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クリスマスの朝に

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

ルカによる福音書 2章11節より

・・・なんですか、いきなり。
宗教の勧誘ですか?

いや、なんとも気持ちの良いクリスマスの朝なので、ちょっとそれらしく、聖書の言葉なんぞ引用してみました。
そういえば私は、クリスチャンでした😝

謎に過去形なのは、ここ数年、まともに教会へ行っていないためでしょう。自ら「クリスチャンです♡」と名乗るのは、ちょっと罪悪感があるのかもしれません。

というのも、私の両親は所謂「敬虔なクリスチャン」で、どんなことがあってもほぼ毎週、日曜日は教会に出かけていました。
当然、クリスマスも家族揃って教会へ。

クリスチャンのクリスマスは、とっても忙しいのです。

まずは、12月24日。
クリスマス・イブには、これでもか!というくらい礼拝がありました。
今はコロナの影響もあって回数は減ったようですが、昔は確か、夕方、夜、深夜と、1日の中で3度の礼拝があったように記憶しています。
そして、クリスマス当日の12月25日にも、また別途、礼拝があり。

大学時代も、それなりにクリスマスは忙しく過ごしていました。

ミッション系の大学に通っていた私は、当時、「ハンドベル」という楽器を演奏するサークルに所属しており、クリスマスは年に一度の見せ場。地味なハンドベルサークルがイベントに引っ張りだこになる季節。

定期演奏会の他に、ツリーの点灯式や、各種礼拝での演奏奉仕などで、バタバタと慌ただしく過ごしていた記憶があります。
なにせハンドベルという楽器は、運搬が非常に大変な楽器なのです。
5オクターブ(ピアノは7オクターブ強)、61個のハンドベルは、大小様々な黒いキャリーケースで運ばれ、さらに、机、スポンジなど演奏に必要な付属品を運ぶ必要があり、軽トラック一台分の大きな荷物。
赤帽さんには、本当にお世話になりました🙏

クリスマス・イブの夜は、大学の礼拝堂で行われる夜の礼拝で演奏するのが定例で、それが終わると、やっと今年も1年が終わったねー、という感覚になったものです。
懐かしいなぁ。

巷の会話ではよく、「キリスト教徒でもないのにクリスマスをお祝いするなんておかしくない?」などと言われますが、私の場合はありがたいことに(?)クリスマスは普通に、キリスト教にどっぷりと浸かるシーズンだったのです。

で、今年のクリスマスはというと。
母はいつものように教会に出かけ。
私と息子は、実家で夕飯の支度。
礼拝が終わった頃に母を迎えに行き、教会の駐車場でイルネーションをまぶしく眺めながら、ああ、今年もクリスマスが終わるんだなぁ、としみじみと感じつつ。

昔のように、教会でクリスマスをお祝いすることはなくなったけれど、それはそれでよし。
息子がデコレーションしてくれたちょっと「ブサカワ」なクリスマスケーキをもぐもぐと頬張りながら、今年も家族そろって平和なクリスマスが迎えられたことに感謝。

いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

テサロニケの信徒への手紙 5章16節より

「いつも喜んで」いるのは難しいかもしれないけれど(笑)、来年も感謝の気持ちを忘れず、ごきげんな一年を過ごしたいものです☺️

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