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今年を振り返る

2022年を振り返ってみようと思う。
何から思い返そうか。

2022年はフリーランス2年目。
去年と比べると超飛躍した。
いろんなことが。

まず売上がアホみたいに飛躍した。
ざっと年100万伸びた。

これには理由があるけど別に
「100万伸びる5つの秘訣!」とか
そんなきな臭い内容じゃない。
単純に前年がアホみたいに
少ない売上だったからだ。

要は成長率だ。

0歳から1歳と
20歳から21歳の成長率なら
前者だよね。という感じ。

去年はフリーランス1年目。
イラスト講師の初年度だ。
何でもそうだが1年目は
面白みがあまりないし
何より思うようにいかない。

イラスト講師を始めたきっかけは
超単純で「お金になるから」。

表面上、
「教えることが好き」とか
「絵の面白さを伝えたい」とか
くさいこと言ってたけど
そんな気持ちは全くなかった。

お金を稼ぐためにやった。が100%だ。
クソ野郎である。

そもそもフリーランスになったのは
コロナ失業したからだ。

前の仕事は好きだった。
給料が超いいわけでもないし、
会社の人が超いいわけでもない。
ほんの少しイイ。それでイイ。

肌に合ってた。
ストレスがまるでない。
後、たまに味わえる達成感と充実感。
これで十分だった。

これ以上にいい仕事はない。
ずっと続けたかった。
だから、失業したときは
転職する気になれなかった。

これ以上にいい仕事があるか?
いや、ない。と思ってたから、
じゃぁどうしようかという時に
イラストの道が残ってた。

残ってた、というか
余ってた、が正しい。
消去法だ。

働きたくはないけど
まぁ働かざるを得ないから
強いて言えば
この道が一番いいかな?て感じ。

だけどこの道は
整備された道じゃなくて
売れる保証がない獣道だ。

イラストは、当時本職をしてる傍ら、
副業でちまちま売っていた程度。

だけど当時から
イラストを販売するのは
面白いし大好きだったから
もうこの道しかないなと、
言い聞かせて選んだ。

だけど
そんなはずはないのだ。
日本だココは。
転職活動をすれば
道は山ほどにある日本だ。

めんどくさいから逃げただけだ。
履歴書を作るのがめんどくさい。
面接がめんどくさい。
組織で仕事するのがめんどくさい。
そして革靴を履くのがめんどくさい。
サンダルがいい。

あとクソなプライドが邪魔をした。
当時32歳。
きっと年下の上司ができる。
何もできない自分を見られるのが嫌だ。
恥ずかしかった。
指図されることが嫌だった。
本当にクソである。

イラストの道に行きたい気持ちを
正当化するために、
色々とやれない理由を探しては
納得させた。これしかないぞと。

もちろん、
イラストレーターの道も
全く甘くない。

売れる算段なんて全くない。
それまでの副業でも月10万がやっと。

やっぱり転職活動しようかな…と
ブレブレになっていたころ
イラスト講師の仕事を知った。
絵に関係してるし一人でできる。
稼げるならこれをしようと。

だけどこれも、
そういった「逃げの姿勢」で
始めたイラスト講師だから、
まるで自信がなかった。

絵がまず上手くない。
教える内容も特段濃ゆくない。

初めての講座で
クレームを受けたくないから
資料をみっちり作り込んだ。
講座内容をサラで言えるように
一人でずっと喋りながら散歩した。
3時間くらい散歩してた。
絵を描きながら
解説できるようにした。
それでもちゃんと不安。

履歴書を作るのがめんどくさくて面接がめんどくさくてイラスト講師を始めたのに、それ以上のめんどくさい作業をやっている。意味が分からない。

叶ったのは革靴を
履かなくていいことだけだ。

最初の講座が終わった時思った。

素人同然の絵が好きなやつが
情報共有してるだけ、
それでお金をぶんどってる。

その体感に、
(本当に私はクソだな)と
心地の悪い気持ちで終わった。

そのあと、いくら講座内容を
良くしても良くしても、
毎度毎度、心地の悪さが
ジュワっと出てくる。
講座が終わるたびに
冷汗びっしょりで
気持ちはグッタリだった。

だけどそんな気持ちとは裏腹に
講座の評価は高かった。
講座後に感謝の言葉を
頂くこともあった。

「絵のプロフェッショナル」
「本当にすごい人」

と書かれたことがあった。
喜び反面、胸がとても痛くなった。

自分の力量が全然
比例してないからだ。

自分がド素人と思ってるから、
そんなことを言われる
人間じゃない。
やめておくれと思った。

今思うと本当に失礼なことをしている。
書きながら泣きそうにはなってないけど
心苦しくなる。

ただの絵が好きなおっさんが
金欲しさに短期間で
かき集めた情報を精査して、
ただ横流ししてるだけだ。

しかも喋りも上手くない。
綺麗に整理すらされてない。

ありがたい言葉を頂く度に
申し訳ない気持ちが増す。
(そんなんじゃないから。
ほんとそんなんじゃないから!
クソみたいな存在だから
お願いだからそんなに
褒めないでおくれ!
予約をするな!
予約をするな!!)
といった感じで
気持ちがどんよりして、
だけど嬉しさもあって、
罪悪感もあって、
達成感もあって、
感情が分からなくなる。

