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たかしくんシリーズが生まれた背景

最近、ラノベ界隈では転生したらスライムだったとか、やたら慎重な勇者の話が活躍中である。私もそれらを読んだのだが、スライム転生は割と早い段階でスライムである必然性が霧散し、何というか話が雑になっていったのが気になった。慎重な勇者に関しては一部の構成は見事だったが、それ以降は初期設定が枷になりきり揉み状態で失速した感がある。あれは一巻で終わらせて「別の話」書かせた方が良かったんではないかなぁ…

で。

どちらの作もゲーム的という評価なのであるが、高校時代に人生をTRPG方面に全振りしてた人間から見ると、ステータス書いてるだけでゲーム性は微塵もないし、ステータス自体に特に意味はない。ステータスの差が何か決定的な意味合い持ってないんだよね…例えばUO系システムでDexが125と120の二人が、カース(呪い)の呪文でDex低下して120と116になり、前者が120維持してたから包帯巻き速度(体力回復速度)に差が出て勝負がついた…なら「ステータス書く意味」がある。システム厨的な視点で言わせれば、ステータス差を描く気が無いならステータス書くのは無駄な労力だ。フレーバーテキストですなぁ。

さらに、ステータスの初期値が高い勇者をレベルアップでガンガンステータス上がるシステムに組み込んでしまう。

上記にも書いたんだけど、初期ステータスが高い勇者をLvアップでステータス上がる世界にぶちこむと、最終的には優位さが相対的に低下するのが当たり前なのだ。むしろLvアップガンガンするなら、定率上昇などのチート貰って数学的に勝ちを狙うべきである。若しくは初期ステータスの高さが生きるスキル性のRPGを選択するべきだ。

おじさん世界にたかしくん初登場した小噺。

おじさん世代はTRPG大流行世代であり、ちょっとしたマニアならシステムやワールドの一つや二つ自作している世代である。その視点から見てゲーム的だと言われてる世界は微塵もゲーム的ではない。むしろチート蔓延とかGM視点で見たら即デリするぐらい許せん事態である。システム熟知によるルールの穴を突くのは良い。和マンチ(ゴブリンスレイヤー的なもの)は許す。しかし「ルールを真正面から破るチート」は許されるべきではない。それはゲームにとって命であり魂である「ゲーム性」を殺してしまうのだ。

RPG愛好家としてこの線は譲れない。ゲームを不成立にしてしまうネタを堂々と書くな、バカチンが。

そこで、システム深読みして「ゲームをゲームとして成立させる職人」である「たかしくんの物語」の構想が生まれた。文中にも書いたが、たかしくんは人間だけではなく「ゲーム世界の森羅万象を愛する」神である。だからこそ人間にだけ肩入れする様な女神よりも上位になったのだ(まぁ、どこの世界でも女神はポンコツポジなのでファミアには悪いことをした…ナムナム)

故に、ユギニアの物語は(元からその手の傾向出てるのだが)よりゲーム的な要素を強め、実際d20システムやソードワールド的な汎用ゲームシステムで再現可能な世界にしたいと思う。何気なく置いてる伏線全部拾ってやるかんな!



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