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The Atlantic -ある記者の告白-(日本語訳)

原文

韓国語訳:@Vernal_Bom

https://m.blog.naver.com/7th_purple/221589822164

日本語訳:@purpleyouxxx 은하


**I Wasn’t a Fan of BTS. And Then I Was. **

私は防弾少年団のファンではなかった。そしてファンになった。

by Lenika Cruz


今年4月のある土曜日の夕方、<Saturday Night Live>ショーを見るためにTVの前に座った私の口からはすでにあくびが出ていた。 あの日のショーのホストはエマ・ストーン、音楽ゲストは"防弾少年団(以下BTS)"だった。
私は韓国から来たこの7人のスーパースターについて知っていることはほとんどなかった。 彼らがすでに全世界数百万人のファンを持ち、何度もビルボード200チャートの上位を占め、最近では国連総会で演説までしたにも関わらず、だ。 ツイッターを見てみるとBTSへの熱狂は目立ってはいたが、同時に彼らとファンを直接攻撃する嘲弄も少なからずあった。
彼らがSNLで公演する最初のKポップ歌手ということも知っていたが、
私はエマ・ストーンがステージを紹介するまでBTSの歌は聞いたことがなかった。

その時、"oh whoa ooh whoa"というボーカルとくすぐったいベースラインとともに、照明の中でカメラに背を向けたまま色鮮やかな髪色をして暗いトーンのスーツを着た7人のシルエットが登場した。 メンバーたちは左右に身を傾けながら前へくるりと回り、ピンク色のヘアスタイルのメンバーが歌を歌い始めた。


ご覧になりたければ、BTSが披露した"boy with luv"の軽快で精巧な舞台をYouTubeで見ることができる。
当該映像は2100万回の閲覧数を記録し、これまで放送されたSNLのステージのうち最も人気のある映像となった。
あなたの好みに合うかもしれないしそうでないかもしれない。
あるいはあなたの好みに合わなくても、BTSの何かに対して好奇心を刺激されることもあるだろう。 カル群舞や彼らの容姿、ライブで歌やラップをしながらあれだけのパワフルなダンスを消化できるという事実、もしくは曲が終わり観衆に向かって手を伸ばしてあいさつし明るく笑っている姿、ありがとうございますと頭を下げ挨拶していた姿に。


その日の夜まで、私はBTSのファンではなかった。 しかし「boy with luv」と2018年のヒット曲である「Mic Drop」のステージを見た後、私はせめてメンバーたちの名前だけでも知っているべきだと思った。 それから一週間後、私は防弾少年団のリーダーは24歳のRMであり、「フレンズ」シリーズを見ながら英語を覚えたという事実を知った。 そして彼と残りのメンバーのジン、シュガ、ジェイホープ、ジミン(SNLのあのピンクのヘアスタイル)、V、ジョングクがすべてダンス、ラップ、プロデューシング、作詞、作曲など、それぞれがいくつもをこなすということも知った。
芸名を覚えた後は本名、誕生日、性格、そして音楽的長所と短所まで学んだ。 BTSの歌が韓国語で書かれていたため、少しハングルも学ぶことができたし、今は完璧ではないが歌うこともできる。 

その次は一週間に一度アップされるオリジナルコンテンツ、ライブストリームなど一度にまとめて見た。 グッズも買った。
BTSのおかげで知らない人々と親しい間柄になったりもした。
そして5万5千人の観客の一人として、コンサートを見るために他の州に旅行に行くことにもなった。