全然面白くなかった。

今までは会社を通して
お金を頂いていた。

今は直接お客様から
自分が良いと思う価格に
お金を払って頂いている。

会社の製品が
売れても売れなくても、
口コミが良くても良くなくても、
自分のせいではない。
会社のせいだ。

自分で商品を生み出して、
自分で価値を付けて、
自分で販売することが
これほどまで責任の重荷が
あると思わなかった。

「私の強みは責任感です」と
新卒面接で言ってた
自分を殴ってやりたい。

サービス内容に見合う
自分になるために
ずっと焦ってた。

全然上手くいかないし、
無駄に時間をかけたりもした。
没サービスもたくさん出た。

そのくせ
10分に一回はスマホを見るし、
昼寝は30分欠かさず寝るし、
スマホから離れられなくなるし、
意味の分からない余裕を見せる日々。

でまた焦る。

それでも、
こんなんでも社会人になって
1番熱狂的に仕事をした感覚があった。

社会人1年目のとき先輩から
「仕事舐めすぎ。もっと
頭が熱くなるくらい考えろ」
と言われたことがある。

ボクは
(めちゃくちゃ考えたのに
こいつ分かってないな。)と
お手本のような拗ね方をした。

考える深さが浅かった。
だけど当時はそれに
気づけるはずが無かった。
自分事じゃなかったから。

人間、自分事にならないと
分からないことだらけだなと実感した。

根気よく教えてくれた先輩に
会って感謝の言葉を言いたい。
やっと最近
頭が微熱程度に熱くなります。

そんな中少しずつ
自分の言葉に置き換えて
アドバイスできたり、
自分のサービス価値を
見出すことが出来たり、
もちろん画力も上がっていって、
教える内容が自分の中で満足
できるようになってきた。

講座後もグッタリすることが減ってきて
少しずつ教えることの楽しさで
心地よい達成感を味わえるようになった。

もっとこう教えたらよかったな、て
反省する余裕も出てくるようになった。

少しだけ、評価に見合えたかな。
と思った。

そんなこんなの1年で
自信とサービス価値の土台が
できた。

そして今年。
土台ができてるからやっぱり違う。

講座に集中できるし
イラストの練習も段違いに増えた。
画力と言うか、描く速度が超飛躍した。
添削のストレスがほぼなくなったし、
アドバイスすべき箇所も
すぐ分かるようになった。

