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フェルミの魔族論

 恐るべき魔族という生き物は古くからその存在を知られているが、学術的な研究が非常に遅れている種族でもある。前世紀、前々世紀では世の真理とは即ち神の意思であり、悪魔や魔族というものを研究するなど凡そ「善き人」として許されざる大罪である。悪魔主義者《サタニスト》などと呼ばれて川に沈められるか、赤い服を着た三人の風変わりな枢機卿に罪の告白を要求されるかの何かの道を選ばされた事だろう。更に前の時代には、悪魔を使役するものすら居たと言うのに!(無論それを推奨するものではない)
 しかし今この啓蒙の時代にその様な対応は間違っている。全ては調査され、考察の対象となり、分析されるべきである。それは神の御業の素晴らしさを些かも損なうものではなく、寧ろその精緻さに心奪われ、神の威を讃える美しい言葉を新たに紡ぎ出す行為なのだから。科学的、学術的考察と神学や美は決して相反するものではなく、高次において一つの輝きとなるものである。Confess!と叫ぶ枢機卿たちのなんと残念なことか!
 今、我が国で魔族の暗躍が噂される中、敵の生態や思考に対して対処せざるは国家--いや、人類に対する反逆とも言える。筆者は僅かばかりの知識--それは自ら誇るところのものである悪魔討伐師《エクソシスト》としての経験--と、数多の賢人から見聞した事例を総合し、勇気ある者への啓蒙の書を認《したた》めんとするものである。

 悪魔や魔族は、その主たる部分が思考の領域アストラルスフィアに属する存在である。我々主物質界プライムマテリアルの生き物とは根本的に異なる存在で、実のところ精霊界の存在やイセリアル界の存在と並立するものと云われている。火の精霊と水の精霊が対となる様に、アストラルの存在である彼らは天使や神々と対を成す。それ故に我々悪魔討伐師エクソシストは聖なる神々の力をお借りしてこれを討伐する訳であるが、討伐は実のところ大変に困難である。
 有名な詩に以下の様な記述があるが、これは如何なることかアストラル界の一部を正確に描写している。

In the greenest of our valleys
By good angels tenanted,
Once a fair and stately palace—
Radiant palace—reared its head.
In the monarch Thought’s dominion,
It stood there!
Never seraph spread a pinion
Over fabric half so fair!

Banners yellow, glorious, golden,
On its roof did float and flow
(This—all this—was in the olden
Time long ago)
And every gentle air that dallied,
In that sweet day,
Along the ramparts plumed and pallid,
A wingèd odor went away.

Wanderers in that happy valley,
Through two luminous windows, saw
Spirits moving musically
To a lute’s well-tunèd law,
Round about a throne where, sitting,
Porphyrogene!
In state his glory well befitting,
The ruler of the realm was seen.

And all with pearl and ruby glowing
Was the fair palace door,
Through which came flowing, flowing, flowing
And sparkling evermore,
A troop of Echoes, whose sweet duty
Was but to sing,
In voices of surpassing beauty,
The wit and wisdom of their king.

But evil things, in robes of sorrow,
Assailed the monarch’s high estate;
(Ah, let us mourn!—for never morrow
Shall dawn upon him, desolate!)
And round about his home the glory
That blushed and bloomed
Is but a dim-remembered story
Of the old time entombed.

And travellers, now, within that valley,
Through the red-litten windows see
Vast forms that move fantastically
To a discordant melody;
While, like a ghastly rapid river,
Through the pale door
A hideous throng rush out forever,
And laugh—but smile no more.
(From E.A.Poe "The Haunted Palace")