BTSにハマり、そのことを告白しようとしてカタルシスを感じたりもするが「おっかけ」という社会的烙印を押されることを考えると少し恥ずかしくもある。しかし不信感から"ARMY"(BTSの多様で熱烈なファン)へと発展した私のようなパターンは実際少なくない。
2017年に人気が爆発的に増加した後、BTSは今年それ以上に一段階さらに高いスターダムへ登った。2018年にはワールドツアー日程が出ると同時に米国の主要トークショー番組と授賞式に参加し、最新アルバムの<MAP OF THE SOUL:PERSONA>ではビートルズに次いで初めて、1年間で三度もチャート1位を占めた歌手というタイトルを得た。
ビートルズがアメリカのTVデビューを果たしたステージとほぼ同様の場所でBTSが公演をしたという事実はこの二つの驚くべき類似性を見せてくれた。
あなたがBTSを好きじゃなくても、歌の大部分を韓国語で歌う7人のアジア人の青年たちが、アメリカ人たちが最も愛した最高のボーイバンドに肩を並べるほどの位置にあるという事実を感じるには十分だろう。


私が言いたいのは、一夜にしてBTSに完全に捕らわれてしまったのは私だけではないという事実だ。SNSを見ると一夜にしてファンになった人たちの話をよく見かける。あらゆるジャンルを行き来するBTSの音楽世界とファンコミュニティを学んでいくその過程は、私のような大人の音楽リスナーには到底不可能に見えた大きな喜びと強烈な感情を抱かせた。ある時は社会的な境界線を侵犯しているという思いさえするほどだった。
しかし私はBTSのファンになるということは降り注がれる偏見と、私が愛するものが「趣向のレベル」という物差しで勝手に嘲笑されることに慣れなければならないことを意味する、という事実も知ることができた。 そしてそのすべての偏見と蔑視は実際私に何の害も与えないことも学んだ。


最初はBTSをまるで「解くべきパズル」のように考えた。分からない単語や表現を調べるためにYouTubeの書き込みを調べた。 なぜ「ボラヘ」と言うんだろう?、一体「推し」は何で「OT7」とは何だ? なぜジョングクを「黄金マンネ」と呼ぶの?など。 私はMVや公演映像だけでなく写真のコレクションやダンスの練習映像、インタビュー、BTSの音楽世界を構成する複雑な世界観についての解釈映像まで見た。 記者という職業のために生じる自然な距離感を持って近付いたと言えるが言い換えれば、「ボーイバンドのファンには絶対にならない」という気持ちでもあった。


しかしBTSにだんだん深くハマるほどそのようなことは気にしなくなった。 2018年タイトル曲だった「IDOL」の<Tonight SHOW>のステージを見ながら、あんなに踊って肺が破れないのが不思議だと思ったし、2016年に公開された華やかな「血、汗、涙」のショートフィルムを見ながら、ダンスとハイコンセプトな物語の両方に深い感銘を受けた。また「Spring Day」のMVの幻想的なシネマグラフとアーシュラーK(短編集「オメラスから歩み去る人々」の作者)。
ル=グウィンやポン・ジュノ監督の「スノーピアサー」に対するレファレンスにすっかりハマってしまった。 このプロモーションビデオが2014年、セウォル号沈没事件で犠牲になった学生たちを称える映像と解釈されているという事実を知って動画を再生し、私は泣いてしまった。


2013年BTSがデビューした時、今のような成功は誰も予測しなかった。 彼らは3大事務所が支配していた韓国歌謡界ではとても小さな中小企業からデビューしたためだ。 2017年から批評家たちはアメリカの主流音楽市場でのBTSの躍進についてどのように画一化された理論を提示しようかと四苦八苦し、他のジャンルのKポップクロスオーバー協業は考慮もしなかった。 新聞は「これらのBTSの新記録更新はSNSを使ってファンと疎通するのに成功したおかげだ」と説明した。 このほかにも評論家らが持ち出した解釈には社会的メッセージが込められた歌詞、メンタルヘルスのようなタブーにもオープンな姿勢、若い世代の持つ苦痛に対する共感、自己愛を語るメッセージもあった。