それらの経験が
顕著に結果に出た。

リピーターの数が増えた。
前年の4倍だ。
超飛躍だ。

余裕が出たから
講座外にも手を出した。
NFTに挑戦した。
海外向けにイラストの販売も挑戦した。
YouTube配信にも挑戦した。
コミュニティも作った。

2年目は
1年目の経験から
気持ちの余裕が出る。
そして思うように動きやすくなる。

ボクは学生時代水泳部だった。
1年生はほぼつらい思い出だ。
練習はしんどいし監督はこわい。
先輩は非常にめんどくさい。

2年生は違った。
練習についていける。
監督の怒りをかわすことが出来る。
先輩を結果で静かにさせた。
先輩面ができる快感ができた。
楽しい時期だ。

3年生はまた違う景色だ。
飽きるのだ。
そして怠けるサボる。
速い後輩が出てきて
やる気もなくなる。

仕事も同じで
3年目は要注意だ。

ボクは
何かを出来ない人に対して、
鼻で笑ったり
苛立ちをわざわざ見せる人が
反吐が出るくらい嫌いだ。

おまえも出来ない
時期があったのに
すっかり忘れちゃって
天才に見られたいクソ凡人が
調子こくなよちんこ又は小陰唇をもぎ取るぞ
と思ってしまう。

3年目のボクは確実に慣れてる。
そしてボクも
天才に見られたいクソ凡人だ。

人間ヘタこくと
なりたくない人間に
簡単になってしまう。

そんなゲボな態度が出ないように、
描けなかったあのつらい時期を
頭の片隅にずっと置いて、
常にフラットな目線で
初心を忘れないで過ごしたい。

そのためには新しいことに
挑戦し続ければ大丈夫。

初心がずっと残るから
お茶の子さいさいだ。

今年の9月、
ぷぷぷ番地っていう
コミュニティを作った。

理由は簡単で
一人じゃ寂しかったから。

前職は営業だったから
もちろん人に会っていた。
Twitterも盛んに更新していた。

今は対面で誰とも会わない。
友人と半年に一度会えばいい方。
寂しさを紛らわすために
Twitterを更新すればいいんだけど
全然更新しなくなった。

理由は
言わなくていいことをわざわざ言ってる人が多いと感じたから。

顧客の悪口だとか、
他人のツイートへ意見したりとか、
世間への意見だとか。
「これ分かるよね?お前らの代わりに言葉にして分かりやすく発信してやったよ」感が透けて見えるほどにドヤ顔で言ってる人もいる。

そんなのを見ると本当に、
あぁアホだなぁと思う。

そんなツイートを
世間に公開すればするほど
価値は下がる。

悪口を言うのは
処理しきれないお前のせいだし、
意見をするのも
自信のなさの表れだし、
嫉妬にしか見えない。

お前はモブなのに
よくドヤってツイートしたな。
と思う。

それに価値が下がらなくても
意見をすればするほど
自分の行動のブレーキになる。

気持ちが強固になって
反対意見を受け入れにくくなる。

いざ自分のやりたいことや
挑戦したいことが見つかっても
そこに少しでも反対意見の要素が
入っていれば、
行動しないまま終わる。
何も変わらない。

で、行動しない理由を
強固にするためにまた意見する。
負のループだ。

たちが悪いのは
同意見の人が集まって
「誰もそれに気づかない」こと。
それがいいと思ってる。

SNSのおかしな活用方法だ。

しょうもない人だなぁ…と、
蔑みの目で見てしまう
自分にも嫌悪する。
だから止めた。

ボクは下ネタが好きだ。
コロコロコミックくらいの
下ネタが特に好きだ。

ちんちんとか
うんことか
おちんことか
おっぱいとか
きんたまとか
最高にイイ。

コロコロコミック並みの
下ネタは最高にいい。

そこには、
何かをどうにかしてやろういう
強い意思や熱意はない。

「面白ければそれでいいじゃん」
そんな強いメッセージ性が、

ちんちん 

この4文字にギュッと
濃縮されているのだ。

最高じゃないか。

だから盛んにTwitterをしていた時は
9割この言葉で乗り切った。
それだけで十分楽しかった。

いつかちんちんカンパニーを
創りたいくらいだ。
ちょっと何言ってるか
分からなくなってきた。

そんなんでいい。
そんなんでいいのに
なんでもかんでも意味を
乗っける人が多い。

そして意味がある言葉に
人は集まりやすい。

そこに群がる人なんか、
意味がなくなった途端
意味を求めて牙をむく。

意味や理由や目的で溢れて
脳みそが疲れるから、
そんなのとは反対に、
一つに没頭できる時間を
共有したくて人を集めた。

コミュニティは今18人ほどいる。

常に同じ人たちと常に同じことを
ただ淡々とこなすだけなんだけど
一人でするのとでは訳が違った。

なんとも言えない心地よさと
良い緊張感がある。

それこそ中学時代の
水泳部に戻ったよう。
水泳は泳ぎ始めたらずっと一人。
喋れないからただ黙々と泳ぐ。
周りを見ると同じように泳いでる。
そんな
無のコミュニケーションに慣れてたから、
コミュニティも妙に心地いい。

高校のころは
50mプールに一人の水泳部だった。
一人だと本当に練習ができない。
練習内容は同じなんだけど、
キツい。本当に一人はキツイ。
8割こなせたらいい方で、
100%できた試しがない。

だから集まってくれて
本当にありがたい。
支えになっている。
2022年、コミュニティを
作って本当によかった。

ボクは一応主催者だから
人が集まれば集まるほどに
意気込んでしまうかもしれない。
きっと、なんとか盛り上げようと
しようとするかもしれない。
それに目立ちたがり屋だから
調子こいて気持ち良くなって
意味のある言葉ばかり
羅列するかもしれない。

意味を求めすぎてはないか、
どや顔で語ってないか、
行き過ぎたアドバイスはしてないか、
偉そうな態度になっていないか…
常に気を付けて、クソめんどくさいおじさんになるのだけは避けたい。