 先ず、彼らは思考の領域アストラルスフィアの存在として高度で緻密な魔術知識を持ち、世界法則を理解して世の理ことわりをねじ曲げて来る。そもそもとして呪文抵抗力が高く、単なる魔法や呪術は抵抗《レジスト》されて威力が半減するか効果を失うだろう。そしてその上--その上だ!--上位の魔族ともなれば魔法無効化《アンチマジック》の権能《チート》まで行使する。ならば剣や弓でとなるのが常道だが、主物質界における彼らの主体は「思考領域《アストラル》側」にあり、魔法の武器以外では傷付ける事が困難。魔力付与《エンチャント》武器による加害も権能《チート》が発動した場合は無効化される事がある。そもそも高位魔族は身体能力も高く、物理的攻撃を当てる事や彼らの攻撃を避けることが難しい。魔法利用に特化した個体でも中級冒険者に匹敵する身体能力を保持している。これに対しては七年前、仲間と共に筆者自らが経験しており、今この書を綴る事が出来ることを守護女神《ファミアおおめがみ》に篤く御礼奉る次第である。
 実際、彼らを加害するのは影を切る様なものだ。影は剣で斬れぬし突けぬ。魔力を伴わなければ焼いても凍らせても意味はなく、無闇に光を浴びせても影はより濃く、はっきりと輪郭を際立たせるだけである。ならば闇の中に沈めるかと考える者もあるかと思うが、闇の中では彼らが全てを司る。影を切っても仕方がないのだ--《《影を生み出す本体》》を討伐しなければならない。そして影の本体は主物質界に微かに重なる思考の領域アストラルサイドに実在するのだ。そこに届かない攻撃は無効である。
 ……となれば、単純にその様な魔法を用いれば良いと考えるのは早計だ。我々は主物質界の住人で、困難となる問題は『主に物質的なもの』である。故に様々な技術は主に物質的な所に影響する様になっている……空飛ぶ鳥が海に潜って長時間泳ぐ必要はなく、魚が陸でペタペタと歩き続ける必要は無い。必要は発明の母というが、必要が無ければ発明が無いのも道理だ。我々には本来必要のないものだったのだ!
 ただし「有る無しで言えば」……アストラルサイド攻撃専用呪文は《《有るにはある》》。主に創世の時代、悪魔との対立をしていた神々の軍勢が使った古い呪文だ。当時は必要だったので開発されたが「必要とした存在は人間では無かった為」人間が扱うのは非常に困難。これを神技《しんぎ》と言う。もっとも、使えたとして「普通は」効率的では無いので他の手段を用いた方が良い。
 次に専用呪物を用いる方法がある。恐らく最もポピュラーで酒場で語られる英雄詩でお馴染みの方法だが、極めて現実的な方法だ。神々の工芸品アーティファクト中には魔族などのアストラル体を攻撃し得る武器がある。
・我が国の国宝の一つ「竜剣ペインキラー」
・悪魔も怯えるデーモンドライバー。
・アストラルサイドの存在に広く効くシャドウスレイヤー。
・古代より伝わるエメラルドソード。
・「7月4日の騎士」が使う光剣。
・天秤剣「嵐をもたらすもの」「うめく刃」
--何もサーガに語られる程に強力で、魔王すら打ち砕く……が、そもそも悪魔と戦う機会自体が少ないので、当然ながらこれらの武器は稀少である。時代の騎士の光剣だけはある程度の存在が確認されているが、基本的な問題として発動が難し過ぎる。あの威力は半ば以上「7月4日の騎士」そのものの力と言って良い。単体の強力な魔族と対峙する際には有効な手立てとなるが、これらの多くが国宝となっている事からも明らかな通り、その様な存在と対峙した時は一刻も早く国軍に通報して、国家権力により討伐する事を考慮戴きたい。一般人や冒険者の手にはあまるものだ。諸兄が世界の命運を背負う必要はない。
 次に通常我々が用いている呪文を始めとする「魔法」だ。少々複雑な話になるが、魔法の基礎となる《《ことば》》は思考の領域アストラルスフィアの内、言語・論理ロゴスに分類されるものであり、ロゴスの力を用いて精霊界や内的世界《インナープレーン》の各所から力を引き出し、術として用いるものである。この為、全ての呪文は基本的には魔族を始めとするアストラルの存在にダメージを与え得る。しかしロゴスの力は彼らアストラルの存在に親しいものであり、当然の事ながらアストラルの存在は呪文に対する抵抗力が極めて強い。術者の力量と相手のランクにもよるが、基本的に同格同士であれば人間の唱えた呪文は魔族に抵抗《レジスト》されて威力を半減させられてしまうだろう。故に、術者は魔族と対峙した際には呪文は必ず抵抗《レジスト》されると予期した上で、呪文《スペル》そのものを選択しなければならない。戦術レベルでの対応が必須となるのだ。魔族をエティンやグリフォンの様に捉えていては、ダンジョンに屍を晒す羽目になる。
 呪文の内、抵抗《レジスト》ができないものは対魔族時には大変有効だ。次に抵抗《レジスト》されて効果が減じても《《残る》》もの、使ってはならないのが抵抗《レジスト》されると効果なしとなるもの。特に精神に影響を与える呪文の扱いには注意したい。大体の場合、抵抗《レジスト》の必要すらなく無効だ。
 魔法の武器の内、魔法効果を顕現させる--例えばカートリッジ式の雷撃《ライトニングボルト》を撃ち出す雷撃杖など--はやはり抵抗《レジスト》されて効果を減ずるが、直接加害する魔法剣などは、抵抗《レジスト》出来ないが故にそれなりの効果を発揮できる。無論魔族と接近戦を行う事が出来ればだが。
 然しながら、魔族は魔法無効化《アンチマジック》の権能《チート》を用いる事がある。本来これは神々にのみ許された権能である筈だが、何故か魔族が用いる事例が散見されている。神々以外は外の世界アウタープレーンの存在が極々稀に--眼の暴君アイ・タイラント脳食らいマインドフレイヤー--権能を持つが、これらは外なる神により分け与えられたものという記述がある。
 理由は不明だが、「変革の日」以降この権能《チート》を用いる魔族は発見されていない。我々にとっては喜ばしいことではあるが、用心するに越したことはない。常に準備だけはしておくものだ。心構えというものは誰にでも出来る。もしも魔法無効化《アンチマジック》の権能《チート》を使いこなす魔族が現れたのであれば、魔法や魔剣ではなく、神技《しんぎ》や神々の工芸品アーティファクトを用いるべきだ。これらは権能《チート》を打ち破る可能性が高い。