さらにUSチャートを占領した外国グループについての政治学のため、BTSの急浮上はさらに複雑に見られるようになった。
韓国人音楽評論家の キム・ヨンデ氏は私にBTSが2014年に米国に初めて来た時、LA公演を見に集まった数百人の人々ですら非常に多く感じたと話した。 2017年、彼らはビルボードの授賞式に出席し、この授賞式でBTSはジャスティン・ビーバーの6年連続受賞記録を破ってトップソーシャル・アーティスト賞を獲得し視聴者たちに衝撃を与えた。 授賞式後混乱に陥った米ジャーナリストたちはキム・ヨンデ氏に「一体彼らは誰なのか」と尋ねたという。
また当たり前のように、BTSの受賞はオンライン上で人種差別的な反発にぶつかった。 人々は彼らを「アジアのワン·ダイレクション」と呼んで笑った。


このような反応はアジアアーティスト(あるいは一般的に非英語圏アーティスト)を劣等だと考える文化的傾向によるものだとキム・ヨンデ氏は説明する。 彼は最近BTSに関する本を出した。
「米国主流の音楽界はアジアのアーティストをある下位文化やアジアンアメリカン運動と分類するのが好きで、ポップスターと呼ぶことを非常に嫌がります。 しかしエンターテイメント産業は好むと好まざるに関わらず、最もホットで人気のあることは認めなければならないのです。」とキム・ヨンデ氏は言った。 また「この制度的保守主義こそARMYが数的に十分乗り越える準備ができている部分です」と説明した。 ARMYはBTSがトップソーシャル・アーティスト賞を受賞できるよう投票しており(BTSは本賞を三年連続で受賞した)、音源を購入してミュージックビデオをストリーミングし、音楽業界がBTSに注目せざるを得ないようにしたのだ。


しかしその注目はBTSの才能や音楽ではなく"K-POPアイドル"というアイデンティティーに対しより多く寄せられている。 ある人たちはBTSが韓国人だという事実だけで彼らを黙殺した。
TEEN VOGUE誌はオーストラリアのある放送局がBTSに対して放送した外国人への嫌悪感に染まった一部分について書いている。(BTSの個別メンバーもまたオンライン上で人種差別的攻撃の対象になっている)


批評家はBTSが若いという理由あるいはボーイバンドという理由で無視することもよくある。最近ではニューヨークタイムズのある批評家が、マドンナと20代そこそこのKポップバンドの両方を人々が'レジェンド'だと呼ぶことを聞き「吐き気がした」とまで語った。


"ボーイバンド"と(普通若い女性からなる)彼らのファンへの嘲笑は年齢的優越感と女性嫌悪に根ざす昔からの非常に伝統的な文化現象である。 このような烙印はBTS(の時代)へまでも続いている。
<SNL>の番宣もARMYをまるで頭がからっぽの20代"ファンガール"のように描写した。 キム·ヨンデ氏は"ボーイバンド"という名称がBTSを正確に表していないと述べた。
「アメリカ人はハンサムな男性がダンスを踊るのを見るとボーイバンドだと考える」という。しかし韓国人あるいは韓国人のファンにとって「防弾少年団」はボーカル能力を備えダンスも完璧にこなすヒップホップグループに近い。「多くの人がBTSを"ボーイバンド"と呼ぶことは、彼らの音楽的能力と真正性を削り取ってしまうことだと思います」とキム氏は付け加えた。


"ボーイバンド"というレッテルはかなり制限的なので私はBTSの魅力をこう説明したりもしている。 「君が一番好きなスポーツチーム(BTSのレッスンレベルは運動選手と同等だから)の選手が最も好きな歌手でもあり、君が一番好きなリアリティショーの出演者でもあり、家族と同じだと考えてみて。」

