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日曜日の声

自分の声が嫌いでした。
幼少期から今まで『可愛いね』と沢山褒められてきたこの声が、わたしは大嫌いでした。自分が考えているよりも高くて甘くて舌足らずな声。わたしはもっと峰不二子のような大人の声になりたかったのに。

この間、久しぶりに会う友人が我が家に泊まりにきました。台風のせいで雨続きだった合間の晴れの日。だからわたしは友人がいるにも関わらず洗濯物を干していました。

我が家は明るく陽気な母の影響か家族全員がよく歌います。食べている時以外は歌っていると言っても過言ではないくらいです。因みに歌うだけではなく、よく踊りもします。世の中皆さんそんなに歌わないし踊らないって聞きましたけれど、家で普段何してるんです?逆立ち?
習慣とは恐ろしいもので、洗濯物を干している時も、他人が居ようともお構い無しです。自分の好きなバンドの新曲を。中学の音楽で習った曲を。往年の歌謡曲を。わたしは気の向くままに口ずさむのです。わたしの嫌いな声で、わたしの好きな曲を。

それを聞いた友人が言いました。
「幸せを形にしたような歌声だね」

幸せの定義は人それぞれ。わたしにとって一番の幸せは、何事もない日曜日だ。晴れている午後にソファに寝そべって犬を撫でながら庭を眺めるような、そんな一日。
友人曰く、わたしの歌声は子守唄のようで、晴れやかな日曜日を体現するものだ、と。

学生時代はバンドを組んだりもしていたが、中々思うように歌えませんでした。刺激の足りないこの声は、何かを伝えようとするにはあまりにか弱い。
けれど、わたしはロックンローラーにはなれなくても、静かで穏やかな幸せを隣人に届けられる。それを思うと、これから先少しだけ、自分の声を大切にできる気がするのです。

いつか胸を張って『自分の声が好きだ』と言える日がきたら嬉しいな。

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