2022/05/03:

昼過ぎにおきて掃除をした。昨日までに風呂はもう終わってるから部屋をやる。掃除は好きだが苦手だ。こんなもんかな、を設定しないと疲れ果てるまでやってしまうし、じっさい疲れ果てると掃除なんてもうこりごりだと感じてしまう。じゃあ、こんなもんを設定すればいいのだろう。しかし科学的実験のように一切が理想的な状態であることは生活ではほぼないので、「掃除は〇〇分まで」みたいな形で基準を決めるのは無理だ。

たとえばアル中患者が毎晩求める「最後の一杯」のことをペニュルティエームと呼ぶらしい。限界のこと。ぶっ倒れたり死んだりしないギリギリのところまで飲む。限界、ペニュルティエームを越えると、閾(しきい)が出現して事態が一変する。ぶっ倒れたり死んだりするわけだ。

毎回の掃除で閾が出現してしまえば、掃除は習慣にならないだろう。生活は終わらないから、決死の大掃除よりそれなりの清潔をたもてる習慣的な掃除のほうがいい。

ところでアル中患者はどのようにして自分のペニュルティエームを判別するのだろうか。自分はアル中ではないけど、少し前は酒を飲むイベントが定期的にあったから、これ以上飲むと二日酔いになる、というラインはけっこうはっきり知っている。なぜだろう。経験か? じゃあ、まめに、しかし細部に神経質になりすぎない程度を意識して掃除を習慣化していけば、そのうちペニュルティエームがわかるようになるのだろうか。なんかよくわかんなくなったから、とにかく無理やりテンポ定めてやればいいのだろう。しばらくやって掃除のペニュルティエームが判別できるようになったらいいな。


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