そうまでしても、私は人々を引き付けるこのグループの魅力を説明することができない。 ARMYはすべての年齢層、人種、性別、国籍、宗教の人々が集まった巨大な集団だ。 ARMYの強みの一つは包容力だが、集団の大きさそのもののため内部の意見の不一致による争いで醜い姿が明らかになる。 (例えば、先週発表された10月のサウジアラビアのコンサートがある。日程が発表されるやいなやアラブとムスリムのファンは嬉しがったが、ある人たちはサウジアラビアの人権侵害とBTSがユニセフを通じて募集した2百万ドルの寄付金がイエメンのエイズ患者らの治療に使われていることを指摘した。※イエメンはサウジアラビアが介入した内戦で苦しんでいる国でもある。


しかし私が最近話をしたファンの大半は「ARMYは新規のファンを暖かく歓迎し、悪い行いはファンダム内で解決しようと努力するコミュニティだ」と話した。 作家であり編集者であるローラ·ハドソンは私と同様<SNL>でBTSに初めて接した後、自分の経験をツイッターにこう掲載した。

"ああ、どうしよう結局BTSをSNLで見たんだけど12時間が過ぎた今私はメンバーの名前全部覚えたし音楽的才能も誰が歌が一番上手でダンスが上手なのかもこれまででどれが一番イケてたヘアスタイルと衣装だったかまで知っちゃったよ Oh No"

「このツイートをしてからARMYたちがやってきたんです」ハドソンは言った。評論家として彼女は別のファンダムについても報道したことがあるがBTSのファンたちがどれほどオープンなマインドを持っているかに驚いた。 「私に“でしょ!めっちゃいいでしょ?私たちと一緒に楽し
みましょう!”と言いました。」 「他のファンダムもこうだったらいいのに」と彼女は言う。
「記者として疑い深い面が私にもあります。これって全部エセ信者なんじゃないの?とか言ってたけど、もしこれがエセ信者の一種だったとしても、ポジティブと受け入れることにフォーカスした信者ですよね」
新規のファンとそれより少し古いファンとして私たち二人はBTSについて、私たちの周りの人々と意味のある討論をすることがどれだけ不可能なのか、そして私たちの楽しみを監視され続けることがどんなに疲れるのかについて話し合った。BTSを好む理由についてしばらく言及した後(中には"伝統的でない男性性の表現"、ステージを見る楽しみ、目まぐるしいほど深みのあるストーリーテリングなどがあった)ハドソンはため息をついた。 自分が好きなことに対して社会的にあまりにも多くの勢力が入り込むと。「一番シンプルなことはこれです。"ただ私が幸せ"なんだということ。」

BTSの音楽について彼女が言った。「でもこの全てが表だけキラキラしたゴミだったとしたら、こんなにまで楽しむことはできなかったでしょう。」


この記事を書く間、私は"ギルティ·プレジャー"(いけないと知りながらも楽しむ行為)についてたくさん考えてみた。 BTSに対して私が感じる感情がまさにこれだ。 しかし私はいわゆる(社会が私に要求する)"当然経験する罪悪感"よりは罪悪感をずっと感じていない。

 2018年、ニューヨーカーという雑誌にエミリー・ノスバウム評論家がThe CWネットワークの<ジェーン・ザ・バージン(Jane the Virgin)>シリーズ(アメリカで爆発的人気のコメディドラマ)を'ギルティ・プレジャー'と書いた評論文をもう一度読み返してみた。そして彼女が書いたドラマに対する分析がBTSにも当てはまるという事実に、石に当たったような感じを受けた。

 "世の中が'うわべ'と呼ぶものの中の層位を暴露する明るいピンクのフィリバスター"というドラマに対する評論は、アイデンティティに対する探索をユングの心理学で繰り広げた<MAP OF THE SOUL:PERSONA>を、「心の奥深いプロダクションであり、家族のような愛から肉欲的な愛まであらゆる種類の愛に対して深い関心を持つ繊細な作品」だという評価はまさに<Love Yourselfelf>トリロジーに対する評価ととることができる。

