オンリーゴッド 感想(ネタバレあり)

#映画

「ドライヴ」で世界中の映画ファンから支持された、ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品。
主人公のジュリアンを演じるのは、「ドライヴ」に引き続きライアン・ゴズリング。

バンコクに住むアメリカ人のジュリアンは、表向きはムエタイジムの経営をしながら、裏では家族で麻薬の密売組織を運営している。
そんなある日、彼の兄が殺される。
彼の兄は16歳の少女をレイプし殺してしまった報復?として、父親に殺されたのだ。
父親から事情を聞いたジュリアンは彼を許すが、兄の訃報を聞きバンコクにやってきた母、クリスタルから報復を命じられる――。
というストーリー。


ここからネタバレあります。




作品全体の雰囲気としては、「ドライヴ」ー (カーチェイス+ライアン・ゴズリングの強さ)という感じですかね。
相変わらず、セリフは極限まで削られ、動きもそれほどなく、(多分)ジュリアンの妄想が本筋部分にカットバックとして入ってきたりが、レフン監督の独特な演出や色使い増し増しで映像化されてるので結構混乱するけど、構造自体は非常にシンプルな物語だと思います。

一言で言うなら、兄を殺された仇討ちをしようとしたら、返り討ちにあったというストーリー。

なのに複雑で理解しづらい感じがするのは、

1・主人公ジュリアンの母クリスタルは彼の兄を溺愛していた。(おそらく、母親は兄と肉体関係もあったと思う)
2・対して(多分)ジュリアンには一切愛情をかけていなかった。(育児放棄すらしてたかも)
3・そんな母親せいで、ジュリアンも兄も情緒不安定に。兄はロリコンになり、ジュリアンは妄想癖を抱えるマザコンに。
4・ここに絡むのが、バンコクの元刑事で、現地では「復讐の天使」と呼ばれるチャン。(趣味カラオケ)
この男、「元」刑事らしいけど、普通に警官とか従えてるし、法律とか関係なく、自分の裁量で罪を決めて自分で罰しちゃうという、何者なのかよく分からない男です。個人的には、コーエン兄弟の「ノーカントリー」のシガーに近い「絶対的な存在」に感じました。一つ違うのはチャンには娘がいて、普通の暮らしをしているし、悪人以外には紳士的で優しい男だということです。

とまぁ、これだけの設定がなんの説明もなく、本筋の中に断片的にぶっ込まれているんだから、そりゃあ混乱もするってもんです。(ただし上記の1~4は特に説明がないのであくまで推測ですが)

主人公のジュリアンは妄想癖があると書きましたが、映画の中では妄想と現実の境目もあやふやです。それが余計に観客は混乱させます。この辺はデビッド・リンチの「ブルーベルベッド」を連想させる作りだなと思いました。

という事を踏まえて、ストーリーを説明しなおすと。

主人公ジュリアンは、家業が麻薬密売組織という家の次男坊。
どうやら、兄、もしくは本人が、(多分)母親絡みの事情で父親を殺してタイに逃げてきた模様で、彼らはバンコクに住み、表向きはムエタイジムを経営しているが、裏では家業の麻薬密売組織の運営を手伝っている。

そんなある日、兄が少女レイプ殺人を起こし、その父親に殺される。
(その父親に兄を殺させたのは、元刑事のチャンで、その後チャンは娘に売春させていた罪で、父親の片腕を愛用の刀で切り落とす)
その後、なぜかチャンは無表情な部下たちの前でカラヲケを熱唱。

兄を殺した犯人である娘の父親を見つけたジュリアンは、事の次第を聞き、娘の父親を許すが、最愛の息子である兄の不法を聞き来泰した母親はジュリアンに報復を指示、同時に部下にも同じ指示をだし娘の父親を殺害させ、さらに娘の父親に息子を殺させたチャンへの報復も指示。

指示を受けて、部下はチャンに仕掛けるが失敗し返り討ちに。黒幕が母親だとチャンにバレる。
一方、母親に認めて欲しいジュリアンはチャンにタイマンを申し込むが、超絶強いチャンにフルボッコにされる。