 次に、実効性は薄いが勇敢なる人々の為に観念に近い話をしよう。恐らくこれらの知識は直接的には皆の役には立たない。ただし、ある時ある場面で偶然にも役立つ事があるかもしれない……以下は魔族の属する思考の領域アストラルスフィアの構成や論理の話であり、活用は難しい。
 先の項では主にロゴスの力を用いて魔族に対抗する術を述べたが、アストラル界で有効なものはそれだけではない。大別して三つの要素がアストラル界では大きな力を発揮する。その三つとは、ロゴス(logos)、パトス(pathos)、エートス(ēthos)である。それぞれの概念の説明は非常に困難である為、本項では三つの力の詳細な説明は省かせて戴く。興味がある方は「最高の目的Aristotelēs」を名乗る方の著作をお読みいただきたい。
 ロゴスは論理であり、言葉である。即ち言葉とは本質的に論理《ロジック》である。我々は論理により相互を理解し、学ぶ事が出来る。アストラルの存在は非常に強く論理と結びついており、先にも述べた様にアストラルの存在をも縛り得る。比較的論理との結び付きが弱い我々とて借金や結婚の契約に縛られる様に、或いはそれ以上に契約はアストラルの存在を束縛する。故に彼らはそれを怖れ、可能な限りそれから離れようとする。また、人間が自ら何事かの約束や宣誓をして力を得るという呪法は古い時代に良く用いられた。騎士団の責務の宣誓ゲッシュや一部の格闘家の用いる武技言語、剣の男の宗門における「加護と誓約」もそれらに近い。
 次にパトス。感情や情熱などの訳を当てられる事が多いが、心の奥底より激しく湧き出る感情などの幅広い意味を持つ。魔族などもこの力に通じているが、ロゴスにおける結び付きの強さと比較した場合、人間と魔族の差が少ない分野であると推察される。事例としては少ないものの、愛するものを奪われた戦士の激情やある種の怒りは時として魔族のそれを遥かに上回り、彼らにダメージを与える事がある。この推論はある学者により東洋からもたらされたものだが、かの国にはビーストスピアと言うアストラル体専用武器が存在する。それはある強大な獣の姿をした悪魔に家族を奪われた鍛冶屋が鍛えた槍であり、その槍は怒りに魂まで焼き尽くされた鍛冶屋自身であると伝えられている。神々の工芸品アーティファクトとは異なり、パトスの一つである怒りに同化した人間の凄まじさが生み出した呪物であるが、この様な事もあるらしい。
 また、これは私がその場を偶然目撃した弟子から聞いたこと(つまり、伝聞)であるが、ある時迷宮深部で魔王と偶然対峙した戦士が、愛用の剣を破壊されて「怒りと悲しみと慈しみと驚きと殺意が入り混じった、文字通りの《《絶叫》》を上げた所、なんの魔法も付与されていない破壊された剣の破片が(大変疑わしいのだが!)魔王の眼に深々と刺さった」と言う事である。亡き父から継いだ家宝の剣なのか、愛する人から贈られた剣なのかさっぱり分からないが、なんらかの理由で感情が爆発した人間の振るう剣《ちから》は、時と場合により魔を断つ事が出来るのかもしれない。
 そして、エートス。道徳の能力と訳されるが、ロゴス・パトスと並列される場合はもう少し広い範囲の意味合いを持つ。それは個を形成する全般的な性質であり、知や技術、美徳や個人の習慣、それらの調和である。
 多くの場合、魔族のエートスは不格好《バロック》であり、何か一つに長じるなど歪さを現すものが多い。神々、或いは神々の似姿として作られた我々は数々の美徳を満遍なく育てて調和の中に己のエートスを求めるが、これが魔族には酷く不快に思えるらしい。この窮極の中庸、全き美徳の顕現が東方にて信仰されている如来である。聞く所によれば如来は魔族に完全なる優位性を持ち、降魔折伏の権能を示すとされる。我々の世界が知るアストラルの存在がロゴス方面に些か偏りを生じているのに対して、如来は力の調和という点で優っている。
