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日記:2023年2月11日

高校の時の先輩に岡本さんという人がいた。
その人は軽音部(俺の行ってた学校ではフォークソング部と言うてました)のひとつ上の人で、ギタリストだった。
当時の高校生としては上手い方で(と記憶している)当時からオリジナルの楽曲をするバンドを組んでいた、とはいえ今思いだすとツェッペリンのリフ丸パクリやったりはするんやけど(笑)
で、その人はちょっと尖ってて、当時で言うところの尾崎豊的なメッセージ性を持ってた人で、実際に弾き語りで尾崎の歌を歌ってた。
そのオリジナルのバンドでも、大人の言うことなんて聞かねえよー!的なメッセージが入ってた、と同時にしょうもないコミックバンド的なことも歌ってたけど。
ちなみにバンド名は「FUCKERS」(笑)
でもその人達が残したカセットテープは我々後輩の中でもめちゃダビングして回ってたし、同級生がFUCKERSのコピーバンドもやってたな。
それくらい影響あった。

岡本さんは高校を卒業したら音楽の勉強をするために、とアメリカに旅立っていった。
その壮行会的なライブとして学校近くの公民館のちっちゃいホールを借りて弾き語りワンマンを行ってた。
尾崎豊のカバーももちろんふんだんに入れつつ、オリジナルもやってた記憶…
その時のパンフレット的なチラシがこないだ実家帰ったときに出てきたので非常に懐かしかった。

そんな先輩がいて、そして当時パンクロックの洗礼を受けてた俺は「俺も好きなことをしたい!」となって、でもバンドで飯を食えるとは到底思わなかった(当時ドラマーやった)ので音楽のそばにいてできる仕事をしたい!となり、大阪に出てきて音楽系の専門学校に入った。
なので今の俺がいるのは岡本さんの影響が大きいのだ。
ライブのチラシを取っておくくらいには影響があったと言える。
あの頃のFUCKERSを聞いていなければ今の俺はなかったと断言できる、リフはツェッペリンやったけど(笑)

そんな岡本さん、風の噂では日本に帰ってきて普通にサラリーマンをしてるとのこと…
真偽の程はわからへんけど…でも俺はそれでいいと思ってる。
その時の岡本さんは当時の俺にとっては本物やったし、それ以上でもそれ以下でもない。
様々な選択肢の中でそうなっていった、それだけのこと。
今お会いできたとしてなにを話せるのかはわからんけども、「ありがとうございます」とは伝えると思う。

そういえばFUCKERSにはダンサーがいて、メロリンキューのコスプレをしてたなw(メロリンキューは今れいわの代表をしている山本太郎さんが高校生の頃にしてたギャグ)
あの人こそ、今何やってるんやろうか…(笑)


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