ノースバウムは<ジェーン・ザ・バージン(Jane the Virgin)>を"親と十代が一緒に見られる映画、より良い世の中でもっと多くの人に推薦できるドラマ"と評した。 BTSのファンの中の多数は実際には親だったりおばあちゃんおじいちゃんだったりする。 しかし"家族みんなが好きです"という評価はあまり尊重されない。 アメリカの聴衆はミニシリーズのテレビ番組やK-POPにすでに持っている偏見のため"ジェーン・ザ・バージン"や"BTS"をそれそのものとして評価できていない。

"どんな大衆文化が真剣に受け入れられるべきか" この毎回突きつけられる社会的メッセージを無視するなら、それは一生かかっても足りないほど厳しい。私の場合、BTSが私に娯楽以上のものを与えてくれるという事実にたくさん助けられた。彼らの音楽を聞き、メンバー達の苦しかった時間について学び、私は自分が持っている不安障害によりうまく対処できるようになったし、健康もさらによく管理するようになった。

 <SNL>を見た後初めの一ヶ月間、私は意識的に私のBTSの渦の中に深く入ったことがある。まるで私の興奮の裏には私が数百万のファンと共有している幻想がいつかみんな蒸発してしまうのではないか、だからボーイバンドを好まず、「自分自身を愛せ」というストレートな歌詞に閉口する大人に戻ってしまわないかという恐怖を抱えているような気がした。

もちろん、そんなことはまだ起こっていない。今なおその歓迎は続いており、時間が経つにつれ夢というより現実として感じられる。「名前だけでも覚えてみよう」。4月にはそんなふうに自らに約束した。 その時、遠くのどこかで、7人のメンバー、ナムジュン、ソクジン、ユンギ、ホソク、ジミン、テヒョン、ジョングクは私を見ながら笑っていたことだろう。


※原文、韓国語訳の両方を参考に一部意訳し掲載しています。また作者名や作品名には本文にない追記を入れています。素人翻訳ですので細かなニュアンス違いなどはご容赦ください。

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ここからは不幸の手紙なので(うそ)元気のある方だけ読んでください🍼

思い起こせばたったこの数ヶ月の間だけでも、アメリカでのカムバックに関する不満、公演会場では撮影を巡るマスター攻撃やその存在自体の是非でたくさんのマスターさんがRestしました。
韓国独自のアイドル文化やファンの在り方と世界との基準の間に埋められない差があるがゆえの衝突、韓国での公演数、メディア露出に対して海外公演、メディア出演の比率、ウェンブリーでのサプライズ、5thマスターでの本人確認を巡る騒動、さらに新しい制度へと移行したファンクラブの形態、グローバルARMYの常時入会を巡る衝突が加わり、正直この数ヶ月、すべてのARMYにとって穏やかではない事も沢山ありました。

私個人的には、韓国公演はソウルでのLYSが去年の2回のみ、、SYSは今回の10月が最初で最後(ファイナル)、やっと来たポスターがめっちゃシンプル(色んな言葉飲み込んだw)、常時入会ぁぁぁ…って感情はもちろんありましたけど(あったんかい)

アメリカでの活動も日本での活動もワールドツアーも心から嬉しくて毎日が本当に幸せな日々で、そこにボンボヤやたるばん、ペンカペ、ツイッター、フェスタ、テジン(え)、こんなにたくさんのものを毎日受け取るだけ私は彼らに何かを返せてるのかなって、まるで土嚢のような重さで彼らのこと、彼らの健康彼らの幸せを思っては枕を濡らす日々を過ごしてはいないにしても(←)、本当に本当に毎日幸せだったんです。

