラード」や「スパイキッズ」シリーズで世界的に有名な映画監督です。

この二本は、二人の合同企画「グラインドハウス」用に製作された映画で、本国アメリカでは同時上映として製作されました。

「グラインドハウス」というのは、主にB級映画を2,3本立てで上映する映画館や駐車場を借りてB級映画を2,3本立てで上映する興行(アメリカ映画なんかでよく見る、車に乗ったまま映画が観れるアレ)の総称らしいです。

日本で言うと、場末の名画座みたいな感じですかね? もしくは年末の深夜TVとか。

今は、シネコン形式の映画館が殆どなので見かけないですが、僕の地元でも以前、映画は2本同時上映が普通で、目当ての映画の他に名前も知らないような映画と二本立てになってて、目当てだった映画が全然面白くなくて、逆に同時上映の名も知らなかった映画の方が断然面白かったなんて事も多々あったりしたものです。また、ジャッキー・チェンがモンキーシリーズでブレイクした時は、ジャッキー主演作6本立てなんて無茶な企画もあって、その内3本はジャッキーが単なる脇役の映画だったり。

今なら、問題になるんでしょうが、当時は今よりかなり大らかな時代でしたから、僕を含めみんな、「そういうもの」として受け止めてたんですよね。

で、B級映画やアジア映画大好きで知られるタランティーのが親友のロバート・ロドリゲスと組んで自分が大好きだった「グラインドハウス」をやっちゃったのが上記の二本なわけです。

タランティーノ監督の「デス・プルーフ」は、自分の内装が取り払われたカースタントのための耐死仕様の車(デス・プルーフ)に女の子を乗せて超乱暴な運転で殺す。(女の子はむき出しの車の骨組みに頭や体を打ち付けて死んじゃう)スタントマンマイク(カート・ラッセル)と名乗る変態殺人おじさんと映画業界で働くキム、アバナシー、ゾーイが対決するというストーリー。

圧巻なのはゾーイ役?のゾーイ・ベルが合成とかCGじゃなく、本当に爆走する車に掴まってスタントするシーン。っていうか、見所はほぼここだけですが。

あとの半分くらいは女の子の無駄話です。

映画内で一見無駄話に見える会話の中にキャラクターの心情や状況説明や複線なんかを自然に織り交ぜたり、会話自体でスリリングなシーンを作ったり、会話を武器に敵を騙したり戦ったりするのがタランティーノの真骨頂ですが、この映画では、無駄話は本当に無駄話です。

もちろん、それはタランティーノの狙いで、ここが撮りたいというシーンに殆どの予算をつぎ込んで、それ以外のシーンを適当に無意味なシーンでつないで一本の映画に仕立て上げるグラインドハウス系の低予算映画のやり方を忠実に再現したんだと思います。

さすがはタランティーノ、分かってらっしゃる。


で、『同時上映』、ロドリゲス監督の「プラネットアース」は凄くざっくり言うとゾンビ物です。

テキサスの田舎町で科学者アビー(ナヴィーン・アンドリュース)と軍の部隊長マルドゥーン(ブルース・ウイリス)の取引の最中に生物兵器DC2(コードネーム「プロジェクト・テラー」)のガスが噴き出して、町の人たちがゾンビ化して襲ってくるという超頭悪い話。(褒め言葉)

いかにもB級映画にありがちな設定ですが、そこはロバート・ロドリゲス、ひと味違います。

とにかく、登場人物が全員ぶっ飛んでるし、秘密兵器大好きでおなじみのロドリゲス監督の今回のメインは主演のローズ・マッゴーワン演じるゴーゴーダンサーのチェリーがゾンビに食いちぎられた足にマシンガンを装着してゾンビやら軍隊やらを撃ちまくるっていう。

あとはもう、シッチャカメッチャカで、人間vsゾンビvs軍隊が入り乱れて大乱闘。(かなり表現を控えめに言ってます)

もちろん、どんな目的で生物兵器ガスが作られたのかとか、軍の目的とか、結末はどうなってるとか、そんなのは些細なことなので気にしません。

だって、足がマシンガンの美人がゾンビぶっ殺す画は超燃えるだろ?

っていうロドリゲス監督の囁きが聞こえてきます。

多分、この人頭の中に小学5年生を飼ってる。

ただ、ストーリーは破綻してるというかあって無いようなこの映画ですが、とにかくテンポがよくて勢いがあるし、ロドリゲス監督は力のある人なので、退屈はしません。っていうか、観ている間は超燃えるし面白いです。(なぜなら男はいくつになっても頭の中に小学5年生男子を飼っているから)

結局、この手の映画はどれだけ振り切れるかが勝負ですしね。

ちなみに、この「グラインドハウス」の二本の間には嘘予告編が数本入ってるんですが、その中で面白そうと話題になって実際映画化されたのが「マチューテ」(2010年)です。こっちもロドリゲス節全開の怪作でした。

ただ、あえて「プラネットアース」に苦言を言うなら、正直、ちゃんとしすぎてるんですよね。

映画内でフィルムが途切れちゃうシーン入れたり、故意にストーリー飛ばしたり、フィルムの傷や音も再現したりと頑張ってるんですが、ちゃんと面白いんです。

面白いならいいじゃんって話ですが、B級映画独特の空気感がなくて、メジャー感が出ちゃってるというか、なんやかやでちゃんとまとまってるんですよね。昔の映画を今風にリメイクした感じというか。

倖田 來未の「キューティーハニー」みたいな感じって言えば分かりやすいでしょうか。

対して、タランティーノの方は、内容、画面の粗さ、オチの唐突さ、そして映画としての歪さまで含め、すべてが1970年代B級映画の空気感まんまなんですよね。

いわば、今の技術を使いながら当時の映画を完コピしてるみたいな。あ、僕が子供の頃TVの○○映画劇場で観た映画って確かにこんな感じっていう。

とにかく、この人、ホントこの頃の映画愛してるよね。ってのがビンビン伝わってくるんですよ。

元々、タランティーノは映画マニアのお母さんと一緒に色んな映画を観て育ったらしいですし、映画で食べていけなかった頃勤めていたビデオショップでB級映画やアジア映画観まくったり、お客さんと映画談義しまくったりしてた生粋の映画オタクで、この企画自体タランティーノ主導らしいですし、対するロドリゲス監督のお家はお金持ちで、幼少の頃からちゃんとしたしか見せてもらえなかった反動で今の作風になったとか、そんなロドリゲス監督にB級映画を見せまくって教育した(唆した?)のがタランティーノとか色んな噂がありますしね。

つまり、今まで観てきて影響を受けた映画の違いがそのまま作風の違いになってるみたいな事なのかもしれません。

もちろん、どっちが良い悪いという事ではなく(実際どっちも面白い)、タランティーノ、ロドリゲス二人の映画人としてのスタンスの対比も全部含めての「グラインドハウス」なんでしょう。

機会があれば是非二本合わせて(自己責任で)ご覧ください。




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