むしろボクを置いてけぼりにして
ペチャクチャしゃべってくれる環境に
なったら最高だ。
大切に育てたい。


一人で作業をしていると
気が狂いそうなことが
しょっちゅうあった。

だけど原因は簡単で
SNSの見過ぎ。それだけ。

みんな楽しそうなんだもん。
嫉妬からくる発狂。

特にNFTを始めた時は
頭がかち割れそうだった。

NFTの価値についての意見が
めちゃくちゃ増えた。

NFTは売れないと意味がないだの、
クリエイターは描き続けてなんぼだの、
チームで動くことが売れる秘訣だの、
とにかく交流しまくることが価値だの、

とにかくアホみたいに
情報があふれた。

ボクはNFTで初月
ビビるくらい売れた。

だけど翌々月には0円だった。
発狂しそうだった。

そこでなんとか盛り返そうと
情報に呑まれた。

見たくない情報も
流れてくる。

相変わらず
売れてる人は
超売てる。
楽しんでる人は
本当に楽しんでる。

(NFTを組織で楽しむとか
本当に気持ち悪いな。
お遊戯会かよ。
売れてるのは絵の力じゃないだろ。
組織の力だろそれ。キモ。)
と自覚がありまくるほどに
負け惜しみの嫉妬をしまくってた。

不思議なことに、
嫉妬すればするほど
嫉妬を求めるように
活躍してる人を見続けて
嫉妬の坩堝にはまっていった。

そして
自分の作品を買わない人は
全員頭がおかしいと思ってた。

何でこんな
カワイイ作品を買わないのか?
全員見る目がなさすぎる。
目ん玉くりぬかれたのか?

と本気で思ってたが
どんどん、
あれ?もしかして…
ボクの作品が
あまり良くないのか…???
と思うようになった。

それが事実だったら怖すぎるので
受け入れる勇気がなく辞めた。



そんな
情報過多で脳みそがとろとろの
ドロドロに溶けてるとき、
ボクの作品を
認めてくれる人がいた。

名前を出すと
媚び売ってるみたいだから
出さないが、その人はずっと
まっすぐに認めてくれた。

配信がクソ面白いと
言ってくれるし、
作品もクソカワイイと
言ってくれるし、
なんなら全て面白いと
言ってくれる。

ボクは人を簡単に
信用できないというか、
警戒心が高いから
何か裏があるんじゃないかと
まずスグ勘ぐる。

加えて、
自分しか信用してない
自分大好き人間だから
他人にグッとのめり込むことも
あんまりできない。

だから誉められると、
でしょ?ボクはすごいからさ。と
素直に受け取めるけど、その人を
受け入れる態勢にはならない。

書いてて分かったが
私は気持ちが悪いな。

その人は言葉だけじゃなくて
行動もしてくれた。

脳みそがドロドロのときに出した
NFTも買ってくれた。

配信もほぼ毎度、
見に来てくれた。

グッズも買ってくれた。

だからちょっと
他人にのめり込むことができない
ボクからしたら
この人の行動は信じられなくて、
(この人頭、大丈夫かな?)
と心配するほどまっすぐに、
ビックリするくらい素直に
認めてくれた。

ちょっとでも
裏があるんじゃないか?と
勘ぐったことを謝りたい。

それが本当に支えになった。

ボクの作品は認められてるんだと。
これは、作品をたくさん描ける
エネルギーになった。

それから少しづつ、
ボクやボクの作品を
見てくれる人が増えた。

ボクも勘ぐることが少なくなった。
とりあえず受け入れる姿勢を
取れるようになった。

するとこんな人も
世の中いるんだな、
基準がいろいろあるんだなぁ
面白いな、と新鮮な気持ちになれた。

クリエイターは
超ちょろい。

たった一人の声で、
警戒心があっても
頑張れちゃうし
考え方もコロッと変わる。

最近は
Twitterや講座を通じて、
こんなまっすぐな人に
会うことが増えた。

そしてそんな人が
コミュニティに入ってくれている。

ボクが姿勢を変えたからなのか、
ボクのサービスが向上したからなのか
分からないけど、
分かってるのは
きっかけを作ってくれたのは
間違いなく、この人だということだ。

本当にありがたい。

いつか大きい作品を
ボス―ンと出して、
何かしらの形で還元をしたい。

こんな感じで2022年は
売上・精神面・仕事に対する姿勢
が超飛躍した。

来年はイラスト講師としてはもちろん、
クリエイターとしても超飛躍したい。

とはいっても1年でボーンと
名を売るぞ!とかじゃなくて
まず着実に作品数を今年よりも
増やしていくこと。

これがいい。

で、ボクの作品を好いてくれる人を
増やしていけばまぁ名は売れる。

焦らずに土台つくりの年にする。

こんなアホみたいに
長い文章を読んでくれて
ありがとうございます。

どうか皆さんに幸あれ。

ぷいん

読んでくださるだけでもとても嬉しいのです!さらにサポートして頂くと血反吐吐くほどガンガン描く書く速度が増します!もっと血反吐をはかせてくださいお願い致します!