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日記:2023年1月31日

グミが好きです。
ハリボーとかあったらアゴがしんどくなってもずっと噛んでます。
なぜ好きなのか、と問われれても正直困る。
好きなものって説明できなかったりするじゃないすか。
説明できるほど冷静にそのことを見つめることができない、その感情こそ「好き」だと思うんです。
そりゃあ「食感」とか「味」とか言えるっちゃあ言えるんですが、「好き」って感情ってやつはそんな理由を軽く超えてくる。
むしろ「好き」ってのは感情とかでなく人間として生きていくために衣食住と同様に、むしろそれ以上に必要な現象および行動なのかもしれない。
「好き」だからこそ知りたいし理解したいし、「好き」だからこそもっとそばにいたい、むしろ触れていたい。
感情で押し殺すことのできない、でもどこかで冷静にそれを見つめる自分がいる、そんな相反する状態それこそが「好き」という状態なのではないか。
「好き」だからこそそこに至るまでの困難を越えたいと思うし、「好き」だからこそそこに到達できない自分の未熟さを知る、そしてその未熟さを越えるためになにができるのかを考え行動する。
「好き」という状態にいるからこそ自らの高みを越えていける。
「好き」という自分を愛せるからこそ成長がある。
でもその「好き」という言葉に振り回されいろいろなことを棒に振ってしまうこともある、むしろその事により誰かに迷惑をかけてしまうかもしれない。
そうだとしても「好き」を否定することはできない、むしろその力で周りの人々をも巻き込んでいくこともできたりする。
「好き」という言葉、それこそが人間を動かす燃料であると思う。
「好き」であることは誇っていいのである、むしろそれを否定することは相手の人格否定にもつながるしむしろ自らの可能性を狭めるものであると考える。
まずは「好き」と口に出してみよう、そこから湧き出てくる感情こそ本物であると。

俺はグミが好きです。
なぜ好きなのかと問われると…


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