 先に述べた7月4日July 4thの騎士の用いる光剣が魔族に効くのも、彼らのエートスが気高く輝いているからであり、彼らの力の本質もまたアストラル界に属する力である。また、何故魔族が勇者に討伐されるのかという命題に対しての答えをエートスに求める事もできるだろう。彼らはその技能や武具の優秀さにも助けられているが、真に魔族に対抗する力となり得るのは力ではなく、エートスである。その献身、勇気、愛、慈悲などの様々な善性の総和が彼らを助ける真の力だ。
 古来より魔を退け人間が人間として追求すべきイデアとして、真・善・美の三つの要素が挙げられている。真、即ち理論の正しさであり、ロゴスである。善、即ち正き道徳であり、エートスである。美、即ち感情であり、心を揺り動かすもの、パトスである。
 万全なる思考の領域アストラルスフィアの住人と目されている魔族であるが、その界の三つの力の要素の内、「真」一つのみを不十分に満たしただけの存在であって完璧でも完全でもない。だからこそズルチートをして自分を磨かない--彼らはいつの間にか不思議なことに「好かれる」事を求め、努力も無しに「権能《チート》」を用いて強者の様に振舞い、自らの魂の醜さを顧みない。不完全にも程がある。彼らは例えるならば磨かれざる宝玉であり、研鑽を知らぬ。しかし彼らは生得的に持つそのロゴスに対する知識と理解が深い為に権能《チート》を駆使し得る。
 こうして見て行くと、魔族との戦いに於いて問題となるのは「我々の知識の欠如」である事が判る。対抗手段はない訳ではないし、多くの場合それらが未発達なだけである。何故未発達かと言えば、戦う必要性や頻度があまり高く無かったからの一言に尽きる。
 逆に言えば、その様なことは望みたくないが、《《必要性が増せば》》対魔族用の戦術や方策は開発されるであろう。既に一部の冒険者ギルドでは有力な冒険者を招聘して講演会を開き、魔族に限らず対抗法や注意点、冒険者生活を続ける上でのノウハウを伝授しているという。私も一度講習を受けた事があるが--アストラルの住人でもこちらに来ている時は受肉しており、ダメージは知らないがスネア罠で転ぶし、物にぶつかれば止まったり飛ばされたりもする。彼らは主物質界《プライムマテリアル》での肉体操作に慣れていない。我々人間が当たり前と理解している事を初めて知る事がある--という話には驚かされた。我々が彼らを知らぬ様に、彼らも我らを熟知していないというのは興味深い話ではある。童謡として知られる「手品師が悪魔を手品で騙した話」は委細はともかく実際にあった話かもしれない。手品ではなく魔法で処理できる彼らからすると、逆に魔力を用いない手品は魔法に見えるだろう。また、アストラル界では稀である「物質・物理」にも知見が無いらしく、ある種の格闘技に於いて利用されるテコの原理を理解できていなかったという話も耳にした事がある(これは個体差もあるだろう)どの世界にもバカはいる。そして我々より多くの部分で精神的・思慮的な存在であるアストラル界の存在は、精神や思慮の揺らぎでその力を減ずる。それは我々の肉体の欠損や怪我の様に作用するのだ。
 次に個体差や能力の差について述べよう。我々人類が他種多様であるように、魔族も多種多様である。特に注意が必要な名持ちネームドについては後述するが、主物質界によく現れるものは殆どが(幸運なことに!)個体名を持たない比較的倒しやすい種である。魔族と言ってもインプのような比較的低位で銀の武器さえあれば然程《さほど》脅威とならないものから、ピットフィーンドやサキュバス・インキュバスの様に注意が必要なもの、ベルゼビュートやアモン、グラシヤボラス、アゼザル、アムドゥシアス、アザトゥース、ツトゥグァ、バルバトスなど高位の魔族に至っては出会わない事を祈るしか無い。

