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展示をしていて出会うこと②

さて、ほどなくしてまたpixivに展示のお誘いがありました。
神奈川のギャラリーA(仮称)でした。
直接行ける場所だったし、出品料も安かった。作品を見てもらえるチャンスは欲しかったし
これにも出品しますとお返事しました。

「毒草園の少女」
「Virginity」


搬入に行って、他の方の作品見ると先日のギャラリーS-1の展示に出品していた作家さんがいたので
ご縁が繋がってのお誘いだったのかなとその時は嬉しくなりましたが、
オーナーのT氏と話しているとだんだんと違うことが見えてきてしまいました。
このギャラリーA、変わった作りで1階は立ち飲み屋、2階がギャラリーという作り。
T氏は両方の店長でした。
最初の展示の時はまだ私の作品についても思うことを聞かせてくれていたのですが、
通ううち、私には経営の話しかしなくなっていきました。
S-1での私の作品は全く覚えていないとの事、
最初の私へのメールは全くのあてずっぽう営業で途中でめんどくさくなって
やり取りは途中から相談役として別に居るO氏に任せた事、
本当はこの人、現代日本画家の丁子紅子女史が欲しい事、
などなど、話の端々にこぼしていきました。
私はそれが悔しくて、デジタルばかりの展示だったのでアナログにも何年振りかのチャレンジをして
ギャラリーAに持ち込みましたが、新作出してもアドバイスもくれなくなりました。

「アダム」
「少女」
「鉱」
「夢魔」


結果、2年程このギャラリーとはお付き合いしましたが悔しいしかなかった。
最初の方で切り上げれば良かったんですよね。
記録のためにプリントアウトして取ってあった最初の規約に無い出展料に関する項目が知らないうちに増えていたりもしたし。
でも、一番悔しかったのは、他の油画展示作家の男の子からもらった言葉かな。
「ハイアートじゃないじゃないか」
展示するという行為の中でデジタルがどれだけ低く見られているかという事実。
私の作品がまだまだ未熟だったのはあるけど、同じ壁に展示していても同列とも思われていないという事実。
意味がないんですよ。米山舞さんやwatabokuさんのような超有名になっているならいざ知らず
全くの無名作家がデジタル展示しても。
別のギャラリーでもお客さんに「要するにこれは印刷なの?」で切り捨てられたこともあります。
デジタルを展示するのは難しい。工夫しなくては見てもらえない。
本当はモニターとかサイネージとか設置して自由に拡大したりして見てもらえる展示がいいのかもしれない。
どんなに真剣に描いても受け取ってもらえない。

でも、このギャラリーAで一枚だけ、
デジタル作品でしたが初めて作品を買ってくださったお客さんがいました。
それだけは確実な成果でした。

「茶会心中」

ギャラリーと作家の関係って何だろう?
大体において作品が一番最初に日の目を見る場所です。
作家をプロデュースする企画画廊では良いにつけ悪きにつけ言及するものだそう。
展示に見合うクオリティーではない時はそれも言ってくれるとか。
貸し画廊にそれを求めるのは間違いだろうか。
作家にとっては評価・感想をもらえるのは一番モチベーションに影響するのに。
T氏、この評価感想を「おべっか」と思っているところがあったのね。
それが一番信用できなかった。

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