リプなどで心配してくださった方々もいたし、正直マジか…と初めは思ったけど、次の瞬間にはすぐweplyで決済してました…それはもう光の速さで…笑

防弾少年団は、BTSは、もう今までのレベル、やり方、範囲に留まらないほどの域に達したんだと思えば、めちゃめちゃ納得なんですよね。
今回の事務所の決断は決して安易なものではなかったはずだし、この体制にするために準備してきた莫大な労力と時間は必ず報われてほしいし、業界内でも初めての試みだと思うから成功してほしい、また他の事務所から頭一個抜き出たなさすがだなって言われるビッグヒットであってほしい、ラップダンス歌で相手の機先を制圧(言いたいだけ)したなって素直に拍手したいし、
今までの言わば閉鎖的で難易度の高かったペンカペという形ではもはやこの巨大すぎるファンダムを抱えきれなくなったというのも分かる。
そらそうや。

本国ペンも全員が怒ってるわけでは決してないです。むしろ私の知る範囲ではあるけど、古いファンほど受け入れてる印象があります。
あの売れてない頃ファッションショーの後ろで歌わされてた時代、血汗涙ってwwwって笑われて悔しかった時、他グルペンからアミボムをバカにされてた時代(笑)を考えたら、ワシらもここまで来たか…もうアイツら、韓国とかそんな垣根飛び越えていったんやな、、よっしゃほなワシらも行くとこまでとことん行こうやワッショイ!って感じで(たぶん合ってるけどたぶん違う)。

この記事を書いてくださった方と同じで、初めて防弾少年団を知ったとき、まだ誰が誰とか分かんなかった時、ジミンちゃんの腹筋を見たとき、ジョングクが97年生まれだと知ったとき、ゴリゴリバチバチ踊る姿に目が点になったあの日、だんだん知れば知るほど好きになっていったあの時の感覚、あの時の気持ちをまた思い出すことができた気がして、、それは私だけじゃなくて全てのアミが同じだと思うんです。

純粋にただ彼らが好きだという気持ち、他の誰かに何て言われようと、私が幸せなんだという気持ち。

はじめはみんなそうだったよねって。

これだけ大きな存在になれば当然問題は尽きないし、日本や海外での分量や公平性を訴えたくなる気持ち、防弾少年団は韓国の歌手なのに!!と言いたくなる気持ちも分かる、痛いほど分かる。

でもそれは彼らをまた狭いところで踊らせることにならないかな?彼らはそれを幸せだと言うだろうか?という気持ちが少なくとも私にはあるので、範囲を狭めるんじゃなくて、もっと視野を広く持つべきときが、それを受け入れる器が必要なときが来たんじゃないかなと思ったんです。韓国でもっとコンサートしてほしいとは思うけどw(わりと真顔)

私のような考えの人もいれば、そうじゃない人もいる。ひとりひとり思うことは違うかもしれないけど、彼らのことを好きで彼らに勇気づけてもらって、嫌なことばっかりに思えても彼らの曲や動画に元気をもらってなんとか日々一生懸命に過ごしてること、彼らのおかげで毎日が彩られていることはきっとどんなアミにも共通してるはずだし、
私たちと7人が幸せじゃなきゃ意味がないって想いは同じなはずだから。

私は韓国人とか日本人とか何人とかでファンの気持ちや重さなんて図りたくないしそんなふうに区別することになんの意味もないと思ってるし、それってシンプルに差別だし、女でも男でも子供でも大人でもファンはファン、それ以外の何者でもないと思います。防弾少年団が大好きな人たちの集まり、以上。
せっかくこんな素敵な7人に出会ってこんな幸せを世界中で共有してるんだから、仲良くしたい。

それに、まさにそれこそがBTSの目指す世界なのかもしれないって、ウェンブリーでの7人を見て強く感じたから。

“僕たちは同じことばを話していたんだ”

ローズボウルでのあの日、僕たちが誰かなんて、言葉なんて関係ない、これがコミュニティなんだと、ナムジュンが話してくれたように。
私も同じ気持ちでいたい。

記事はかなり長かったけど(お前のあとがきもな)、色んなことを思い出させてくれたこの記事を訳した意味が誰かにとってあるなら幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

ジンくん今日は何食べたかな。

おわり



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