 段階としては、大凡であるが

1. 通常武器での攻撃が効くもの
思考の領域アストラルから完全に主物質界に移動してきているものに関しては通常武器での加害が可能である。稀に加害への抵抗ダメージレジスタンスを持ち、ダメージを半減させるものもいるが、魔法の武器および銀の武器では通常通り加害可能。

2. 魔法の武器での攻撃が効くもの
一時的な魔力付与《エンチャント》でも完全にダメージを与え得る。銀の武器による加害は半減される。稀に魔法武器によるダメージにも加害への抵抗ダメージレジスタンスを持つものもあるが、この権能はほぼ名持ちネームドに限定される。このクラスに対しては魔法も大部分が抵抗《レジスト》される。

3. 一般的な魔法武器に抵抗力のあるもの
一般的な魔法武器の加害ではダメージが半減し、魔力付与《エンチャント》武器では魔力分しかダメージを与えられないもの。神々の工芸品アーティファクトの内、アストラル界への攻撃が可能な武器のみ完全なダメージを与え得る。多くの場合種族名のみならず個体名を持ち、名付けの魔力により個性と能力を強化したもの。

 前出3.に含まれる存在の内、邪な野望により魔族を組織し、主物質界への侵出を試みる強大な存在を魔王という。名付けは魔法としてありふれており、それ故に強力で正にも負にも力を発揮する。魔王はその負の力を克服し得る程度のちからを確実に保有し、我々が名もなき魔王と呼ぶものは、実際のところ我々が《《名を知らない》》、若しくは名を発音・叙述出来ないだけの話で彼らにも名は存在する。
 更にこの上に魔神と呼ばれる存在を置く事もあるが、魔神は魔族とは些か趣を異にする存在である。
『はじめに言《ロゴス》があった。言は神とともにあり、言は神であった』
 有名な聖句だが、はじめにあった言葉《ロゴス》を魔神《ましん》語と言い、ロゴスそのものが魔神語《Machine code》で構築されている。そしてこの姿を現さぬ神、魔神語《ロゴス》こそ最も古き神である。世界構築の言葉はこの後、要塞走《フォートラン》、基礎《ベーシック》、可視化された基礎ビジュアルベーシック、海《シー》などより使いやすい言葉に置き換わり、近年では「空を飛ばないpython」が有力である。空飛ぶpythonの頃のスパム(ランチョンミート)が大量に盛られる、歩き方が変になる、死んだ鸚鵡を売り付けられる、殺人ジョーク、カルバノグの洞窟に住む殺人ウサギボーパルバニーなどは是正された。今や魔神語を直接目にすることはない。然しながら世界構築の言葉の裏には今も魔神語が隠されており、有力なる魔族のうち真に力あるものは魔神語そのものを読み、解析し、改変することリバースエンジニアリングができる。
 有力な魔神として知られる者には「大剣豪」「豪将軍」「大魔神」「龍王丸」「ガーゼット」などが存在する。