窮地に陥った母親は、「良い母親になるから」「終わったら一緒にアメリカに帰りましょう」とジュリアンに自分を守ってくれるよう懇願。
(多分)母親の言葉はその場しのぎの嘘だと知りつつも、生まれて初めて母親に頼られた事が嬉しくて、ジュリアンは部下とともに警護の警官を殺し、屋敷に潜入しチャンを待ち伏せるが、そこで部下から「どっちが娘を殺る?」と言われる。クリスタルは部下には、チャンの家族も皆殺しにするように指示していたのだ。

そうこうしているうちに、家政婦に連れられて娘が戻ってくる。部下は指示通り、家政婦を殺し娘も殺そうとするが、ジュリアンは部下を撃って娘を助ける。

同時刻、ホテルで荷造りをしているクリスタルのもとに、チャンがやってくる。
クリスタルは、自分は死んだ長男の遺体を引取りに来ただけで、もうすぐ帰るととぼける。チャンはそんなクリスタルに「次男はどうするのか?」と聞くと、ジュリアンが夫を殺した罪を逃れるためにタイにきたこと、妄想癖があり何をするか分からない危険な奴だと、全ての罪をジュリアンになすりつけようとするが、すべてお見通しのチャンに、喉を刺されて殺される。

ホテルに戻って母の遺体を見つけたジュリアンは、チャンの家から盗み出してきた刀で、母親の下腹部を斬り、中に手を入れる。
そして、どこかの森の中、チャンの前で両手を差し出し、チャンが刀を振り下ろす。

場面は変わり、チャンは再び無表情な部下の前でカラオケを熱唱。その歌に併せてエンドロールが流れる。

妄想のカットバックを抜いて、自分なりの解釈を加えつつだとこんな感じの内容になります。

この映画の原題は「Only God Forgives」日本語にすると「神よ許したもう」という意味だそうです。

つまり、ジュリアンにとって母親は絶対的唯一神のような存在で、彼はずっとそんな母に憧れ、恐れ、反発しつつも精神的に支配されてきたわけです。
彼女が求めれば、それが己の信念や倫理観に反していても逆らうことは出来ず、そんな自分を罰してくれる存在を無意識に求めていたんじゃないかと。
しかし、チャンという母を超える圧倒的正義に出会い、罰を受け、許されることで、ジュリアンは母親の支配から解放された――ということなのかなと。

ジュリアンが母親の下腹部に手を入れたのは、一度、子宮に戻ることで「生まれ直した」というメタファーなのかもしれません。
つまり、これは「親離れ」の物語なのかなと。
もしくは、チャンに殺してもらうことで、愛する母のもとへ逝くことを許されたとも取れなくもないし(最後のカラオケはチャンからジュリアンへの鎮魂歌だったとか)、彼の神が母親からチャン=父親的存在に変わっただけとも取れなくもないので、解釈次第でハッピーエンドにもバッドエンドにもなっちゃうんですよね。
うーん、難しい。

ハッキリ言って、変な映画だし、爽快感もないので、オススメは出来ませんが、90分と短い作品なので難解なパズルに挑戦するような気持ちで観てみるというのもいいかもしれません。

っていうか、他の人の意見が聞きたい。


12/26追記
レフン監督は、本作について「極東を舞台にした西部劇を撮りたかった」と言っているそうで、それにしてはヘンテコな作りだなーと思ってたんですが、ジュリアン目線ではなく、チャンの目線で観れば、この映画は確かにヒーローが悪人をやっつける西部劇的な作りなんですよね。

あと、映画の最後に「アレハンドロ・ホドロフスキーに捧ぐ」っていう文字が出てくるんですが、ホドロフスキーと言えば伝説的なカルト映画「エル・トポ」の監督で、この映画も西部劇なんですよね。言われてみれば、確かに似てるような気もしなくはないなぁと。

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