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∞ホール、サンシャインというコンビ

音楽がこの世から全てもし消えてもコレだけは残っていてほしいと思えるようなくらい好きなものはお笑いかも。


小4くらいからネタ番組やら、バラエティしかみてなくて、全部予約した。

それでもお笑いが好きすぎた私は小学6年生で母親と共に渋谷のヨシモト∞ホールに通い始めた。

その頃は2013年。トップで活躍していたのがパンサー、ジューシーズ、ジャンポケなど、今を一線で活躍する芸人さんの昔を知っていることはわたしのちょっとだけ自慢したいことだ。

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2014年、中学校に入っても、勉強の片手間に∞ホールに通っていた。2014年からはさっき話したNSC11期以上(とてもマイナー用語でごめんなさい) が卒業し、彩eastという定期的開催のライブにでる芸人さんが一新し、eastメンバーもフレッシュになり、その中で私は3年目の若手のラフレクランというコンビに出会い、中学校の間はそのコンビを中心にいろいろなコンビを見にいった。もう今は解散したフランクリンも御茶ノ水男子も、ザ☆忍者もフレミングも好きだった。


その中でサンシャインというコンビを知った。わっしょいしか言わないのに、コントやるとめっちゃおもろい。

NSC16期生、当時4年目か5年目で、彩Jrでなんでおもろい人がいるんやろとは思ってた必ず好きなコンビをあげるときは名前は出してた。


高校に上がっても∞ホールに通うことはやめなかった。

色んな芸人さんが解散しすぎたし、新しい若手もたくさん出てきて、芸人さんたちがステージでダンスだけをするライブだらけになってた時期もあった。(2016年〜17年とか)


その頃には定期ライブのシステムも変わっていたり、さらに上はどんどんいなくなり芸歴は若くなりとなってきて、高校三年生に上がったタイミング(2019年)で私は∞ホールに通うことはパタリとやめた。理由は最後応援していたコンビの解散で、何もかもお笑いのことが良くわからなくなったからである。


それでも高校の時も、サンシャインをたまにみていた。

高一の冬、2018年初冬ツッコミの坂田さんがカタリエの応募でエッセイを書いていて、それを読んで死ぬほど泣いた記憶がある。

その辺からサンシャインというコンビを見る目が少し変わってたのかもしれない。

そこから一年後優勝したらしく、自伝本を出すということになったことを聞き、

私は家を飛び出し、発売日に何件も周り坂田さんの自伝小説、この高鳴りを僕は青春と呼ぶを買った。高校2年だった。すぐに全て読んだ。とてもとても熱い気持ちになった。


そこから前述の通り、高校三年生から∞ホールに見に行ってなかったが、ふとした時にまた思い出したのはサンシャインだった。キングオブコント、M-1たびに今年も頑張れと私なりに応援していたりしている。YouTubeも毎週見ている。

昔から見ていたコンビの7割くらいは解散してる中、今も変わらず面白くやっていて、そこが本当に素敵だと思うのもある。

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↑キラリ白虎隊イイネ

大学1年になって、そこでコロナになって、なーんにもできないでせっかくの大学は通えなかった。

そんな辛い時に思い出したのは坂田さんの本であった。坂田さんの本は胸を熱くさせるから、枕の横に置いている。

コロナが少し落ち着いた秋から冬ごろ、私は久しぶりに∞ホールに向かった。「サンシャインを見に行きたい」と思った。たった1年半で∞ホールも変わっていた。超若手が立てなくなったとか、変わったことを噂で色々聞いた。


その頃私は音楽を死ぬほど頑張っていて、シンガーソングライターとしての肩書を微力ですが手に入れていた。


久しぶりのあの慣れない螺旋階段の細い通路を下り、チケットで中に入り、入り口から見下ろす景色。そういえば緑色の後ろじゃなくなったんやった…と思い込む。


ネタを見た。とても新鮮で面白い気持ちになった。


そして帰る。出待ちがコロナの影響で禁止のようで、しっぽりと帰る。


通っていたときは結構出待ちをして、ライブの感想を話したり、写真撮ったり、サインもらったり、と中高生の私にとっては大好きな芸人さんたちと、それも幸せな時間だった。それも無くなっていた無限大はちょっと寂しかった。


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つい最近の

2021年12月4日 下北沢にて'21

本当は出たかった。悔しくて泣いてた。

だけど忘れらんねえよが出るから行った。


忘れらんねえよは坂田さんの大好きなバンドで、わたしがそれで忘れを好きになったきっかけの一つにもなった。私は忘れらんねえよが世界で一番好きです。


下北沢にては芸人さんの漫才がシャングリラで見れる。それもあってサンシャインが出ると聞いて、行くしか無いなと思って、悔しい思いを胸に向かった。


下北沢シャングリラでサンシャインのネタを見た。

とてもとても面白かった。やはり私はずっと好きだなと思った。


そのあと、坂田さんがWiennersのライブを楽しんでるところを見てしまい、つい声をかけてしまいました。

SNSでは常にサンシャインの話をしていたが、実際話すのは初めまして。とても緊張したしテンションも上がってた。


最初はファンです、て言えばいいのかな……私の事覚えてる、わけないか……レベルで名前だけでも、私がいることだけでも知って貰えたら……二言だけでも交わせたらと思った。


「坂田さんですか、ファンです、彩Jrから知ってます……と16歳くらい(正式に言うと初めてサンシャイン見たのは13歳の時(2014年)から見てた)今1番応援してます。実は今音楽やっててマリナってカタカナで弾き語りしてて……」


そしたら知ってる、っていってくださいました……

昔リプで曲を送ったらその時聞いてくださってたんですって


そこから音楽は全て坂田さんの影響でハマったりしてることなどを伝え、最近二十歳になったことをたくさんライブハウスの転換中話させてもらいました。

そしたらビールをいただいたんです…

乾杯させてもらいました…

死ぬほど嬉しくてあんまりもう記憶ないんですけど、

これだけで生きててよかった、音楽しててよかったと思いました…

その後が忘れらんねえよのライブ、今までで一番美しかった。一番楽しかった。拳を突き上げた。


そのわたしのことを坂田さんのTwitter、そしてサンシャインのYouTubeの生配信で話してくださってました…。



サンシャインは学生時代になんやかんやずっとそれとなく応援していて、特に坂田さんは学生時代を救ってくれたヒーローであると再確認しました。


サンシャインがまた来年キングオブコントで優勝できるように、


私も頑張って音楽を続ける、来年こそ下北沢にてにでたい。

そしていつか坂田さんに紹介してもらえるくらいいい音楽をしたい。

わたしの中で1番のヒーローの忘れらんねえよの柴田さんとともいつかお話をしたい。


そう思い、

なんでか今日もまた下北沢へむかう。

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