 この話をすると何処からか赤服の枢機卿が来ることで有名な話だが、同じ思考の領域アストラルスフィアに属する事からも、魔族と神々、或いは天使は同じ存在から生じた別々の種族である。この話を公にすると直ぐに異端審問をされるので注意して欲しい。「これじゃまるで某国の宗教裁判だ!」 ……よし、ドアから飛び出して来ないので書を記す時には流石の彼らも気付かぬのだろう。
 これは神々の工芸品アーティファクトを調査している際に我が国の教会調査部が発見した事だが、シャドウスレイヤーやペインキラーなどの対アストラル専用武器は、それ自体がアストラル体で構成された意思ある呪物インテリジェントアイテムである。意思を持つ諸元の基たるアストラルから生まれた武器--嵐を呼ぶものやモーンブレイド、デーモンドライバー--全て魔族も神族も、凡ゆるアストラル体を加害可能であるという。何故それらが意思を持つか、思索の世界アストラルからもたらされた物だからだ。伝承にある「影なきかげを切る」という一節は詩的表現ではなく、アストラル界からの影である魔物、その「この世で影を持たないアストラル界からの投射体《シャドウ》」に対する特攻を持つという意味なのだ。確認しようが無いが、当代保持者もかつての保有者が邪神と対峙してこれを斬り伏せたという話は聞いているらしい。
 また、刃渡り2m近い長大なるシャムシールグランドシャムシール形状のこの剣は、伝承によれば古龍の牙から削り出されたとある。もしもそれが事実なのだとしたら、アストラル界でのこれらは人間が振り回すのは不可能な程の攻城兵器並みの存在なのだろう。
 結論的には、魔族的な魔族が強大である様に、人間らしい人間--とりわけ、人間として尊敬に足る人間。真実と同じぐらい勇気や愛を希求した人間らしい人間は勁いのである。ただ我々は人間としてやはり不十分で至らぬ事が多く、それが弱みになってしまっている。十全なる人間は本来十分に勁い。言葉や論理の部分で魔族には劣ろうとも、パトスやエートスの部分では魔族をも凌駕する事ができる。そしてこの主物質界こそ我らの地であり、魔族どもの大地ではない。いついかなる時も必ずや我々は勝利するであろう。我々はいつも困難に対して顔を上げ、風に向かって立ち、逆境に向かって歩き出す。人として高みに登ることが出来るのであれば、全ては克服するべき困難に変わる。そして我々は必ずや困難を克服するであろう。
 私も吟遊詩人の一人として歌を唄うが、心に決めた一つの信条がある。それは決して嘘は唄わないと言うことだ。華やかでなくても人々の暮らしには細やかな美しさがあり、町中の少年少女の間にも幼いながら素晴らしい愛がある。その一つ一つに気を配り、小さな微笑ましいものであれ、大きな武勇も小さな決断も同じ様に唄い継ごう。それらの人々の小さな灯火が明日という日を明るく照らす。吟遊詩人とは、皆の持つ小さな灯りを他に分け与えて行くものだ。人々の生活の中にあるほんの小さな善性を、僅かずつでも集めていこう。
 くそっ、やはり気付かれた。馬車がこの屋敷の前に止まった。三人の枢機卿が駆け出して来る。しかしこちらも粗方語るべき事は書き記した。1万文字の紙幅ももう尽きる。こちらの勝ちだ!
 読者諸兄よ、良き天使の住う思索が支配する谷The Haunted Palaceでまた会おう!

謝辞
夜梟のトマス。我が親愛なる第一の徒弟
剣士ベッセル。当代影狩
可変剣のロマーニュ。我が国の救世主
皆の協力が無ければ本書は完成しなかった。
最後に、ペイリン、ジョーンズ、ギリアム。数のカウントネタを入れられなくてすまない。

Written by Fermi "the Raven"

まさかの時の……NOBODY expects the... ああ、クソっ!」

The End

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!